2008/02/23 - 2008/02/26
3678位(同エリア4058件中)
瑞樹さん
唐人屋敷跡を廻った後は、東山手居留地を巡ります。
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- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
-
唐人屋敷跡を散策して、再び湊公園前へ戻って来ました。
まだまだ沢山のランタンが置いてあります。解体作業も進んでいます。皆さんの協力で終えたんでしょうね〜。 -
わっ、ガラスの向こうにもランタンが投げ込まれていますっ。
周りの犬のランタンたちが、中を伺っているみたい…。 -
おじさんたちがやっているのは、将棋かな?
日本でもこういう風景が見られるとは…。 -
ここから大通りを歩いて行こうと思います。
地面には、かわいいマンホールが。 -
市民病院の近く、大きな橋の前に来ました。
明治30年代に出島の海側が埋め立てられ、その埋立地と梅香崎の間に出来た銅座川河口部に明治37年(1904)出師橋が架設されました。
日露戦争中に第6師団がこの橋を渡り出征したことに因り、その名が付けられました。
当時は棟瓦造二階建ての長崎税関庁舎がすぐ側にあり、きっと良い風景だったことでしょう。 -
進んで行くと、「我が国鉄道発祥の地」「運上所跡」の碑がありました。
更に、ここは坂本龍馬が英イカルス号事件裁判に立ち会ったところだというパネルがありました。
龍馬は才谷梅太郎という名で立ち会っています。
梅太郎「横笛船の運転は、いつ聞いたか。」
作太郎「横笛船を運転するということは、六日の朝聞かされまして、七日暁二時に出帆しました。」
…運上所における糺問が書かれていていて、当時の情景が思い浮かぶようです。 -
海のほうを見ると、暗い色の雲から陽が差し込んでいます。
写真よりも、もっと幻想的でした。
雨が降らなければいいな〜。 -
すると、今度は「気球飛揚の地」跡に行き当たりました。
文化2年(1805)1月8日、当時入港中のロシア使節レザノフ一行の軍艦乗組員がここで熱気球を揚げたそうです。
自国の先進ぶりを”アピール"したものと思われます、とパネルに書いてありました。 -
この辺りには、ロシア旧蹟が多いみたいですね。
向かいには、水辺の公園レストランやこんな橋が見えます。 -
ここで左折。
煉瓦の美しいホテルニュータンダの敷地ですが、道路に歩道が無い為、自由にお通り下さいと書いてありました。
歩行者にとっては、嬉しい心遣いです。 -
道を挟んだ向かいには、教会が建っていました。
流石長崎、教会が多いですね! -
店が沢山並ぶ通りに出ました。
角には、大浦東山手居留地跡碑が建っています。 -
何だか歴史のありそうな、古い石垣が現れました。
端には「湊会所跡」「長崎県新観光百選の地」の碑が建ちます。 -
着きました!オランダ坂です。
この辺りに来ると、私以外の観光客も何組か出逢うようになって来ました。
かなり急な坂です。 -
当時の長崎、というか日本?ではドイツやフランス、アメリカやイギリスの人でも”オランダさん”と呼んでいたそうです。
イギリス領事と市参事会からの要求が、この舗装されたオランダ坂を造ったと云われています。 -
坂を上って着いた先は、国指定重要文化財の東山手十二番館。
ロシア領事館として建設され、その後アメリカ領事館やメソジスト派(婦人外国伝道協会)の宣教師の住宅として利用されてきた初期の洋風建築形式を用いた木造洋館です。 -
内部に入れるようなので、見学してみます。
幅広い廊下を通ると、執務室として使ったと思われる3つの大きな居室などがあります。
展示は、ミッションスクールの歴史を紹介する旧居留地私学歴史資料でした。 -
漆喰天井蛇腹塗りの展示。
木摺下地の上に漆喰を何度も塗り重ねてあります。芸が細かい! -
これは入口部分。こんな風にベランダを飾っていたのでしょうね。
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庭からは、これまた風情のある建物が見えます。
街が見下ろせることからも、結構坂を上ったんだなぁと実感します。 -
更に坂が続きます。この街には、坂じゃない道なんて無いのかも。
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海星学園の前には、旧英国領事館の古い写真がありました。
緩やかなアーチを描く下り松(松が枝)橋と共に写っていて、昔も今も、”外国”が身近な街だったことを思い起こさせます。
えらい急な坂だと思ったら、斜度20%でした。急な筈だ!
6cmくらいのヒールがあるブーツを履いている私には、ちょっと難しい坂です(笑)。 -
次に着いたのは、市指定有形文化財の東山手洋風住宅群。七棟もあります。
明治20年代後半頃に建築されたこれらの木造洋館は、狭小な宅地に密集した形で7棟の建物が建ち、内外とも意匠・仕上げが質素、構造上各棟がほぼ同一なことから、社宅または賃貸住宅として計画的に建設されたのではないかと推定されている建物です。昭和58〜63年(1983〜88)にかけて改築されています。 -
そのうちのひとつは、国際交流の場・ワールドフーズレストラン東山手「地球館」となっています。
世界各国で作られたバッグや衣料品の販売、色々な国の切手の展示、交流の様子などが見られます。
英語や中国語の教室も開催されているようでした。 -
こんな狭く急な路地が現れます。
うわ〜この辺りは歩いていて本当に面白いです。角を曲がったら、坂を上ったら、何が出てくるのかワクワクします。 -
階段を下りてみると、今度は先ほどの洋館群脇の本当に狭い路地に突き当たりました。
まるで城壁にある通路のようです。 -
下界に下りてきました。
またまたお風呂屋さん発見。 -
道の端には、V字溝があります。特徴的ですね。
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もう一本のオランダ坂を下りた先は、孔子廟・中国歴代博物館です。
入ろうかと思いましたが、有料だと知って止めました。余り時間が無いので。 -
歩いていると、今度はボウリング日本発祥地の碑。
本当に「日本初」が多いんだなぁ。長崎はじめて物語。
…”ウ”がやけに細いなぁと思ったら、これもしかして「ボーリング」を直したのかな?! -
進んで行くと、土産物屋が並ぶ道の右側に祈りの丘絵本美術館が見えました。
洋館に和瓦ふきという、当時の長崎独特の洋風建築で素敵な外観です! -
おっと流石長崎、カステラ神社がありました!
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この辺りはカステラの文明堂があったり、トルコライスやちゃんぽんの食べられる店があったり、観光客にはお手ごろなエリアですね〜。
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そろそろ次の目的地に近付いてきました。
ここも歴史ある建物のようです。
つづく
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