2015/10/27 - 2015/10/28
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ペコちゃんさん
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旅行の最後は、日光。
平成18年に今市市、(旧)日光市、足尾町、藤原町、栗山村が新設合併し、現在の日光市が発足・・・この合併により、面積は岐阜県高山市・静岡県浜松市に次いで全国第3位となりましたが、人口は8万4千人ほど。
東照宮で有名な日光が、合併によって福島県と接していることは知りませんでした。
面積が広がったため、旧日光市だけでなく、多くの観光名所がありますが、今回の旅は龍王峡⇒鬼怒川温泉⇒華厳ノ滝⇒湯滝と回り、金精トンネルを通って吹割の滝を見た後、沼田から関越で帰る、というコースにしました。
中禅寺湖の紅葉と男体山の雄大な姿は、いつまでも記憶に残ります。
そして、初めて見た奥日光・湯滝の豪快に流れ落ちる様子も印象的でした。
写真は、中禅寺湖の遊覧船から見た紅葉。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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鬼怒川のホテルで朝食を終えて日光にやって来ました。
観光の前に立ち寄ったのは「三ッ山羊羹本舗」・・・創業明治28年の老舗ですが、何と今回の仲間の一人が三代目当主・三ツ山 一明さんと親戚です。
現在の店舗は、昭和初期に建てられた趣のある建物。 -
羊羹の原材料は、基本的に小豆、寒天、砂糖、そして水のみ。
創業百余年の羊羹専門店で作られる羊羹は、厳選した国産小豆のみを使用し、伝統の製法を守り、上品な小豆の風味が特徴・・・どの羊羹も美味しいのですが、特におすすめは「水羊羹」。
三ッ山羊羹本舗では、味と品質に責任を持ちたいと考え、当店舗のみで製造・販売しています・・・日光土産に、是非立ち寄って下さい。 -
店舗向いの駐車場にある「鉢石(はついし)」・・・地中から地表に突き出た岩盤の一端が鉢を伏せたたような形をしているので、鉢石と呼ばれています。
その昔、日光山開祖・勝道(しょうどう)上人が托鉢の途中、この石に座って日光山を仰いだことから鉢石と呼ばれるようになった、と言われています。
古来から日光山の門前町として栄えた鉢石町は、江戸初期の東照宮造営を機に、日光街道の最終宿駅として整備拡充され、街全体を鉢石宿と呼ぶようになりました。
このような由緒から、鉢石は日光市の文化財に指定されています。 -
駐車場の先にある御自宅も拝見させてもらいました。
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昭和初期に建てられた邸宅で、調度品なども見応えがあります。
これは、二階の板襖・・・現在、個人の家で見かけることは滅多にありませんが、見事な芸術品です。 -
二階からは、日光街道沿いの高台にある、お城のような日光総合支所が目の前に見えます。
この建物は、古美術骨董商として財をなした小林庄一郎が日光を訪れる外国人観光客のホテルとして明治38年に建て、戦後には進駐軍の社交場になったりしましたが、その後日光町に寄付され、昭和29年から日光市役所の庁舎として使われていました。
平成18年の日光地区合併により、日光市の本庁舎は旧今市市の庁舎に移っています。 -
一階の座敷で、水羊羹をご馳走になりました。
立派な庭園を眺めながらの水羊羹は、ことさら美味しく感じます。 -
三ツ山さん、お世話になりました。有難うございました。
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華厳ノ滝に向かう途中の神橋(しんきょう)の傍に、2つの銅像があります。
まず一人目の銅像が、天海大僧正。
天海は比叡山で天台宗の奥義を極めた後、徳川家に仕え、日光山の貫主となりましたが、当時の日光は、豊臣秀吉に寺領を没収され、荒廃の極にありました。
家康が亡くなると天海はその遺言を守り、久能山から遺骨を日光に移して、東照宮の創建に尽くした日光山中興の人です。
天海は、寛永20年(1643)108歳で大往生しました。
日光出身の彫刻家・倉沢実が作った天海僧正の銅像は、神橋の反対側に日光山に向かう形で立っています。 -
そしてもう一人の銅像が、自由民権運動で知られる板垣退助の銅像。
「板垣死すとも自由は死せず」の名言を残した板垣退助は、明治の政治家です。
戊辰戦争の際に、日光東照宮に立てこもる旧幕府軍を説得して東照宮を戦火から救ったという功績で、昭和4年に建立された最初の像は、第二次大戦中に軍需に徴収されたので、昭和42年に彫刻家・新関国臣の作で再建・・・今もなお腕を組んで、静かに日光山を見守り続けています。 -
神橋は二荒山(男体山)をご神体として祀る二荒山神社の建造物で、日光山内の入り口にかかる木造朱塗りの美しい橋。
奈良時代の末に勝道上人が日光山を開く時、大谷川の急流に行く手を阻まれ神仏に加護を求めた際、深沙王(じんじゃおう)が現れ2匹の蛇を放ち、その背から山菅(やますげ)が生えて橋になったという伝説を持つ神聖な橋です。
現在のような朱塗りの橋になったのは、寛永13年(1636)の東照宮の大造替の時ですが、明治35年に洪水で流されて明治37年に再建されました。
日本三大奇橋(山口県・錦帯橋、山梨県・猿橋)の1つに数えられています。 -
華厳ノ滝に向かう途中の左側にあるのは「日光田母沢御用邸記念公園」。
