2007/03/14 - 2007/03/14
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スキピオさん
再びモンマルトルの墓地を歩きました。以前写真に収められなかったお墓を紹介します。
【エミール・ゾラの墓】
エミール・ゾラ(1840-1902)の偉大さはいくら強調してもし足りないほどです。もちろん小説の質、量、深み、どれも一級品です。その膨大な小説は『ルーゴン=マッカール』(全20巻)というつながりを持った広大な河となります。例えば有名な『居酒屋』のヒロイン「ジェルヴェーズ」の娘は、次の小説『ナナ』のヒロイン、「ナナ」となり、息子は『ジェルミナル』に登場します。そうです、彼の小説の登場人物は、当時発見されたばかりの「遺伝の法則」にのっとって、次々と20巻の小説に受け継がれていくのです。
日本には自然主義文学として紹介され、島崎藤村や田山花袋に大きな影響を与えました。
また、「ドレフュス事件」の時には《我弾劾す》と、大統領以下の政府と軍関係者を新聞で告発し(1898)、正義のために堂々と闘いました。
そのために偉人にふさわしく、彼の遺骸は偉人の眠るパンテオンに移送されています。
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【アンペール父子の墓】
父親アンドレ・マリー・アンペール(1775-1836)は電気の単位「アンペア」でおなじみの物理学者で、息子ジャン=ジャック・アンペール(1800-64)は作家です。
息子のアンペールはレカミエ夫人とも交流があり、往復書簡が有名。レカミエ夫人(次に紹介)もこの墓地に眠っています。 -
【レカミエ夫人の墓】
ナポレオン帝政時代に最も有名なサロンを開いていたのが、レカミエ夫人でした。
このサロンはどちらかといえば反ナポレオン派が集まっていたようです。アンペール、コンスタン(「ペール・ラシェーズの墓地」)、シャトーブリヤン(コクリコさんの「2006年夏サン・マロ(夏物語)」に彼の墓の写真あり)たちが友人でした。
アンペールもシャトーブリアンもそうでしたが、敬虔なカトリックだったのでしょう。十字架が描かれています。 -
【ジェラール作 レカミエ夫人の肖像】カルナヴァレ美術館所蔵
レカミエ夫人(1777-1849)はいわゆる白い結婚をしたと噂されています。つまり、レカミエ氏とは形だけの結婚だったというわけです。 -
【セギュール伯爵夫人の墓】
夫人(1799-1874)は、ナポレオンのモスクワ遠征時の、ロシア側のモスクワ司令官ロストプーチン伯爵の娘でした。
のちにフランスのセギュール伯と結婚して、フランスに移り住みます。彼女は子供たちのために美しい物語をたくさん書きました。
『学問のあるロバの話』『ソフィーの不幸』などなど、偉大な童話作家でした。日本にも翻訳があります。 -
【ダブランテス公爵夫人の墓】
ロール・プレモン(1784-1838)は、子供の時からナポレオンにかわいがられていました。ですから、彼女が皇帝の側近ジュノー将軍と結婚するのはごくごく自然でした。有能な将軍でしたから(ダブランテス公となる)。ところが、彼はスペイン遠征から戻ると突然狂気にとらわれ、自殺して果ててしまいます(1813)。
のち、ナポレオンについての生き字引のような存在となった彼女は、文豪バルザックにその思い出を語ったり、また、自ら膨大な回想録を書きました。 -
【スタンダールの墓の碑文】
スタンダールの墓は以前紹介しましたが、碑文をとりましたので、あらためて掲載します。
以下のように書かれています。
アッリゴ・ベイル
ミラノ人
書いた
愛した
生きた
享年59歳
三月22日に没す
1842年
スタンダールの本名は「アンリ・ベイル」と言います。もちろんフランス人ですが、イタリアをとりわけミラノを愛した作家が、最後の「嘘」をついたのです。 -
墓地には猫がよく似合う。この墓地は猫の天国でもあります。何匹もいました。
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【椿姫】
