1999/08/01 - 1999/08/03
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砂布巾さん
第1部 欧州統合の巻(オランダ、ベルギー)
1999(平成11)年8月1日 旅は Den Haagから始まった
KLM868便は関空出発は定刻だったが、アムステルダムには予定より30分早く到着した。今回はアムステルダムは素通りして、最初の目的地は DenHaag。日露戦争以後、益々強まる日本の朝鮮半島支配の不当性を訴えるため、時の大韓帝国皇帝高宗が密使を派遣する、いわゆるハーグ密使事件の舞台としても教科書に登場する。密使は帝国主義列強から聞く耳を持ってもらえず、皮肉なことにこれを機に日本の韓国支配は一層強まり、1909年の安重根による伊藤博文の暗殺、そして1910年の韓国併合を迎えることになる。
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意外に知られていないがオランダの政治の中心がデン・ハーグ。国会が置かれているのがここだし、在オランダ日本大使館も実はアムステルダムではなくハーグに置かれている。駅からすぐだったYH(値段は38ギルダー=¥2,220)にチェックイン後は、その国会を見学に行く。日本の国会とは似ても似つかないとても可愛らしい国会だった。毎年9月の第3火曜には国王(現在はベアトリクス女王)を迎えて古式ゆかしく国会の開会式が行われるそうだ。
夕食はそのビネンホフの見えるレストランで。雨が降りだして、待っている間に店の中に移動。メニューはオランダ語で書かれていてよくわからないから日替わり定食を頼んでみたら、何とムール貝。決してまずくはなかったけど、量の多さに圧倒されて少し気分が悪くなった。
飛行機の中であまり寝られなかった(12時間トイレに1回も行かなかった)のに歩き回ったりして、少々グロッキー気味。もう今日は寝よう。 -
8月2日 不思議な町〜バールレ・ナッソー
朝は5時過ぎに目が覚める。8時から行動を開始して、昨日場所がわからず断念していた国際司法裁判所へ。アメリカの富豪カーネギーの寄付によって1913年に建てられたこの裁判所、現在では国連の一部門として国際紛争の解決などに若干の成果を挙げている。 -
今日は不思議な町、バールレ・ナッソーに行ってみた。この町のどこが不思議なのか、まずは「地球の歩き方〜ベネルクス編」から抜粋して紹介しましょう。
バールレ・ナッソーという名の不思議な町のお話を聞いて下さい。オランダとベルギーにまたがるだけなら、国境の町にはありがちなこと。でも、オランダ国内にありながら、ベルギーの飛び地(外国領に囲まれた土地)が21カ所あり、そのベルギーの飛び地の中にさらに8つのオランダの飛び地があるといったら、すごく不思議な気がしませんか?
各々の家の前には、国旗が掲揚されているので、どちらの国に属しているのかすぐわかります。
1軒の家が両国に分断されている場合もあるし、レストランのキッチンとテーブルが2つの国にまたがっている場合もあります。 -
町全体がベルギーの飛び地(ベルギー名はバールレ・ヘルトホ)というのなら、話はまだわかる。しかし飛び地の中に更にオランダの飛び地が8カ所もあるというのは、実に理解不能というか不思議極まりない。番地を書いたプレートがオランダ国旗を象っていたり、オランダ国旗を掲げている家がオランダ領だ。両隣をベルギー領に囲まれ、間の家にオランダ国旗が掲げられている場所もあった。
ルクセンブルクも含めたベネルクス3国がいち早く1948年に関税同盟を結成した背景には、この町の存在が少なからず影響しているからではないか? 厳密に国境審査をするならば、隣家に行く場合も必要な場合もある訳だから…。とにかく国境とは何か、ということを考えさせられる場所だった。
ブレダからバスでを利用した行き(なぜか10:24のバスが来ず、1時間待つ)と異なり、帰りはティルブルクまでバスで行って、夕方にはマーストリヒトに到着。直ちにYHに向かう。市内から少し離れた小高い丘の上にあるキャンプ場の中にある。ホテルに隣接しているこのYH、屋内テニスコートもあるし、隣の棟には屋内プールもあるらしく、設備は素晴らしい。ただ市内方面からのバス(行く時の運転手はYHの場所を知らず終点まで連れて行かれた)の最終便が18時半(このため夕食後40分歩いて帰る)と早く、団体向けのホステルという印象。
昼はバールレ・ナッソーで、夜はマーストリヒトでともにマッシュルーム入りのオムレツを食べたけど、味は今一。前者のメニューには金額がギルダーで書かれていた(この町ではどちらの通貨も使える)ので、「ここはオランダ?」と尋ねたら「そうだ」と教えてくれた。 -
8月3日 マーストリヒト〜欧州連合条約 1992年
昨夜は疲れてヘトヘトだったのに、バーでビールを飲む。グラスが小さかったので、一気に2杯飲む。そのためか寝付きは少々悪かったものの、目覚めたのは7時前。日本での休日では考えられない程の早起きだ。
昨夕に続いてマーストリヒトの町中を少し歩く。マーストリヒトは言うまでもなく1992年に欧州連合条約が調印された町。つまりEUのスタートを切った町。条約が調印された場所は、町の中心マルクト広場から駅に向かう石橋から1つ上流に架かっている橋の近くらしかったが、少し遠かったので、橋の上から眺めたのみ。
そもそもEUの前身ECが発足したのは、1870年以後3度敵味方に別れて戦った独仏両国の対立を、将来的に国境の垣根を無くすことによって欧州合衆国の中に取り込み、2度と戦争のない欧州を作ろうとしたことがスタートだと言われる。そのECが中立国のオーストリア、フィンランド、スウェーデンも加えてEUに発展した1997年以後、イギリスの島国根性(このため通貨統合に参加せず)、独仏の主導権争い、域内格差など様々な問題を抱えながらも、一応順調に推移し、真の統合に向かって進んでいると思う。
その反面1991年以後、旧ユーゴを構成していた共和国は、民族間の対立から5つに分裂した。しかしNATOが事実上勝利してとりあえずは落ち着いたコソボ自治州、無理矢理民族別に3分割して辛うじて和平を保っているボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア共和国との分離志向を強めているモンテネグロ共和国、マケドニアのアルバニア人問題など、なお旧ユーゴにおける火種は多い。
このように全く対照的な動きが同時並行的に進んでいる最近の欧州だが、異質な者を排除するような旧ユーゴのようなやり方ではなく、歴史的にも文化的にも異なる民族が国境の垣根を乗り越えようとするEUのようでありたい。
最初はマーストリヒトに2泊して、今日はフランク王国チャールズ大帝ゆかりの地、ドイツのアーヘンへ行く予定にしていたが、団体でも入っているのだろうかYHに1泊しかできなかったので、10:10の列車でベルギーのブリュッセルに向かう。オランダの2泊、正味1日半で使ったのは1万2千円強。食事が3回ともレストランだったし、まあこんなものだろう。
ちなみにマーストリヒト近くにあるドイツ、ベルギーとの3国国境が交わった所がオランダの最高地点で、海抜322.5mだそうだ。 -
(機中から見えた佐渡島)
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