大正天皇が皇太子時代に静養所として造営された旧御用邸の建物と庭園ですが、現在は公園として整備し、一般公開しています。 -
この先が「いろは坂」・・・周りの山も黄葉が進んでいます。
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「いろは坂」に入りました。
上りが第二いろは坂で、「い」から「ね」までの20のカーブがあり、下りの第一いろは坂は、「な」から「ん」までの28のカーブがあります。
両方とも一方通行の坂道。 -
第2いろは坂の途中にある明智平から、明智平駅と展望台駅を結ぶ明智平ロープウェイ・・・かつては国鉄・東武日光駅から路面電車(東武日光軌道線)とケーブルカー(東武日光鋼索鉄道線)で明智平まで乗り継ぐことが出来ましたが、 国道の渋滞などの理由で昭和43年に路面電車が廃止され、昭和45年にケーブルカーも廃止されてしまい、このロープウェイのみが残されています。
展望台駅からは華厳ノ滝や中禅寺湖、男体山などを望むことが出来ます。 -
華厳ノ滝の駐車場に着きました。
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駐車場の周りの紅葉が見事です。
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久し振りに見る華厳ノ滝は、昭和61年に滝口の一部が崩落したので、少し形が変わったような気がします。
華厳ノ滝の発見者は、日光山を開山したことで知られる勝道上人(735~817)と伝えられ、仏教経典の1つである華厳経から名づけられたといわれています。
明治36年に一高生の藤村操がこの滝で投身自殺し、その後、彼に影響を受けた自殺が相次いだため、自殺の名所という評判が立ちましたが、現在は自殺は殆どありません。 -
華厳ノ滝は、男体山の噴火により堰き止められた中禅寺湖から唯一流れる大谷川にある滝・・・落差は97mで、一気に流れ落ちる様は、まさに壮観。
袋田の滝(茨城県)、那智の滝(和歌山県)と共に「日本三名瀑」のひとつになっています。
また、霧降の滝・裏見滝と併せて「日光三名瀑」、湯滝・竜頭の滝と併せて「奥日光三名瀑」とも言われ、日光・奥日光の四名瀑を合わせて「日光五名瀑」と称されます。 -
有料のエレベーターで降りた観瀑台からは、滝壷を正面間近に見ることが出来ますが、時間がない(?)ので駐車場近くの観瀑台で我慢しました。
滝を見た後は、中禅寺湖のクルージングを楽しみます。 -
華厳ノ滝から中禅寺湖に向かうと、二荒山神社の大鳥居が迎えてくれます。
二荒山神社は、勝道上人が767年に二荒山(男体山)の神を祭る祠を建てたことが始まりとされています。 -
遊覧船乗り場に着きました。
ここの標高は1,278m・・・夏でも涼しい訳です。 -
船が出るまで時間があるので、周辺を散策。
この「中禅寺」は、784年に勝道上人によって建立されましたお寺で、世界遺産・日光山輪王寺の別院です。
本尊の「十一面千手観世音菩薩」は、勝道上人が中禅寺湖上に千手観音の姿を感得し、その姿を桂の立木に彫ったと伝えられています。 -
右の建物が、本尊の十一面千手観音像を安置する本堂(立木観音堂)。
その奥の建物は、五大堂。 -
時間があれば、中に入ってゆっくり見学したいお寺でした。
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2万年前に男体山の噴火で出来た中禅寺湖には、もともと魚が生息していませんでしたが、明治以降に放流が行われ、最近の調査ではヒメマス・ニジマス・ワカサギなど24種の魚が生息しており、釣のメッカになっています。
ワカサギ釣りは例年9月20日頃に解禁され、一人で400~500匹も釣る名人もいるとか・・・今日も多くの釣り人がボートを浮かべて楽しんでいました。 -
中禅寺湖の北岸にある男体山は標高2,486mの火山で、日本百名山の一つ。
円錐形の大きな山体は、古くから山岳信仰の対象として知られ、山頂には日光二荒山神社の奥宮があります。 -
これから中禅寺湖の遊覧船に乗って、Dコースで一周します。(所要時間:55分)
人造湖を除く広さ4キロ平方m以上の湖としては、日本一標高の高い場所にある湖ですが、水深が最大で163mあり、温度差による対流現象が起こって深い場所から暖かい水が上昇するため、冬は氷結しませんが、遊覧船の運航期間は、4月第2土曜日~11月末までとなっています。 -
中禅寺湖遊覧船は、定員500名の『けごん』と120名の『アストリア』の2隻があります。
今回は、双胴船の『けごん』に乗船。 -
中禅寺湖の説明アナウンスを聞きながら、ゆったり湖を眺めて進みます。
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湖面は結構風がありますが、船はそれほど揺れないので大丈夫。
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紅葉が鮮やかです。
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天気が良いので、中禅寺湖と男体山が本当に綺麗に見えます。
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中禅寺湖に浮かぶ唯一の島の「上野島(こうずけしま)」・・・島には石が敷きつめられ、一見すると人工の島のようにも見えますが、自然の島です。