大流行作家アレクサンドル・デュマの息子のアレクサンドル・デュマが彼女と出会ったのはまさに運命でした。
彼女の名前はアルフォンシーヌ・プレシスといいました。 -
【椿姫】
アルフォンシーヌ(1824-47)は Demi-mondaine つまり、高等娼婦でした。いつもいつも胸に椿の花を飾っていました(この伝説はデュマによります)。高等娼婦でしたが、青年に深い愛情を、もちろん無償で、そそぎました(これもデュマのもの。実際はペルゴー伯爵に対する愛です。彼女は、ペルゴー伯と結婚します)。しかし、長続きはしませんでした。パルカの糸はあまりに短かったのです(享年は23歳でした)。
デュマ・フィスは彼女を『椿姫』として、永遠の女性にしました。その劇を見たヴェルディは彼女をオペラのヒロインにして永遠の恋人にしました。 -
【ブオナロッティの墓】
革命家フィリップ・ブオナロッティ(1761-1837)はイタリア生まれのフランスの革命家でした。ブオナロッティという名前はイタリアの名門貴族の名です。あのミケランジェロの家名ですから、この革命家は彼の子孫かも知れません。 -
【革命家ブオナロッティの墓】
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【ゴンクール兄弟の墓】
日本の芥川賞にあたる、純文学の登竜門は、フランスではゴンクール賞と呼ばれています。もちろん、このゴンクール兄弟の名前から来ています。なにしろ、この二人ほど純粋に文学に身を捧げた人はいないでしょうから。
兄弟は、芸術作品のために時には残酷なほど、ひたすら観察し、描写していました(『ジェルミニー・ラセルトゥー』)。怖いほどのレアリスムを追求しました。 -
【アルフレッド・ド・ヴィニーの墓】
ロマン派の代表的な詩人ヴィニーは、耽美とすれすれのところを歩く。傑作『ステロ(詩人の運命)』のなかで、彼は芸術至上主義の魅力と恐ろしさを見せてくれる。 -
【ラ・グリューの墓】
ラ・グリューの本名はルイーズ・ヴェベール(1866-1929)と言い、洗濯屋の娘でした。ただし、洗濯よりも踊りのほうがずっとずっと大好きな娘で、夜な夜な、場末の舞踏場で踊っていました。
そんなとき、ひとりの興行主に目を付けられ、一緒にムーラン・ルージュ(赤い風車)を立ち上げました。
彼女はオーギュスト・ルノワールと出会い、モデルの世界に入り、その息子の映画監督ジャン・ルノワールによって『フレンチ・カンカン』という題名で映画化されました。監督ルノワールは、偉大さにおいて父親に引けを取らない、映画史上最高の映画監督です(『大いなる幻想』『ケームの規則』などなど)。
彼女はカンカン踊りの天才でした。 -
【ラ・グーリュのポスター】(wikipedia より転載)
彼女の姿に目を付けたのはルノワールばかりではありません。そうです。トゥールーズ・ロートレックが彼女の踊りを永遠化しました。
手前には「骨なしバランタン」もいます(山高帽の男)。彼も映画「フレンチ・カンカン」に登場し、いい味を出しています。まだこの映画をご覧でない方、ものすごくお薦めです。
ラ・グーリュとは、「大食らい」の意味です。彼女ののみっぷりがものすごかったので、こんなあだ名がついたそうです。 -
【ラビッシュの墓】
ウージェーヌ・ラビッシュ(1815-88)は、第二帝政下に一世を風靡した劇作家でした。プチ・ブルジョワの滑稽さを余すところなく描いています。 -
【ルイ・ジューヴェの墓】
モリエールの傑作『女房学校』『タルチュフ』『ドン・ジュアン』などなどを演じさせたら、ルイ・ジューヴェ(1887-1952)の右に出る人はいないでしょう。彼は天才的な俳優でした。また、コンセルヴァトワールの教授として後進の指導にも力を注ぎました。
この名優は映画にも出ています。『北ホテル』(マルセル・カルネ監督)『どん底』(ルノワール監督)『女だけの都』(ジャック・フェイデ監督)『舞踏会の手帳』(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督)、僕が見たのはこれだけだったかな?
