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函館本線の余市駅を降りて、駅前の信号を渡るとすぐ目の前に石造立派な門が見えてきます。小樽に向かう途中ここで途中下車したのは、ここニッカウヰスキー余市蒸留所を見学するため。<br />この地に、日本最初のウィスキー工場を造ったのは竹鶴政孝。<br />1934年にことでした。<br />摂津酒造の社員としてスコットランドでウィスキーの製造技術を学んだ竹鶴が、帰国後初めて本格的な国産ウイスキーを製造したのが寿屋(現サントリー)でのことでした。数年後独立した竹鶴が、ウイスキー造りの理想の地として選んだのが、ここ余市でした。<br />竹鶴の「ウイスキーは北の風土が育むもの」と言う信念をもとに、環境に調和し景観にも配慮した工場造りをすすめ、1936年にポットスチルに火がくべられ、モルトウィスキーの製造が開始されました。国産ウィスキーの発祥の地ともいえる昭和初期の工場や倉庫を中心とする建物群が当時のまま保存され公開されています。<br />古い建物をこよなく愛する私にとって、なんともいえない居心地の良い場所でした。

日本のウィスキーの原点を訪ねる~ニッカウヰスキー余市蒸留所~

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2008/08/11 - 2008/08/11

222位(同エリア257件中)

ぬいぬい

ぬいぬいさん

函館本線の余市駅を降りて、駅前の信号を渡るとすぐ目の前に石造立派な門が見えてきます。小樽に向かう途中ここで途中下車したのは、ここニッカウヰスキー余市蒸留所を見学するため。
この地に、日本最初のウィスキー工場を造ったのは竹鶴政孝。
1934年にことでした。
摂津酒造の社員としてスコットランドでウィスキーの製造技術を学んだ竹鶴が、帰国後初めて本格的な国産ウイスキーを製造したのが寿屋(現サントリー)でのことでした。数年後独立した竹鶴が、ウイスキー造りの理想の地として選んだのが、ここ余市でした。
竹鶴の「ウイスキーは北の風土が育むもの」と言う信念をもとに、環境に調和し景観にも配慮した工場造りをすすめ、1936年にポットスチルに火がくべられ、モルトウィスキーの製造が開始されました。国産ウィスキーの発祥の地ともいえる昭和初期の工場や倉庫を中心とする建物群が当時のまま保存され公開されています。
古い建物をこよなく愛する私にとって、なんともいえない居心地の良い場所でした。

交通手段
JRローカル 徒歩

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この旅行記へのコメント (5)

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  • arfaさん 2008/10/26 14:43:12
    ぬいぬいさん、こんにちは。
    arfaです。今日は物言いでーす。

    竹鶴政孝は純国産ウイスキーの製造を企画した摂津酒造がスコットランドに派遣した技術者で世界恐慌により計画が頓挫、新たに純国産ウィスキーの製造に情熱を傾けた寿屋(現サントリー)の鳥井信治郎に誘われ1923年6月に入社、同年11月11日竣工の山崎蒸留所(現サントリー山崎蒸留所)の初代所長に就任します。これが日本初の蒸留所で余市は2番目の蒸留所です。

    その後、寿屋がウィスキーの多大な赤字で竹鶴が工場長を務めていた「おらがビール横浜工場」を売却。この時、寿屋との10年間の契約を終えた竹鶴政孝が職人をひきつれて余市の地で加賀証券をスポンサーに1934年4月に日本果汁を設立(略して日果=ニッカ)しました。おそらく竣工は1934年末頃でしょう。

    決して鳥居信次郎と竹鶴政孝は不仲ではなく、共通した舶来を凌駕する純国産ウイスキーの製造で一致していました。日本人の好みに合うウィスキーを作ろうとした鳥居信次郎と本場のスコッチの再現をめざしたのが竹鶴政孝ということです。お互い強烈な個性の持ち主であり別れてよかったのでしょう。

    ぬいぬい

    ぬいぬいさん からの返信 2008/10/26 15:00:47
    勉強になりました
    arfaさん こんにちは

    いやー お詳しいですね。
    ビールやウイスキーの日本の発祥についてとても興味があり、この夏の北海道へ行った際に、余市に途中下車してニッカ余市蒸留所を見てきたのですが
    ニッカウイスキーの創業者として竹鶴政孝の名前は知っていたのですが、彼がどんな経緯をもってニッカウヰスキーを起こすことになったのかは、蒸留所に行っての聞きかじりだけでしたので、とても勉強になりました。
    札幌ではビール園のビール博物館へいってビールについても学んできました。

    arfa

    arfaさん からの返信 2008/10/26 16:34:17
    RE: ぬいぬいさん、こんにちは。
    arfaです。早速の返信ありがとうございます。

    >いやー お詳しいですね。
    いやいや恐縮です。仕事柄、多少の知識があるだけですよ。

    竹鶴をスコットランドに派遣した摂津酒造は戦後宝酒造と合併してその名は消えます。

    鳥居信次郎は薬種問屋小西儀助商店でアルコールを学び、後に寿屋(サントリー)を起こしますがこの小西商店はアサヒビールの設立もしており現在ニッカウヰスキーを傘下に収める企業ですが現在は接着剤のトップメーカーです。
    飲料アルコール部門を切り離した大阪洋酒醸造会社がアサヒビール、独立したのがサントリー、そこからさらに独立したニッカを支えたのがアサヒビールとまさにボンドの会社が日本のアルコール飲料産業を育んだのです。

    ぬいぬい

    ぬいぬいさん からの返信 2008/10/26 23:01:31
    RE: ぬいぬいさん、こんにちは。
    いやあ〜 接着剤の会社が日本のウイスキーやビール製造元の起源だなんて
    全く知りませんでした。

    またまた勉強しちゃいました。

    ありがとうございます。

    arfa

    arfaさん からの返信 2008/10/27 00:15:39
    RE: ぬいぬいさん、こんにちは。
    接着剤もウィスキーもビールももともとは薬品であるアルコールを扱っていた薬種問屋の商品なんですね。小西儀助商店(現コニシ)の登記上の本社です。ご参考までに。
    http://4travel.jp/traveler/arfa/pict/11811462/

    薬種問屋の街、道修町だけあって現在も武田製薬や田辺製薬、塩野義製薬、住友製薬、三菱ウェルファーマ、薬品卸のアルフレッサなどの本社が軒を連ねていますよ。

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