魅々さんのクチコミ(18ページ)全380件
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投稿日 2012年12月26日
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椎の木地蔵尊のお堂にある小石で体の悪いところをさすると、治るという言い伝えがあります。
投稿日 2012年12月26日
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文学碑「田園の幽鬱由来の地」は小説に登場した金子美代子さんが私費を投じて建てられたものです。
投稿日 2012年12月26日
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旗本石丸家歴代の墓所には江戸時代の都筑郡奈良村領主、石丸家三代の墓碑があります。
投稿日 2012年12月26日
総合評価:4.0
旗本石丸家歴代の墓所は、横浜市青葉区奈良2丁目の「松岳院」の墓地にあり、平成6年横浜市登録文化財地域史跡になっています。
江戸時代の都筑郡奈良村領主、石丸家三代(有定、定政、定次)の墓碑があります。
定次の子の定勝が建立したもので、3基の供養塔のほか、本堂には位牌も残されています。- 旅行時期
- 2011年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2012年12月26日
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平川の大燈籠は、江戸の薩摩屋敷に奉公にあがっていた娘さんが貰い受けたと伝えられています。
投稿日 2012年12月25日
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祥泉院には万葉歌碑があり、祥泉院遺跡には縄文・弥生時代の住居跡があります。
投稿日 2012年12月25日
総合評価:4.0
祥泉院には万葉集におさめられた「万葉歌碑」があります。
これは昭和33年に郷土史家戸倉英太郎さんが、昔を偲んで建てられました。
また、横浜市青葉区みたけ台公園からみたけ台中学校にかけての標高約46mの高台一帯は「祥泉院遺跡」と呼ばれています。
昭和41・45・46年の発掘調査では縄文・弥生時代の竪穴住居跡が発見されました。- 旅行時期
- 2011年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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石造庚申幢は宗英寺にあり、「見ざる」「言わざる」「聞かざる」が彫られています。
投稿日 2012年12月25日
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菅生緑地は水沢の森の東地区にあたり、さまざまな人の憩いの場所になっています。
投稿日 2012年12月21日
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投稿日 2012年12月19日
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アジャンターの石窟寺院が開かれたのは、二つの時代に分けられます。
投稿日 2012年12月18日
総合評価:5.0
アジャンターの石窟寺院が開かれたのは、二つの時代に分けられます。紀元前1世紀頃の前期窟(上座部仏教期)と紀元5世紀の後期窟(大乗仏教期)です。
前期窟は真ん中あたりの5つの簡素な石窟群で、内部にはさしたる装飾もなく、ストーパ(仏塔)を礼拝対象として刻み出しています。
僧侶たちはこれらの窟院で修業を重ね、一般参拝者も礼拝供養に訪れていたと思われます。
開窟が再開されたのは、インド文明が黄金期に輝く5世紀中葉で、当時中央インドを支配していたヴァーカータ帝国の信仰に篤い家臣団が、財と威信をかけて造営を試み、より荘厳に、より豪華に石窟寺院群を築きました。
しかし、ヴァーカータ帝国の崩壊にともなう戦乱のため、アジャンターは放棄され、ジャングルに呑込まれてしまいました。- 旅行時期
- 2006年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2012年12月18日
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世界遺産「ピンベトカ岩石保護区」は、サーンチー仏教遺跡の近くのビンディヤ山脈の山麓にあります。
投稿日 2012年12月18日
総合評価:4.0
ピンベトカ岩石保護区はボパールより45km離れた、サーンチー仏教遺跡の近くのビンディヤ山脈の山麓にあります。
この一帯には600を超える洞窟があり、そのうち約400に10,000年から3,000年前までの色鮮やかな岩絵が残されています。
岩絵は主に赤と白の顔料で描かれており、テーマは狩猟、舞踊、戦い、動物など多種多様です。
1957年に発見され、2003年に世界遺産に登録されました。- 旅行時期
- 2006年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
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王禅寺ふるさと公園は、多摩丘陵の豊かな自然を生かした公園です。
投稿日 2012年12月04日
総合評価:5.0
王禅寺ふるさと公園は、「王禅寺」に隣接し、川崎市制60周年を記念して造成されました。
多摩丘陵の豊かな自然を生かし、水と緑をテーマに、多目的広場、芝生広場、遠見の広場、多摩川をイメージした流れ、自然林を生かした散策道、富士山を眺望できる展望広場等があります。
またこの公園には、玉縄桜が植えられています。
この桜は「大船フラワー・センター」が育てた品種で、「ソメイヨシノ」の実生株(みしょうかぶ)から選択育種した品種です。
花の咲き方や色は「ソメイヨシノ」に似ていますが、花期が2月中旬から3月中旬と大変長く、気温の低い時期に開花しますので、約1カ月の長期にわたって観賞出来ます。