いずれも大傑作で、映画史上に残る名作です。第一に監督がすごい。一流の監督ぞろいです。
ルイ・ジューヴェに匹敵する俳優と言ったら、あとはもうジャン=ルイ・バローしかいないでしょうね(『天井桟敷の人々』これもマルセル・カルネ監督)。 -
【北ホテル】
ウージェーヌ・ダビの小説『北ホテル』の映画『北ホテル』で、一躍有名になったホテルですが、現在はレストランとして営業しています。
ここに滞在する男や女の人間模様が、静かな下町を舞台に展開されます。その登場人物たちの中にあって、ルイ・ジューヴェは、どんな映画に出てもそうなのですが、不思議な存在感をもっています。 -
【ジョルジュ・クルーゾの墓】
アンリ=ジョルジュ・クルーゾ(1907-77)は厳しいレアリスムの映画作家でした。もしかすると、冷たすぎるまなざし、と彼のことを言うかも知れません。ようするに、ハリウッド的なおめでたい映画は彼の作品には毛ほどもないということです。 -
【映画『恐怖の報酬』の一場面】(ラルース映画辞典より転載)
ニトログリセリンのタンクローリーを運転し、目的地までニトロを運べば莫大な報奨金が出る。だれでも尻込みする恐ろしい仕事に二人の男が挑戦することに・・・
一人は途中で死んでしまうが、一人(イヴ・モンタン)はなんとか成し遂げる。成功してハッピーエンド?
そんなわけありません。
ものすごい迫力の映画です。 -
【オータン=ララの墓】
クロード・オータン=ララ(1901-)は僕にとっては文学作品の映画を撮った監督、という印象です。
『青い麦』(原作者:コレット)『赤と黒』(原作者:スタンダール)『肉体の悪魔』(原作者:ラディゲ)などなど。
もちろん、いろいろな映画を撮っています。 -
【映画『肉体の悪魔』の一場面】(ラルース映画辞典より転載)
時代は第一次世界大戦のとき、夫が出征して一人となった美しい夫人(ミシュリーヌ・プレール)に無邪気な恋をする高校生(ジェラール・フィリップ)、いつしか二人の恋は紅蓮の炎となって燃え上がり、悲劇へと・・・
作者のレイモン・ラディゲ(1903-23)は早熟の天才ともてはやされましたが、そのあと20歳で世を去りました。 -
【サッシャ・ギトリの墓】
映画作家、俳優、劇作家、肩書きはいくらでも出て来るサッシャ・ギトリ(1885-1957)は、アフォリスム(格言)集も出しています。
彼の一言・・・知りすぎた男と女のあいだにある壁は、知り合いではない男と女のあいだにできている溝より超えるのは困難だ。
彼の冗談一つ・・・結婚? 結婚というのはレストランの食事だよ。その心は、隣の料理が気になる。
ちなみに、ギトリは3回は結婚したと思います。隣の料理のほうがおいしそうに見えたのですかね。 -
【ミシェル・ベルジェと娘ポーリーヌの墓】
ペルジェは本名が Michel-Jean Hamburger と言います。フランスを代表するシンガー・ソングライターでしたが、心臓発作によって、とつぜん47歳の生涯を終えてしまいます。この突然死は妻のフランス・ギャルにはひどくこたえました。
二人の愛の結晶ポーリーヌまでもが死んでしまったからです。 -
【ベルジェの写真】フランス・ギャルが出したベルジェの写真集『幸せが存在するなら』の表紙より。
ミシェルは作詞家としても、作曲家としてもすぐれていました。特に彼のミュージカル『スタルマニア』はすばらしい。 -
【フランス・ギャルの写真】写真集『幸せが存在するなら』より。
日本でもおなじみの『夢見るシャンソン人形』(セルジュ・ゲンスブール作詞・作曲)のヒットから何年になるでしょう。
彼女はいかに売るためとはいえ、イザベルという両親がつけてくれた名前を捨てて「フランス」と名乗るのが嫌だったそうです。また、歌手としてちゃんと評価してくれない芸能界にもうんざりしていたそうで、そんな中で本当の芸術家と出会い、恋に落ちたのです。
ベルジェとは運命の出会いでした。
ベルジェ亡き後も、がんばってください、ギャル!
「ソワレ・デ・ザンフォワレ(愚者たちのコンサート)」で、愛する夫を追慕するためかのように歌っています。フランス・ギャルは苦難を超えてますます魅力が増しました。 -
【アンリ・ロシュフォールの墓】
新聞記者にして、政治家のロシュフォール(1831-1913)はパリ・コミューンに参加して、のちニュー・カレドニアに追放され、戻って代議士となり(1885)、今度はブーランジェ派として、右翼にまわる。不思議な政治家だ。 -
【ロペスの墓】
フランシス・ロペス(1916-95)は日本では、ほとんど知られていませんが、戦前の大作曲家でした。リュシエンヌ・ドリール(戦前の大歌手)などが彼の曲を歌っています。
最後に、ここに紹介した方々の冥福を祈ります。
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