2006/08/01 - 2006/08/20
11535位(同エリア17046件中)
スキピオさん
パリの通りはぶらぶら歩きの速度に最適・最高。何気ない風景が僕たちに語りかけてくれる。
【モン・スニ通り(18区)】
モンマルトルの丘を北側から登るなら、このモン・スニがいい。長くて、だらだらの登り坂で疲労もたまる、でもそんな時ひと息入れるために立ち止まり、振り返ってみるといい。登るにつれて変化する下に広がる街の景色、これがまたいいのだ。
相当登ったな、と思うと目の前に階段がある。この階段こそモンマルトルそのもの、元気を絞り出して断固登ろう。すると二つ目の階段の上で大勢の観光客がこちらを見ているのでびっくりするはず。なになに???
そう、そこはもう「テルトル広場」のすぐそば、いきなりにぎにぎしい観光地に突入。
モン・スニはアルプス山脈の山塊、3320メートルの高さ。そこからアルプス越えの名所「モン・スニ峠」が見える。
もちろんパリのモン・スニはその10分の1の高低差もありません。
-
【ルピック通り(18区)】
映画『アメリ』であまりにも有名になったカフェ「ドゥー・ムーラン」
店の左側は【ジョゼフ・ド・メ−ストル通り】、この通りを行くと「モンマルトルの墓地」に出ます。
ルイ・ルピック(1765〜1828)は革命、ナポレオン時代の軍人。将軍となり、後にアンドレジ−伯爵の爵位を受ける。
ちなみにジョゼフ・ド・メーストル(1753〜1821)伯爵は作家で哲学者。革命中は亡命生活を余儀なくされる。ネッケル、とりわけその娘、才媛の誉れ高いスタ−ル夫人と親交を結んだ。 -
【アブルヴォワール通り(18区)】
黄色い車は郵便用の車、彼方に「サクレ・ク−ル」が見える。
"abreuvoir" とは水飲み用の桶のこと、かつてこの通りを牛たちが水飲みに通った。 -
【サン・ヴァンサン通り(18区)】
この写真を撮っているカメラの後ろに、モンマルトルの葡萄畑があって、瞬間牧歌的なミニ世界を味わえます。通りを挟んで葡萄酒を用意して待っているのがあの有名な「ラパン・アジル」です。
聖ヴァンサンは304年に殉教しました。伝説に依るとこの聖者は若かりし頃葡萄を栽培していたとか・・・
そのために聖ヴァンサンは葡萄栽培者の守護聖人となっています。かつてモンマルトルは葡萄畑の広がる丘でした。 -
【ソ−ル通り(18区)】
モンマルトルの葡萄畑、8月ではまだ収穫に早い。でも都会の中の緑は目も心もリフレッシュしてくれるありがたい清涼飲料。
ソール Saules は柳のこと、もちろん柳の木が生えていたことから通り名となった。単純明解。 -
【ソ−ル通りとサン・ヴァンサン通りの交差点(18区)】
ご存知、シヤンソニエ「ラパン・アジル」。この店の名前は最初の頃はなかなか定まらなかった。まず「暗殺者たちの酒場」、次に「僕の連れ合い」、それから画家の A. Gill が店の看板に「ウサギ」を描いた。そのことから、アジルが描いたウサギ(ラパン)と agile (はしっこい)をかけて、「ラパン・アジル(はねうさぎ)」と呼ばれるようになり、今に至っている。
懐具合のよろしくない芸術家たち(ピカソ、エリック・サティなどなど)のたまり場だった。 -
【時代を感じさせる「ラパン・アジル(はねうさぎ)」】
-
【シャンソン酒場「ラパン・アジル」の入口のドア】
《夜21時以降、一晩中やってます。月曜日を除いて》
百年以上経っているのでしょうか?でもニ羽のウサギは元気よく僕たちを歓迎してくれます。
中に入ると・・・古い木のテーブルに腰掛けて、盃を片手に、プロの歌手に合わせてシャンソン三昧です。歌が好きなら楽しいこと、スキピオが保証します(言葉がわからなくとも雰囲気だけでもおもしろい)。ぜひどうぞ。お値段?そりゃあ飲み方にもよりますが・・・片手でだいじょうぶですよ。 -
【コンコルド広場(8区)】
この広場はルイ15世の騎馬像があったため「ルイ15世広場」と呼ばれていたが、革命時、像は打ち倒され「革命広場」と名づけられ、自由の女神像が置かれた。その像に向かって《自由よ、汝の名においていかに多くの罪がなされたことか》と、名言を残して断頭台の露となったのは閨秀ロラン夫人だった。
