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さて、浄光寺の参道手前に左に下る石畳があります。それを下って右へ向かうと大谷川を渡る橋に出ます。そこからさらに歩いて行くと慈雲寺の駐車場に出ます。<br /><br />慈雲寺は化け地蔵と呼ばれる並び地蔵で有名な場所ですが、境内は大谷川にそって造られていて慈雲寺周辺は憾満ガ淵(かんまんがふち)とよばれる景勝地でもあります。<br /><br />観光シーズンでも山内とは違って静かな場所です。紅葉のこの時期は思ったより人がいますがそれでもかなり少なめ。渓谷が綺麗に見える場所です。特にこの日は渓谷の方の紅葉が2~3日前がピークだったそうです。山門横の真っ黄色のヤツが凄かったです(笑)

日光紅葉巡り2008 「慈雲寺~憾満ガ淵」。

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2008/11/15 - 2008/11/15

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フロッガー

フロッガーさん

さて、浄光寺の参道手前に左に下る石畳があります。それを下って右へ向かうと大谷川を渡る橋に出ます。そこからさらに歩いて行くと慈雲寺の駐車場に出ます。

慈雲寺は化け地蔵と呼ばれる並び地蔵で有名な場所ですが、境内は大谷川にそって造られていて慈雲寺周辺は憾満ガ淵(かんまんがふち)とよばれる景勝地でもあります。

観光シーズンでも山内とは違って静かな場所です。紅葉のこの時期は思ったより人がいますがそれでもかなり少なめ。渓谷が綺麗に見える場所です。特にこの日は渓谷の方の紅葉が2~3日前がピークだったそうです。山門横の真っ黄色のヤツが凄かったです(笑)

  • 大谷川の橋を渡って、また歩いて行くとお茶屋さんのある駐車場に着きます。そこからが慈雲寺の参道です。

    大谷川の橋を渡って、また歩いて行くとお茶屋さんのある駐車場に着きます。そこからが慈雲寺の参道です。

  • 参道から山門へ。

    参道から山門へ。

  • 山門横のモミジが目一杯黄色でした(^◇^)

    山門横のモミジが目一杯黄色でした(^◇^)

  • 山門をくぐります。

    山門をくぐります。

  • こちらが慈雲寺の本堂。とはいっても小さいお堂です。<br /><br />慈雲寺は承応三年(1654)に晃海大僧正が阿弥陀如来と師である慈眼大師の像をを祀り、創建したお寺です。当時の建物はこの辺を襲った明治三十五年(1902)9月に起こった大洪水によって流されてしまいました。現在の本堂は昭和四十八年に復元、建てられたものです。毎年7月14日には輪王寺によって、盂蘭盆会(うらぼんえ)の法要が行われます。

    こちらが慈雲寺の本堂。とはいっても小さいお堂です。

    慈雲寺は承応三年(1654)に晃海大僧正が阿弥陀如来と師である慈眼大師の像をを祀り、創建したお寺です。当時の建物はこの辺を襲った明治三十五年(1902)9月に起こった大洪水によって流されてしまいました。現在の本堂は昭和四十八年に復元、建てられたものです。毎年7月14日には輪王寺によって、盂蘭盆会(うらぼんえ)の法要が行われます。

  • 並び地蔵は、晃海大僧正の約百名の弟子たちが「過去万霊、自己菩提」の想いをこめて寄進したものです。並ぶ地蔵の列座の裏には親地蔵が置かれていたそうです。<br /><br />中でも霊庇閣に一番近い石地蔵は「かんまん」の梵字を書いた山順僧正のものとされています。その後、明治三十五年(1902)の洪水によって親地蔵と他の地蔵のいくつかが流されてしまいました。 この地蔵の数を数えると行きと帰りで数が違うというところから化け地蔵とも呼ばれるようになりました。<br />