近くに「琴平神社」もあります。- 旅行時期
- 2012年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2012年11月29日
総合評価:4.0
王禅寺は真言宗豊山派のお寺で「星宿山華厳院王禅寺」と称し、延喜21年(921年)高野山2世無空上人により創建され、「関東の高野山」いわれる由緒あるお寺です。
アクセスは「王禅寺東三丁目」(3.11以前は「日立研究所下」)のバス停を降りて、徒歩で「西門」から入ると便利です。
秋に訪れると、写真のように紅葉が綺麗です。
本堂は、写真のように美しく、また境内には日本最古の甘柿の品種と言われている禅寺丸が発見された寺として有名です。境内にはその原木が残っており、かながわ名木100選にも選ばれています。
3.11以降「王禅寺」を有名にしたのは、近くにある2つの原子炉跡です。
一つは「日立製作所原子力事業統括本部王禅寺センター」で、同社のホームページによりますと、1975年に運転を停止し、翌年4月までに主要施設を解体し、使用済燃料および解体廃棄物(ドラム缶封入)を保管していました。
2005年10月にこれまで保管していた全ての使用済み燃料が搬出されましたが、解体廃棄物をそのまま保管されているようです。
もう一つは「東京都市大学(旧武蔵工業大学)原子力研究所」の原子炉で、すでに廃炉となっていますが、現在も残された原子炉施設・放射線取扱施設、実験設備、計測・制御機器等は教育と研究用として利用されているようです。- 旅行時期
- 2012年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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「コマツの杜」は創立90周年記念事業で建設された、地域社会とのコミュニティ・センターです。
投稿日 2012年11月30日
総合評価:5.0
2011年5月、コマツが、会社創立90周年を記念して、石川県小松市の小松駅に隣接した小松工場跡地を利用して「コマツの杜」を建設しました。ここには次のようなものがあります。
まず、駅からも見える超大型ダンプトラックが展示されています。このダンプのサイズは高さ7.32m、幅8.69m、高さ15.32m、タイヤの直径3.83m、最大積載量297トン、車体重量202トンあります。
次に、コマツグループの人材育成の拠点となる大型研修センターがあります。
また、コマツ創建時の建物を復元した「わくわくコマツ館」があり、小型ショベルの運転など、地域社会と一緒になり子供たちを育む施設が備わっています。
広い敷地に「げんき里山」があり、自然を体験・学習できます。ここには「里山ゾーン」、「小川ゾーン」、「遊びの広場」、「桜並木」の4つのゾーンがあります。
コマツ発祥の地を大切にし、地域と歩むコマツの姿勢をあらわしていると思います。- 旅行時期
- 2012年11月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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大倉記念館は素晴らしい建物ですが、太平洋戦争末期、ここに帝国海軍気象部が入っていました。
投稿日 2012年11月26日
横浜市大倉山記念館(旧大倉精神文化研究所本館) 港北・長津田・青葉
総合評価:4.5
東急東横線の大倉駅の西側の高台に「大倉山記念館」があります。実業家で後に東洋大学学長を務めた大倉邦彦さんにより1932年「大倉精神文化研究所」の本館として創建されました。
設計は、重厚で格調高い建築を数多く手がけ、日本建築史に大きな足跡を残した古典主義建築の第一人者、長野宇平治さんです。
現在は、横浜市に寄贈されて公民館になっています
ここに、戦争末期、海軍気象部が入って来ました。
海軍気象部は、1944年4月15日海軍省水路部から分離独立した機関となり、独立と同時に、東京の海軍省から大倉山に移転する準備を始め、9月には100人の気象部員が移転してきました。
海軍気象部の活動は、軍事機密とされているので、その実態は分かっていません。
しかし未使用の各種気象観測用紙や、撮影した16ミリフィルムなどが保管されているので、今後の研究が期待されています。- 旅行時期
- 2012年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
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投稿日 2012年11月21日
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17寺院は5世紀グプタ朝によって建てら、木造文化の国であったインドが、石造建築をつくり作り始めた最初期の建物とされています。
投稿日 2012年11月21日
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投稿日 2012年11月13日
総合評価:4.0
1581(天正9)年、能登の領主となった前田利家が小丸山城を築城しました。
能登方面からの攻撃に備えて真宗以外の各宗派29の寺を集めて、出城の機能をもたせました。
このうち、妙観院や長齢寺など16ケ寺が現在も残っています。
これら寺院群を巡る道が整備されて、遊歩道となっています。
路傍に佇むお地蔵様やお寺を見ながら、四季折々の風情を楽しみながら散策路をのんびり歩くことが出来ます。
すべて回ると約3kmあり、2時間ほどかかるようです。
ただし、長齢寺を除きお寺の建物の中には入れません。
私は、ツアーで5つのお寺しか回れませんでした。- 旅行時期
- 2012年11月
- 利用した際の同行者
- 社員・団体旅行
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0













































































































