1796年、時の総裁政府は名をあらためて現在の「コンコルド(和親)広場」とした。
中央にエジプトから送られた「オベリスク」を配す(1836年)。
右の建物が「海軍省」、左がホテル「クリヨン館」、中心部奥に「マドレーヌ教会」が見える。 -
【コンコルド広場(8区)】
オベリスクを挟んで二つある噴水はローマのサン・ピエトロのまねをしたとか・・・
奥に古典ギリシャ様式の「ブルボン宮殿」が見える。これが国民議会(日本で言う「衆議院」)だ。 -
【シャン・ゼリゼ大通り(8区)】
神話によるとシャン・ゼリゼは、英雄や徳高い人が死後住まう冥界のひとつだ。ウェルギリウスやプルタルコスはそれは地球の中心にあるとする。プラトンは地球の対極地点と言う。
名前は1709年に付けられたが、シャン・ゼリゼがシャン・ゼリゼになるにはあのオスマン男爵をまたねばならなかった(19世紀中葉)。
サッカーのワ−ルドカップ優勝の時もそうだったが、国家的行事の際には、この通りはウェルギリウスの神話的意味を具現する・・・英雄たちの住まうところとしての祝祭の場と化すからだ。 -
【アレクサンドル3世橋とアンヴァリッド】
この橋は1900年の万博のために架設された。パリに数ある橋の中でもっとも豪華だ。ロシアのツァーの名前が付けられている。
アレクサンドル3世(1845〜94)は1892年にフランスと軍事協定を結んだ。橋は、仏・露蜜月時代を思い出させる。
奥に見える「アンヴァリッド(廃兵院)」は、退役傷痍軍人が物乞いに身を落とすのを防ぐために、ルイ14世が建設させた。
大革命の時、暴徒はバスチ−ユに行く前に武器を求めてここに乱入し、2800丁の銃を持ち去った。革命の衝突は実際はここが最初だったが「革命勃発の地」の栄誉はバスチ−ユにさらわれてしまった。
現在は、軍事博物館と、ナポレオンの柩が安置されているド−ム教会を見学することができる。 -
【アレクサンドル3世橋の欄干】
アングルを変えた「スキピオのプロフィール」 -
【「王妃の遊歩道」に立つ像・・・ラ・ファイエットかな?】
アレクサンドル3世橋を通る「ウィンストン・チャ−チル通り」のところにあるこの像はギメ美術館前のワシントン像とそっくりでてっきりワシントンと思っていたが、これを書いているうちに疑わしくなってきた。
もしかすると、ワシントンの戦友ラ・ファイエット将軍かも知れない。この男はアメリカ独立戦争にフランス革命(しかも1830年の七月革命まで)に大活躍した快男児だ。
ラ・ファイエット侯爵(1757〜1834)は二十歳にも満たない若さで家族の反対を押しきり、アメリカ独立戦争に参加、ワシントンの知遇を得る。
チャーチル(1874〜1965)はご存じイギリスの首相。プチ・パレ前に彼の特徴をしっかり捕らえた立像がある。 -
【ウィンストン・チャ−チル通り】
生前のチャ−チルを彷佛とさせる歩行姿の像。
パリのすごさは、通り名でも、銅像でもフランス人に限らずそれこそ世界中の人や地名が動員されていることだ。この近くだけ見ても、「ル−ズペルト通り」「ニュ−・ヨ−ク大通り」「ケネディ−大統領大通り」「東京広場」「セルビア王ピョ−トル1世大通り」「アレクサンドル3世橋」などがある。 -
【王妃の遊歩道】
コンコルド広場からセーヌ川沿いをまっすぐ延びる「王妃の遊歩道」はアンリ4世の妃マリー・ド・メディシスが作らせたもので、後にシャン・ゼリゼ通り誕生のきっかけとなった。
このフィレンツェのお姫様は、他にリュクサンブ−ル宮殿を造営している。
この遊歩道が「フランクリン・D・ル−ズヴェルト通り」と交差する地点は「カナダ広場」となっている。ここに、一人の音楽家の立像がある。アルメニア音楽の巨匠コミタス・ヴァタベット(ヴァルダペット、1869〜1935)だった。彼の音楽の源泉は、アルメニア人150万の犠牲、という悲劇かも知れない。 -
【王妃の遊歩道(8区)】
遊歩道の一番西側にある彫刻。ブ−ルデルの作品だ。 -
【イエナ広場(16区)】
広場の真ん中で、剣を高々と振り上げ、騎乗姿も勇ましいワシントンはもちろんアメリカ初代大統領だ。
