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明治の後期から昭和の初期まで、鰊漁で賑わう一地方都市である小樽が、日本の金融・経済を支える都市のひとつとして、世界から注目を浴びていた時代がありました。色内大通りには大手銀行や地方銀行の本・支店が建ち並び、それらの建物を設計したのは、辰野金吾、佐立七次郎、曾禰辰蔵など当時の日本を代表する一流の建築家たちでした。<br />この一帯はニューヨークのウォール街の対比され「北のウォール街」と呼ばれました。そんな小樽の古き良き時代の面影を今に残す街並み。<br />歴史的建造物、特に明治・大正・昭和の初期の近代建築の大好きな私には、たまらなく魅力的な街並みでした。

レトロな街並み散策 ~北のウォール街~

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2007/11/03 - 2007/11/03

1785位(同エリア2537件中)

ぬいぬい

ぬいぬいさん

明治の後期から昭和の初期まで、鰊漁で賑わう一地方都市である小樽が、日本の金融・経済を支える都市のひとつとして、世界から注目を浴びていた時代がありました。色内大通りには大手銀行や地方銀行の本・支店が建ち並び、それらの建物を設計したのは、辰野金吾、佐立七次郎、曾禰辰蔵など当時の日本を代表する一流の建築家たちでした。
この一帯はニューヨークのウォール街の対比され「北のウォール街」と呼ばれました。そんな小樽の古き良き時代の面影を今に残す街並み。
歴史的建造物、特に明治・大正・昭和の初期の近代建築の大好きな私には、たまらなく魅力的な街並みでした。

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
JRローカル 徒歩

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  • 日本銀行小樽支店は、赤レンガの東京駅や日銀本店の設計者として知られる辰野金吾の設計により、1912年7月(明治45年)に建てらた建物です。<br />

    日本銀行小樽支店は、赤レンガの東京駅や日銀本店の設計者として知られる辰野金吾の設計により、1912年7月(明治45年)に建てらた建物です。

  • 石造建築に見えますが、実はレンガ造の上にモルタルを塗って仕上げており、かなりの重厚感あるルネッサンス風の建物です。

    石造建築に見えますが、実はレンガ造の上にモルタルを塗って仕上げており、かなりの重厚感あるルネッサンス風の建物です。

  • 2003年9月に銀行としての業務を終え、現在は金融資料館となっています。

    2003年9月に銀行としての業務を終え、現在は金融資料館となっています。

  • 中に入ると典型的な銀行建築となっており、吹き抜けの天井には6本の蛍光灯を雪のマークのように配した照明がついています。

    中に入ると典型的な銀行建築となっており、吹き抜けの天井には6本の蛍光灯を雪のマークのように配した照明がついています。

  • 煉瓦製の壁から鉄骨を組むことで広い吹き抜けの空間を実現した営業場の天井

    煉瓦製の壁から鉄骨を組むことで広い吹き抜けの空間を実現した営業場の天井

  • アイヌの守神であるシマフクロウをコンセプトにデザインされ、内壁だけで12体を数える塑像があります。<br />

    アイヌの守神であるシマフクロウをコンセプトにデザインされ、内壁だけで12体を数える塑像があります。

  • 吹き抜けの2層の位置にはキャットウォークが回っています。

    吹き抜けの2層の位置にはキャットウォークが回っています。

  • 日銀小樽支店の向いに建つ旧北海道銀行本店。日銀支店と同じ頃の1912年(明治45年)に建てられたものです。

    日銀小樽支店の向いに建つ旧北海道銀行本店。日銀支店と同じ頃の1912年(明治45年)に建てられたものです。

  • アーチ状に作られた石組みの窓周りのデザインや、装飾の彫刻が美しい建物で、ワインカフェ「小樽バイン」として営業中です。

    アーチ状に作られた石組みの窓周りのデザインや、装飾の彫刻が美しい建物で、ワインカフェ「小樽バイン」として営業中です。

  • 旧越中屋ホテル(小樽グランドホテル・クラシック)<br />昭和6年に建築された北海道初のホテル建築で、当時は外国人専用のホテルだでした。

    旧越中屋ホテル(小樽グランドホテル・クラシック)
    昭和6年に建築された北海道初のホテル建築で、当時は外国人専用のホテルだでした。

  • 平成5年に小樽グランドホテル・クラシックとして生まれ変わりました。本来はこのホテルを予約していましたが、女房も一緒に来ることになりヒルトン小樽に変更しました。

