1999/08/13 - 1999/08/16
11538位(同エリア17050件中)
砂布巾さん
8月13日 パリ到着
カーンを9:21の列車で出発。11時過ぎにはパリ、サン・ラザール駅に着いた。到着後は宿の確保のため、ポンピドゥー広場前の若者向けのInf.であるOTUに向かう。地下鉄に乗れば早かったけど、地図もないしパリの雰囲気に慣れるために歩いて行く。「ドミトリーを紹介して下さい」に対しては、「その年齢ではダメ」とあっさり却下。でも4泊で700FF(1泊あたり¥3,500 結果的には一番高かった)の宿を紹介してもらった。パリで朝食込みでこの値段なら文句は言えない。「出来るだけ早くチェックインして下さい」の言葉を受け、直ちに地下鉄に乗ってVavin(ヴァヴァン)駅へ。駅の近くだろうからと周辺を歩くが、なかなか見付からない。電池交換を行ったカメラ店、郵便局、そして道を歩いていた女性に尋ねてようやく見付けることが出来た。パリ到着からPension Ladagnousチェックインまで3時間、とにかく長かった~。
軽く食事を取り、一番にアメリカン・エクスプレスのオフィスへ。他の銀行へ行けば多額の手数料を取られることとがわかったので、フランのチェック残り4,000FF分を一気に両替。多額の現金を財布に入れるのはリスクが大きいので、ズボンとパンツの間にはさんでいる貴重品袋に入れる。
その後は、ルーブル周辺、チュイルリー庭園、コンコルド広場、シャゼリゼ通り、凱旋門を歩いてみる。やっぱりパリは華のある街だ。
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実はパリには苦い思い出がある。初めて訪れた大学3年生の時、ミュンヘンからの夜行列車で入って東パリ駅で寝不足のままボーッと立っていたら、ショルダーバックを盗られてしまったのだ。すぐ横に置いていたのに、アッという間の出来事だった。
夕食はペンション近くのレストランでビールを飲みながら69FFの定食を。少し心に余裕が出来たためか、「旅は良いよナー」「歴史を訪ねるって何て楽しいんだろう」と思ったのでした。 -
8月14日 最高の美術館と最低の食事
明日日曜はルーブル美術館の入場料が通常より19FF安く26FFらしいので、最初の予定では今日ヴェルサイユに行こうかと思っていたが、朝から雨模様の天気。ノートルダム寺院に行っても好天になりそうな気配はない。 -
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そこで午後からルーブルに行くことにした。入場まで40分近く待たされたけど、博物館が苦手な割には13時から閉館の18時前までじっくり見学した。展示物の多さにはここでも圧倒されるけど、飽きさせない。ハムラビ法典、ミロのビーナス、そして一番人だかりがしていたモナリザなど歴史教科書の文化史の所を見ているようだ。
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あまりにも無造作においてある。触っている人もいた。顰蹙もの。
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シャゼリゼから凱旋門まで再び歩き、地下鉄で戻る。夕食は昨日の隣のレストランで定食を頼んだ(待っている間に雷雨に)が、これが最悪。サーモンのカルパッチョはまずまずだったけど、付け合わせのスパゲッティが実にまずい。珍しくおかわりまでしてくれたけど、後味の悪さはペンションに帰ってからも尾を引き、昨日とは全く対照的な夕食となった。
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8月16日 パリ散策
パリでの2大目的は達成したので、今日はゆっくり歩く。
ポンピドゥーセンター近くにYHがあったので、19日以降泊まるハノーファーなど4カ所の予約が出来ないか覗いてみた。予約自体は出来るのだけど、自分が泊まりたい所は全てオンラインでの予約は不可能だった。
その後はモネの「睡蓮」で有名らしいオランジェリー博物館、そしてアンヴァリッドへ。後者はナポレオンの墓所としても有名。そして博物館にはブルボン朝以来、第1次大戦まで(なぜか第2次大戦のはなかった)の様々な武器、軍服などが展示されている。特に目を引いたのは、1870年のプロイセン・フランス戦争の際の両軍の動きを克明に示した電光掲示板。軍隊の動きがそこまで細かく残されているとは…。最後は少々ゲンナリしたけど、充実した博物館だった。アンヴァリッドを出たところで、ヴェルサイユに向かう列車、(自分の方が一駅早く降りていたのに)並んでいる列で一緒だったカナダ人女性とバッタリ。 -
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朝食を多めにとったのとアンヴァリッドを2時間たっぷり見学したので、結果的に昼夜兼用となった食事は、読売新聞(トップは「キャンプ場で多数流される」)を読みながらシャンゼリゼのイタリア料理店で。日本語で書かれたメニューの「魚介類入りライス」の文字に引かれたからだ。しかし魚介料理は終わったらしく、「大得意料理」の中からカルボナーラを頼む。ちょっと太い独特の麺だったけど、コシがあってとても美味しかった。結局パリはカルボナーラに始まってカルボナーラで終わった。
食後は再び凱旋門、そしてダイアナ元王妃の事故現場を訪れる。凱旋門の下にはプロイセン・フランス戦争以後、フランスが戦った2つの大戦、アルジェリア独立戦争、インドシナ戦争の犠牲者を慰霊する文字も見えた。アンヴァリッドでの見学と併せて考えてみると、仕掛けたか仕掛けられたかは別にしてフランスはずっと戦争をし続けていたのだな、と思った。 -
(コンコルド広場)
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