右側の丸い建物は「ギメ美術館」、東洋美術の宝庫だ。もちろん日本のものもある。でも日本美術と言えば、美術館隣のイエナ大通りを少し行くと左にあるギメの別館「パンテオン・ブディック(仏教の神々の館)」がおもしろい。
ナポレオンの勝利の戦いでも最も鮮やかだった戦いのひとつが現在のドイツの町、イエナにおいてなされた。1806年10月14日、4万のフランス軍が7万のプロシャ軍を撃破したのだ。イエナ通りもイエナ広場もこの戦勝地の名前から。 -
【パンテオン・ブディックの入口にある茶室建設の碑文】
ここには「東寺曼陀羅」のすぐれたレプリカや法隆寺の勢至菩薩金銅立像などがある。また、庭園には茶室まで作られている(これを作った日本人の頭領や設計者の名前が碑文に書かれている)。
パンテオンは入場無料なのが嬉しい(関心のおありの方はコクリコさん「パリの部屋から・ギメ東洋美術館」旅行記を参照)。
NAKAMURA 、YAMAMOTO の名前が読める。 -
【ポンスレ通り】
この夏、トラベラ−ズ会員《おでぶねこ》さんのおすすめもあって、初めてこの通りに行ってみた。
歩いてびっくり。
大きすぎず、小さからず、気取りのない、庶民的な雰囲気なのに下品さはみじんも感じられない。身を置くとなんとなくおさまりのよい籐椅子のような感じだった。
こういう街で日常が流れていく、あたりまえだけどそんな人たちがいるんだな・・・フム、フム、、、
ジャン・ヴィクトール・ポンスレ(1788〜1867)は理系のエリート校「エコール・ポリテクニック(理工科学校)」を出たあと、ナポレオン軍に参加、後に将軍にまで出世するが、むしろ数学者(幾何)としての方が有名。 -
【テオドール・エルツル広場(3区)】
メトロの「ア−ル・ゼ・メチエ駅」を出て地上に出ると、広場と言えないくらい小さい広場が待ち構えている。エルツル(1860〜1904)は作家で新聞記者。 -
【アルモニー(調和)】
「エルツル広場」は本当に小さな広場だけど、そこに横たわるオブジェは美しい。Volti(1915〜89)作と書かれている。 -
【サン・マルタン通り(3区)】
右側の建物が国立工芸院(コンセルヴァトワール・ナシオナル・デ・アール・ゼ・メチエ)、奥に「サン・マルタン門」
が見える。
通り名の由来はかつて「サン・マルタン・デ・シャン修道院」があったことによる。
聖者サン・マルタンは、兵士の時、ある貧者に自分のマントを半分に切って与えた逸話で名高い。後のトゥール司教。 -
【国立工芸院の門】
以前来た時には入れたのだが、今年は門を堅く閉ざしたまま。 -
【サン・マルタン通り(3区)の泉】
国立工芸院(ア−ル・ゼ・メチエ)の角にあるフォンテーヌ。 -
【モントルグイユ通り】
かつて印象派の巨匠モネによってキャンバスに描かれたことのあるグルメの通り。肉屋、八百屋、チ−ズ屋など食料品店が軒を並べる。近くに市場があった名残りだろうか、と思って歩いていると、それよりずっと以前ここは市場だったとか、看板が立っていた。
通り名は Mont Orgueilleux から来ているらしい。この道の行き着くところは「Beauregard(絶景)通り」。 -
【レオミュ−ル通り(2区)】
このどしんとした通りには1900年の世界がずらずらと並んでいる。それもそのはず、この通りが1897年に貫通したのを受けて、パリ市は翌年、建築のファサ−ド・コンテストを主催し、設計者には金メダル、所有者には税金の減免が賞として与えられたとか(稲葉宏爾氏「ガイドブックにないパリ案内」より)。
そのために、鉄をふんだんに使ったベル・エポックの建物がこの通り沿いに並んだのだ。写真の建物(シェダンヌの設計による)、残念ながら受賞からもれたそうだが、百年の月日などまったく感じさせない堂々たるものだ。
レオミュールことルネ・アントワーヌ・フェルショー(1683〜1757)は物理学者にして博物学者。セ氏のセルシウム(1742年)よりも前にアルコール温度計を作った(1730年)のに、日本ではほとんど知られていない。 -
【モンマルトル通り(2区)】
通りの左に立つ楽譜のビルが面白い。この通りには新聞社「フィガロ」のビルなど変わった建物が多い。
モンマルトルの語源は、Mont de Mars(軍神マルスの山)、Mont de Mercure(マーキュリーの山)、Mont des Martyres(殉教の山)などなど色々説がある。 -