    平成5年に小樽グランドホテル・クラシックとして生まれ変わりました。本来はこのホテルを予約していましたが、女房も一緒に来ることになりヒルトン小樽に変更しました。

  • ここもレトロな感じでいいですね。

    ここもレトロな感じでいいですね。

  • 欄間のステンドグラスもきれいです。

    欄間のステンドグラスもきれいです。

  • 旧三井銀行小樽支店(三井住友銀行小樽支店)<br />昭和2年に、曾禰中條建築事務所の設計、竹中工務店の施工により三井銀行小樽支店として新築された建物で、小樽で最初の鉄筋コンクリート造の建物でした。壁面には北米産の花崗岩が貼られ、とても重厚感のある姿に成っています。

    旧三井銀行小樽支店(三井住友銀行小樽支店)
    昭和2年に、曾禰中條建築事務所の設計、竹中工務店の施工により三井銀行小樽支店として新築された建物で、小樽で最初の鉄筋コンクリート造の建物でした。壁面には北米産の花崗岩が貼られ、とても重厚感のある姿に成っています。

  • 「北のウォール街」界隈で唯一都市銀行として機能していたましたが、平成14年11月に閉鎖されました。その後、問題を起こした「白い恋人」で有名な石屋製菓が取得しましたが、活用計画は未定のようです。

    「北のウォール街」界隈で唯一都市銀行として機能していたましたが、平成14年11月に閉鎖されました。その後、問題を起こした「白い恋人」で有名な石屋製菓が取得しましたが、活用計画は未定のようです。

  • 北のウォール街のメインストリートの角にあるのは、旧北海道拓殖銀行小樽支店の建物。

    北のウォール街のメインストリートの角にあるのは、旧北海道拓殖銀行小樽支店の建物。

  • 1923年(大正12年)に建てられたもので、北のウォール街の交差点に面してアールを取り入れた大正建築の北海道を代表するビルです。<br />

    1923年(大正12年)に建てられたもので、北のウォール街の交差点に面してアールを取り入れた大正建築の北海道を代表するビルです。

  • 国会議事堂の設計者である矢橋賢吉の作品です。

    国会議事堂の設計者である矢橋賢吉の作品です。

  • この石積みの蔵は歯医者さんになっています。

    この石積みの蔵は歯医者さんになっています。

  • 昭和8年に建てられた小樽商工会議所は、戦前は樺太にまで商圏を伸ばし、まさに北海道経済の中心的存在だったそうです。

    昭和8年に建てられた小樽商工会議所は、戦前は樺太にまで商圏を伸ばし、まさに北海道経済の中心的存在だったそうです。

  • この土蔵風の建物は旧塚本商店<br />大正5年に建てられた呉服問屋の店舗は長年、土蔵造だと思われていたそうですが、現在では木骨コンクリート造りであることが判明したそうです。<br />隣に建っているのは39年に建てられた木骨石造り3階建ての梅屋商店。梅屋は洋物の卸問屋で、呉服を扱う隣の塚本商事とは敵対関係にあったとか。<br />

    この土蔵風の建物は旧塚本商店
    大正5年に建てられた呉服問屋の店舗は長年、土蔵造だと思われていたそうですが、現在では木骨コンクリート造りであることが判明したそうです。
    隣に建っているのは39年に建てられた木骨石造り3階建ての梅屋商店。梅屋は洋物の卸問屋で、呉服を扱う隣の塚本商事とは敵対関係にあったとか。