    並び地蔵は、晃海大僧正の約百名の弟子たちが「過去万霊、自己菩提」の想いをこめて寄進したものです。並ぶ地蔵の列座の裏には親地蔵が置かれていたそうです。

    中でも霊庇閣に一番近い石地蔵は「かんまん」の梵字を書いた山順僧正のものとされています。その後、明治三十五年(1902)の洪水によって親地蔵と他の地蔵のいくつかが流されてしまいました。 この地蔵の数を数えると行きと帰りで数が違うというところから化け地蔵とも呼ばれるようになりました。

  • 並び地蔵は本堂側から数えたのと、反対側から数えてくるのとで数が違ったりするので化け地蔵と呼ばれるようになりました。<br /><br />中央の東屋のような小屋が「霊庇閣」です。霊庇閣(れいひかく)は、晃海大僧正が建立したあづまや造りの護摩壇です。当時は対岸に不動明王の石像があり、これに向かって天下泰平を祈って護摩供養をしていたそうです。不動明王像も霊庇閣も流されてしまい、この場所には礎石だけとなっていたのですが昭和四十六年に輪王寺によって復元建立されることになりました。この場所からの淵が一番見事です。

    並び地蔵は本堂側から数えたのと、反対側から数えてくるのとで数が違ったりするので化け地蔵と呼ばれるようになりました。

    中央の東屋のような小屋が「霊庇閣」です。霊庇閣(れいひかく)は、晃海大僧正が建立したあづまや造りの護摩壇です。当時は対岸に不動明王の石像があり、これに向かって天下泰平を祈って護摩供養をしていたそうです。不動明王像も霊庇閣も流されてしまい、この場所には礎石だけとなっていたのですが昭和四十六年に輪王寺によって復元建立されることになりました。この場所からの淵が一番見事です。

  • 対岸は日光植物園ですが、行き来はできません。

    対岸は日光植物園ですが、行き来はできません。

  • 憾満ガ淵は男体山から噴き出した溶岩によってできたものです。古くから不動明王が現れる場所と言い伝えられ、川の流れが不動明王の真言を唱えるように響く事から晃海大僧正が真言の最後の句である「カンマン」から憾満ガ淵と名付けたと言われています。<br /><br />晃海大僧正はこの地に霊庇閣や慈雲寺、不動明王の大きな石像などを建立したことによってこの地は古くから参拝客が多かったと言われています。松尾芭蕉も奥の細道紀行の際にこの地に立ち寄っています。

    憾満ガ淵は男体山から噴き出した溶岩によってできたものです。古くから不動明王が現れる場所と言い伝えられ、川の流れが不動明王の真言を唱えるように響く事から晃海大僧正が真言の最後の句である「カンマン」から憾満ガ淵と名付けたと言われています。

    晃海大僧正はこの地に霊庇閣や慈雲寺、不動明王の大きな石像などを建立したことによってこの地は古くから参拝客が多かったと言われています。松尾芭蕉も奥の細道紀行の際にこの地に立ち寄っています。

  • 見えにくいですが、対岸の壁面に凡字で「かんまん」が刻まれています。<br /><br />この文字は弘法大師が筆を投げつけて彫りつけた伝説があることから「弘法の投げ筆」と呼ばれています。<br /><br />実際は、晃海大僧正が能書家でもあった山順僧正の書いた文字を彫らせたものだそうです。

    見えにくいですが、対岸の壁面に凡字で「かんまん」が刻まれています。

    この文字は弘法大師が筆を投げつけて彫りつけた伝説があることから「弘法の投げ筆」と呼ばれています。

    実際は、晃海大僧正が能書家でもあった山順僧正の書いた文字を彫らせたものだそうです。

  • 並び地蔵を奥へ向かうと散策道路に出ます。水門がカッコイイ(笑)

    並び地蔵を奥へ向かうと散策道路に出ます。水門がカッコイイ(笑)

  • この周辺は小さい滝が多数あります。

    この周辺は小さい滝が多数あります。

  • このあたりの水は緑っぽい色をしています。

    このあたりの水は緑っぽい色をしています。

  • 参道にある太子堂の屋根です。

    参道にある太子堂の屋根です。

  • 大谷川の橋沿いです。

    大谷川の橋沿いです。

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