【ヴォ−ジュ広場、南門(3区)】
午後ここに来るといつも音楽家が美声を披露している。ヴォ−ジュ広場のミュージシャンたちは品がいいから好きだ。美しい広場に美しい音楽、この広場は一番贅沢な空間かも知れない。
広場の名前は、1800年にヴォ−ジュ県が一番最初に税金を支払ったから、と言われている。
アンリ4世が作った(1604年)この広場は最も名前の変転が多かった。
最初は「国王広場」(1605年)、次に革命時代に「連盟兵広場」(1792年)、翌年に「不可分広場」、1800年に「ヴォ−ジュ広場」、1814年に再び「国王広場」、1831年に「ヴォ−ジュ広場」、1852年にまたまた「国王広場」になり、ついに1870年、「ヴォ−ジュ広場」となって、今に至る。まさに広場の名前の変転は政変をそのまま表しているのが面白い。 -
【歌姫の声に聞き入る聴衆】
さてその歌姫はシューベルトの「アヴェ・マリア」をよく響く声で歌っていた。もっとも、ヴォ−ジュ広場のアーケードは音響効果は抜群だ。
ストリート・ミュージシャンに慣れているパリっ子たちもさすがに、美しい声につられて、どんどん集まりだした。
歌い終わった時の拍手、これまた音響効果抜群。
歌姫さん、ここちよい数分間をありがとう。小銭の雨。 -
【ショワジ−大通り(13区)】
プラス・ディタリーの南、「トルビアック通り」あたりは中華街。この日も昼食を求めて、ショワジ−通りにやってきました。
どこにしようか・・・
ショワジーという名の由来は、この道がショワジ−・ル・ロワという町に至るからだ。17世紀にフロンドの乱の女丈夫グランド・マドモワゼルがそこに城を建て(そのためショワジー・マドモワゼルと呼ばれた)、後にそれをルイ15世が買い取った(ショワジー・ル・ロワとなる)。彼はここでポンパドゥ−ル夫人と逢瀬を楽しんだそうだ。ここも革命の嵐が吹き荒れて城は焼失したが、公園などに当時の面影が残っている。
ちなみに、トルビアックは、ケルン近くのドイツにあった町の名前、496年にここでフランク王国の最初の王クロヴィスがアラマン人(ゲルマン人の一部)に決定的勝利をおさめた、と言われている。 -
【ショワジ−通りの中華店】
「ここはどう?」
「焼そばみたいのあるかなあ」 -
【サン・ジュリアン・ル・ポ−ヴル広場(5区)】
対岸にシテ島の「ノートル・ダム」を望むこの小さな広場にパリで一番古い木がある。それは「ニセアカシヤ」という木だそうだ。
広場の名前は隣接する教会「サン・ジュリアン・ル・ポ−ヴル」から来ている。この教会もパリ一番の古さを誇る。
聖ジュリアン(ユリアヌス)は、伝説によると誤って父を殺してしまい、家を出奔した。のちにひどく危険な流れの川のほとりにホスピス(宿)を作って、身障者の人たちを泊めて保護した。
フロベ−ルの小説(「三つの物語」中の聖ジュリアン伝)では、川のほとりで人を泊めていたジュリアンのもとに癩病で皮膚のただれた旅人がやって来て一夜の宿を乞うた。
《その旅人は言った。「ああ!死ぬ!・・・近寄れ、温めてくれ!手ではだめだ!さあ!体ごと」
ジュリアンは、口に口、胸に胸を押しあてて、その上にぴったりとかぶさった》
こうしてジュリアンはイエスに導かれて昇天したのだった。 -
【リンネ通りとキュヴィエ通りの交差点にある泉(5区)】
パリ大学のジュシウーと植物園に近いこのあたりはまさに学問の匂いのする界隈だ。
リンネ(1707〜78)はスウェーデンの植物学者、「おしべ」と「めしべ」による植物の分類法で有名だ。
キュヴィエ(1769〜1832)は比較解剖学・古生物学者、進化論の先駆者とみなされる。
ちなみにジュシウーは17世紀から19世紀まで代々植物学者を輩出した家柄。
この近くには、植物園の他に古代ローマの遺跡アレ−ヌ(円形闘技場跡)、イスラム寺院のモスクがあり、街歩きには最適だ。最後に極め付きは、お腹が空いたら「ムフタ−ル街」が食いしん坊の到来を準備万端待っていることだ。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (5)
-