海上保安庁が定める「周囲100m以上を島とする」という定義から外れるため、日本の島数6,852には含まれていません。
岸に一番近いところは60mほどの距離なので、湖水が低い時には歩いて渡れることもあるようです。
島の中央には、勝道上人首骨納塔、慈眼大師(天海)の墓石、宝篋印塔(ほうきょういんとう)などがあり、昔から拝所として見守られてきた島です。 -
標高2,484mの男体山は、日光二荒山神社などから登山が出来るので、一度チャレンジしたい百名山です。
因みに、登りが3時間半、下りが2時間半。 -
明治時代に入ると、日光を訪れる外国人が増えてホテルなどの施設が整備され、国際観光都市として広く世界に知られるようになりました。
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特に外国の大使館・領事館の別荘が多く建てられ、「夏になると外務省が日光に移る」と言われるほどで、その名残で現在も日光には洋風建築が多く残っています。
これは、イタリア大使館別荘。 -
その左隣にあるのは、イギリス大使館別荘。
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遊覧船を降りて、船から見えた使館別の方に行ってみました。
駐車場から10分ほど紅葉の中を歩きます。 -
青空に映える紅葉。
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しばし足を止めて見入ります。
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中禅寺湖畔に現存する大使館別荘としては、最も古い建物のイギリス大使館別荘・・・明治29年に駐日英国公使のアーネスト・サトウが中禅寺湖東岸に建設した別荘で、平成20年ごろまでイギリス大使館が利用していました。
平成21年にイギリス大使館から栃木県に無償譲渡の申し入れがあって22年に県が取得し、現在は修復工事中。(来年の夏に公開予定)
外装は、すぐ隣にあるイタリア大使館とは対照的で、黒を基調としたシンプルな外壁です・・・お国柄が出ていて、面白いですね。 -
イギリス大使館別荘の先にある、イタリア大使館別荘記念公園。
中禅寺湖沿岸にある各国大使館別荘のうち、現在はイタリア大使館別荘だけが一般公開されています。
昭和3年にイタリア大使館の夏季別荘として建てられた建物は、平成9年まで歴代の大使が使用していましたが、平成10年に栃木県がイタリアから買収し、当時の設計図をもとに復元改修工事を行い、平成12年に記念公園としてオープンしました。
中禅寺湖に面し、木立に囲まれた公園は、まさに別荘に相応しい場所です。 -
別荘は、本邸と副邸の2棟あり、公園を入ってすぐにある副邸は、往時の歴史を紹介する「国際避暑地歴史館」になっています。
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国際避暑地歴史館に入ると、暖炉を持つ居間兼食堂があります。
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そして居間から続くこの広縁のほかに、寝室と台所があります。
本邸とは対照的に、森の中の景観を活かした建物で、ガラス戸から見る四季の移り変わりは素晴らしい眺めです。(前に見える建物は本邸)
この建物では、往時の別荘の様子などを伝える展示室や、別荘生活を楽しむ大使のビデオが見られます。
こんな部屋で、日がな一日、読書でもして過ごせたら最高ですね。 -
本邸は、著名な建築家で外交官でもあるアントニン・レーモンドの設計によるもので、主に大使とその家族が使用した建物です。
杉の板と皮を張って仕上げられた内外装が大きな特徴で、豊かな自然に調和して、ゆったりとした時間をすごした避暑生活を彷彿とさせる建物です。 -
中禅寺湖畔から見た本邸の外観・・・杉の皮で市松模様にデザインされた外壁が美しい。
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本邸は修復の際に、元の床板や建具、家具等をできる限り再利用しました。
1階は、書斎と居間と食堂のゆったりとしたワンルーム。
ここは、玄関を入ってすぐにある石組みの暖炉と椅子が置かれた書斎。 -
大使が使用した食器が並ぶ食堂。
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建物の外壁もそうでしたが、天井や室内の壁など、あらゆる所に杉の皮がふんだんに使用されていて、洋風なのに和の意匠が施されている素敵な建物です。
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そして湖側(北側)は、見晴らしの良い広縁になっています。
ここからは日光白根山、半月山、八丁出島も望め、湖畔に出ると桟橋から男体山が見える絶好のロケーション・・・窓一面に広がる中禅寺湖を眺めながら、皆さん、お寛ぎです。 -
2階は湖に面して寝室が並び、湖の景観を最大限に活かした設計となっています。
この部屋は、大使の寝室・・・湖に面した窓から、湖面に映るロマンチックな夕日を眺めたのでしょう。 -
イタリア大使館の歴代の大使の写真が飾られています。
左上はパルボラーリ(1877~1881)、隣はグイッチョリ(1908~1916)、右はコンファロニエーリ(1917~1919)。 -
2階の休憩室からガラス越しに見える副邸。
