1997/04/27 - 1997/05/02
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旅人のくまさんさん
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<1997年4月27日>
4月27日昼前に名古屋空港を出発し、1時間半後には釜山郊外の金海(キメ)空港に到着しました。海上を飛ぶ時間はわずかです。島伝いに少し飛べば、すぐに韓国といった感じでした。
<釜山到着>
未だ、海の上でなければ交通手段を持っていなかった昔でも、容易に往来ができたであろうことが空の旅から想像できます。地理的に日本とは、本当に近い国です。
九州、とりわけ対馬とは殊更です。空港到着後、釜山市内へは大韓航空の青塗りのリムジンバスで移動しました。その後、すぐに釜山港へと向かいました。演歌でお馴染みの『プサンハン』です。最初のおおざっぱな計画では、夜のフェリーに乗って済州島に渡り、2日ほど島内観光をする予定です。
<フェリーの予約>
例によって、一切の韓国内移動の乗り物、宿も予約無しの旅です。もし、フェリーが予約できなかった場合は、釜山で1泊する予定でした。
幸い、釜山を19時発、翌朝7時に済州島到着の便が予約できました。乗船まで少し時間がありましたので、荷物をコインロッカーに預け、港付近を1時間ほど散策しました。
毎回のことながら、手荷物1つにコンパクトにまとめてはいるものも、荷物を持って歩くのは煩わしいことです。夕刻時を迎えて、市場は賑わいを見せはじめていました。早くも屋台で焼酎を飲みはじめている現地の人を見掛けました。チャガルチ市場の中でした。
しかし、夕食には早過ぎる時間でした。まだ明るいし、名古屋とは実質的に約1時間の時差もあります。そこで、2人で相談し、夕食はフェリーに乗船してからとることに決めました。
ところで、今日が旅行の初日です。フェリーに乗ってしまった後では、何となく食べ物にありつけない心配もありました。念のため、のり巻(キンパップ)を夜食用に買っておくことにしました。
<済州島へ>
予定通り19時に釜山港を出港できました。案内された船室は、廊下に面したドアを開けたところにありました。船室は広間とベッドルームに別れていて、14人分の2段ベッドが設えてありました。2等か3等船室に当たるのでしょう。
それでも、雑魚寝の大部屋にくらべますと、誠に恵まれています。部屋に案内されて暫くは、他の船客は入ってきませんでした。それで、最初は自分たち2人だけかと喜んでみたものの、次第に人が増えて、7人ほどになりました。
済州島は、韓国の新婚さんのメッカのようです。昔の日本で言えば、宮崎、別府、あるいは伊豆半島の観光地といったところです。日本の場合、今は海外旅行が主で、状況が変わってしまいました。韓国でも、本当のお金持ちのカップルは、海外旅行になるようです。
<父との思い出>
船上から眺めた釜山の街は、山の中腹まで家々が立ち並んでいます。その昔、父に連れられて見た、佐世保の町並みが思い出されました。長崎県の港町です。それも、ずいぶん昔の事であり、私の中学生の時です。
この時食べたあんかけの魚の味も忘れられません。若い頃、平戸で育ち、玄界灘で育った父は、海のこと、魚のことをよく語ってくれました。
新鮮な鯛が手に入った時は、母に替わって父が鯛茶漬けを作るのが恒例でした。白い身が熱湯で反り返り、淡泊な味付けの一飯が、今でも忘れられない思い出となっています。
魚は『釣ったばかりの刺身より、浜で焼いたのが一番』だと言うのも父の口癖でした。佐世保で食べた、あんかけの白魚は、私にとってはご馳走でしたが、父は満足できる美味しさではないと言って、少しだけ不満そうでした。
父にとっては、本当に美味しい味、あるいは思い出に繋がる特別の味があったのかも知れませんでした。その頃の自分には、とうてい理解できる世界ではありません。その父が亡くなって、既に10年以上の歳月が経ちました。
釜山は、山が海近くまで迫っており、良港は、こんな地形に出現するようです。昔のことで、曖昧な記憶になってしまいましたが、佐世保の町もこんな感じでした。父は若い頃、この町で、薬局を開いていたこともあったと、私たち兄弟に話してくれました。
<夜行フェリーの旅>
釜山は、韓国第2番目の都市であり、船から眺める夜景も素晴らしいものでした。普段目にする、高いところから眺める夜景と違って、海面に浮かぶ不夜城でした。
名古屋からは、済州島までの飛行機直行便があります。この島だけが目的なら、今回のような経路は無意味です。しかし、釜山の夜景を見ながら、船旅での済州島巡りというのも一興あります。何物にも代え難い、旅そのものです。
船内には、一応食堂も設備されていましたが、メニューはあまり変わり映えしませんでした。日本語が話せるマスターの勧めに従って、焼き肉定食にしました。
ほかの客も似たようなものを注文していました。ほとんどマスターの誘導であることが分かりました。多分、『お値打ちで早く出来ますよ』などと言って勧めたのかも知れません。あるいは、ほかの料理は『少し時間がかかりますが、それでもいいですか?』と言ったことでしょう。
国内航路の夜行のフェリーでは、食べ物に贅沢はできないようです。普段、夜にはコーヒーを飲みませんが、少し退屈になったのと、丁度船内に喫茶コーナーがありましたので、この習慣を破ることにしました。食事を終わってしまえば、何もすることがない、夜行の船旅です。
無理して早く寝ようと思いましたが、コーヒーのカフェインとあいまって、エンジンの音と振動で、寝付きはよくありませんでした。船室の位置によっては、相当に騒音と振動があるようです。これが旅の風情であり、音でしょうか。
しかし、鉄道のレール切れ目で発する規則音と同じようにも思えて、次第に気にならなくなりました。それで、次第に眠りの中に誘われていきました。
釜山に向かう機上で
春霞釜山は近き島伝い
釜山の町中で
飾付け半ばなりけり花祭り
灌木を卍に植えし若葉哉
釜山港から済州島へ向かう船上で
春霞釜山の灯りやがて去り
春の夜の長きを過す島巡り
花飾る車と共にフェリー往く
湾の外船は泊りぬ春明かり
春宵にハングル聞きし旅の夜
春の海山迫りたる釜山港
春の風船に纏わり釜山発つ
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 高速・路線バス 船
- 航空会社
- 大韓航空
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済州島で買求めた絵葉書からの紹介です。菜の花畑の風景です。司馬遼太郎さんは『街道をゆく』で韓国を旅されています。かつて、眺められた景色なのでしょうか。
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絵葉書の解説では、朝鮮ツツジとあります。平戸ツツジ、霧島ツツジ等と親戚か、あるいは同じ種類なのかも知れません。
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海女の風景です。チェジュの方言ではビバリと言うようです。日本と変わるところが無い光景です。「アマ」とは「天」のことでもあり、不思議な言葉です。
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竜頭岩と呼ばれています。この荒々しさは、かって、火山の島であったせいかも知れません。済州島の北西側になります。
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日本語の解説がありませんが、籠の中の壺は、水運びのためのようです。水の意味の韓国語の「ムル」の文字が読みとれました。
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韓国の石の文化に、かつて読んだ松本清張さんの『火の路』を重ねて見てしまいます。チェジュで有名な石のおじさんです。
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石のおじさんの正面像です。眼を瞑って、いかにも歴史の証人のような顔立ちです。
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済洲島の亜熱帯植物です。蘭の花です。シンビジュウム当たりでしょうか。薬草として、温室の中でクリソトクサム(デンドロビュウムの原種の1つ)が栽培されていました。
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トロピカルムードたっぷりのバナナの花です。小さな実が付き始めています。
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