- 真@tokyoさん 2006/12/28 01:22:04
- ポンスレ通りとレオミュ−ル通り
- スキピオさん
はじめまして
よろしくお願いします。
そして訪問ありがとうございます。
また、スキピオさんのパリ市内散策の充実に感心しています。
歩き方が私の方向と似ているので参考にさせてもらっています。
わずか2回のパリ見物ですが、その都度歩き廻りますので通りの名が出るとうれしくなります。
ポンスレ通り:モンソー公園周辺をあるいてからこの道に出ました。下町の
雰囲気が気にいり、通じない言葉でオヤジさんとやり取りしました。オブデコさんの紹介のようですね。そちらも訪問してみます。
レオミュ−ル通り:この道は徹底した鉄骨ガラスファザードで一時代前のオスマン知事にけんかを売っているようで楽しいです。これにファザード大賞を与えたところが偉いと思います。この道も好きです。
モントルグイユ通り:これは知らなかった。レオミュ−ル通りに交差するんですね。確かにそんな雰囲気の道がありました。この交差点辺りは夕方の渋滞がすごかったです。
また、いろいろ書き込みさせてください。
よろしく
-
- コクリコさん 2006/12/26 10:45:28
- パリ歩き・ギメ美術館
- スキピオさん、おはようございます。
スキピオさんの『パリ歩き』なるほど〜と思いながら読んでいます。
本当にパリはいつも新しい発見があり、飽きることがないですね。
私の去年の『パリの部屋から・ギメ美術館』を紹介して下さりありがとうございます。
何しろ、去年は休館日と臨時休館日をちゃんとチェックしなかったのでギメ美術館に4回も足を運んでしまいましたからねぇ(^^;)。。。結局見学したのは本館を1回と日本仏像のあるブディック・パンテオン1回だけでしたから。
今年もまた行きましたので『ギメ美術館』の本年度版を追々UPしますのでよろしくお願いします。
では、良い年をお迎えくださいませ(*^^*)/
- スキピオさん からの返信 2006/12/26 20:51:56
- RE: パリ歩き・ギメ美術館
- コクリコさん、こんばんは。そうですか、ギメの第2弾、準備中ですか。それは楽しみです。もしかすると、今回のル−ヴルのように、カメラ・アングルをを変えてですか。もしそうなら、さっき見せていただいたル−ヴルの東洋版ということになります。「美☆」の東西対決、おもしろいでしょうね。画期的でしょうね。驚異的でしょうね。
ではまた、書き込みありがとう。
-
- wiz さん 2006/12/24 14:34:31
- 124 rue Reaumur/1905
- スキピオさん、はじめまして!
パリの旅行記、
以前からとてもおもしろくて拝見させてもらってました^^
足跡何度か残ってますよね(苦笑)?!
まだこの旅行記は編集途中かもしれませんが・・・
カキコミしちゃいました・・・。
年末にパリに行くので、
行けたら散策したいところの中に
この旅行記の、モンマルトルの通り(行きたい通り名ばかり^^♪)
あとこの写真は124 rue Reaumurの建物ですよね?
ここも通れたらって考えていました。
まさに今回行きたいなーと思っていた通りがいっぱいでした!
またおもしろいパリ編待っていまーす♪♪
- スキピオさん からの返信 2006/12/24 16:55:16
- RE: 124 rue Reaumur/1905
- voodoo さん、はじめまして。はい、おっしゃるとおり、この写真はレオミュ−ル通りのベル・エポック様式の建物です。
まだ出来上がる前から、書き込んでいただき、ありがとうございます。
フランスに行かれるとのこと、うらやましい限りです。この時期のパリは冬らしい美しさがまたあるのでしょうね。残念ながら、まだクリスマスから正月にかけて行ったことがありません。
では、BON V0YAGE! お土産旅行記を期待しています。
これからもよろしく。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
スキピオさんの関連旅行記
パリ(フランス) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
5
33