この建物を設計したアントニン・レーモンド(1888~1976)はチェコ出身の建築家・・・大正8年に来日して、その後日本に留まり、東京駅や学校・教会・個人の邸宅など、多くの建築物を設計しました。
日本人建築家に大きな影響を与え、小平市の「江戸東京たてもの園」に自宅が移築されている前川國男も彼の事務所で学んでいます。 -
本邸の前にある桟橋。
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湖水が驚くほど澄んでいて、とても美しい・・・
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キラキラと輝いています。
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見学の後は、湖畔の道路を走り、戦場ヶ原を抜けて行きます。
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今日の昼食は、光徳入口のバス停から右に入った所にある「日光アストリアホテル」。
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この和食御膳と温泉入浴(タオル付)で2,500円・・・美味しくて、お得です。
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お腹を満たした後は、温泉でゆっくりくつろぎタイム。
ここの温泉は、日光湯元からパイプで直接お湯を引いた源泉かけ流しで、昨日の鬼怒川温泉と違って、硫黄泉のにごり湯。 -
天然の硫黄泉は、湧出時には無色透明ですが、空気に触れると色が変わるので、露天風呂はエメラルドグリーンの色あいです。
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ビールを飲んで美味しい食事をして温泉に入り、いい気分になった後は「湯滝(ゆだき)」に行きました。
湯滝は、奥日光の湯ノ湖から流れ落ちる滝で、落差は70m、最大幅は25m・・・観瀑台から見ると、迫力満点! -
湯滝を流れ落ちた水は、戦場ヶ原を流れる湯川となり、竜頭の滝を下って中禅寺湖へ注いでいます。
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滝の側面に設けられた遊歩道を登って行きましたが、結構キツイ。
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登った所にある滝の落ち口・・・湯ノ湖から流れ出る水しぶきが凄いですね。
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湯滝の上にある湯ノ湖は、三岳(みつだけ)の噴火によってつくられた堰止湖で、標高は1,478m。
日光白根山からの水に加え、湖畔にある日光湯元温泉からの湯も流れ込んでいますが、水深が浅いため、冬には全面結氷することもあります。
湖にはニジマス・ヒメマス・コイなどが棲み、釣のメッカになっています。 -
湖の正面に見えるのは標高2,333mの温泉ヶ岳(ゆせんがたけ)、左は金精山(2,274m)で、2つの山の凹んだ所に金精峠(2,024m)があります。
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金精峠から見た湯ノ湖と男体山は、まさに絶景!
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「金精トンネル」を通って沼田に向かいます。
トンネルの長は755mで、標高は1,843m・・・国内のトンネルでは最も標高が高く、例年12月末から4月末の間は、金精道路全体が閉鎖されます。 -
トンネルを抜けると、群馬県も紅葉の真っ盛り!
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最後は、紅葉に染まった「吹割の滝」に立ち寄り。
渓流の最初にある「鱒飛の滝」は、いつ見てもダイナミックな流れです。 -
遊歩道の先には、紅葉に彩られた「般若岩」・・・そそり立つ岩壁が般若に似ているところから付けられた名前です。
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美しい紅葉が続きます。
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奇岩と澄み切った川の流れと紅葉のマッチングが素晴らしい。
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吹割の滝に到着しました。
高さ7m、幅30mにおよぶ岩盤の裂け目を作り出したのは1万年もの長い年月です。 -
今年3回目の吹割の滝ですが、紅葉のこの時期が一番素晴らしいと思いました。
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吹割橋の方は、更に紅葉が進んでいます。
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福島・栃木・群馬の紅葉を巡る二日間の旅でした。
運転手は大変だったと思いますが、気心の知れた仲間との旅行は最高です。
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