  • これは何の建物か見落としてしまいましたが、歴史的建造物の看板はありませんでしたが、古そうな建物です。

    これは何の建物か見落としてしまいましたが、歴史的建造物の看板はありませんでしたが、古そうな建物です。

  • 旧第四十七銀行小樽支店(北海道紙商事)<br />昭和5年に建築されたこの建物、石造かコンクリート造に見えますが、実は木造なんです。他の銀行に比べると小振な建物す。第四十七銀行は後に統合され、富山に本店を持つ北陸銀行小樽支店となりました。今は北海道紙商事の事務所として使用されています。

    旧第四十七銀行小樽支店(北海道紙商事)
    昭和5年に建築されたこの建物、石造かコンクリート造に見えますが、実は木造なんです。他の銀行に比べると小振な建物す。第四十七銀行は後に統合され、富山に本店を持つ北陸銀行小樽支店となりました。今は北海道紙商事の事務所として使用されています。

  • 旧安田銀行小樽支店(北海道経済新聞社)<br />昭和5年に建築された旧安田銀行小樽支店は、その後富士銀行となり、昭和45年より北海道新聞社の社屋となっています。二階まで通しの円柱が特徴の、古典的様式の建物です。

    旧安田銀行小樽支店(北海道経済新聞社)
    昭和5年に建築された旧安田銀行小樽支店は、その後富士銀行となり、昭和45年より北海道新聞社の社屋となっています。二階まで通しの円柱が特徴の、古典的様式の建物です。

  • こちらは小樽市博物館となっている倉庫。<br />もともとは、1894年に建設された旧小樽倉庫で、屋根には銀瓦製のシャチホコが鎮座しています。<br /><br />

    こちらは小樽市博物館となっている倉庫。
    もともとは、1894年に建設された旧小樽倉庫で、屋根には銀瓦製のシャチホコが鎮座しています。

  • 荒田商会は、運河沿い道路に面して建っている建物で、海産物を商い、後に海運業までに成長した、荒田太吉商店の本店事務所として、昭和10年に建てられた、木造モルタル2階建ての建物です。<br />

    荒田商会は、運河沿い道路に面して建っている建物で、海産物を商い、後に海運業までに成長した、荒田太吉商店の本店事務所として、昭和10年に建てられた、木造モルタル2階建ての建物です。

  • 荒田商会の裏側にある旧高橋倉庫。木骨石造り2階建ての倉庫で、大正12年にロンドン相場を動かしたと言われる小豆将軍の高橋直治により、大正12年に事務所として建てられた後に倉庫として使われたものです。<br /> 高橋は越後出身で、故郷の新潟からの海産物や米を扱い、特に小豆の取扱いでは一世を風靡しました。後に高橋合弁会社を設立。小樽選出の初の衆議院議員となった人でもあります。<br />

    荒田商会の裏側にある旧高橋倉庫。木骨石造り2階建ての倉庫で、大正12年にロンドン相場を動かしたと言われる小豆将軍の高橋直治により、大正12年に事務所として建てられた後に倉庫として使われたものです。
     高橋は越後出身で、故郷の新潟からの海産物や米を扱い、特に小豆の取扱いでは一世を風靡しました。後に高橋合弁会社を設立。小樽選出の初の衆議院議員となった人でもあります。

  • 荒田商店から奥の高橋倉庫につながるゲートは後から設置されたもののようです。

    荒田商店から奥の高橋倉庫につながるゲートは後から設置されたもののようです。

  • 旧北海道拓殖銀行小樽支店の建物、運河側から見ると全く違う建物に見えます。北海道の一地方都市の小樽に、中央で当時の売れっ子建築家の作品が並んでいることを考えると、当時の小樽は北のウォール街と呼ばれるにふさわしい栄華を誇った時期があったのですね。

    旧北海道拓殖銀行小樽支店の建物、運河側から見ると全く違う建物に見えます。北海道の一地方都市の小樽に、中央で当時の売れっ子建築家の作品が並んでいることを考えると、当時の小樽は北のウォール街と呼ばれるにふさわしい栄華を誇った時期があったのですね。

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