ギザのメナハウス・オベイ
宿泊初日の夕方、ロビーから帰ってドアを閉めようとすると、「Excuse me」と綺麗な英語の発音で、呼び止められました。
まだ、警戒心も強かったので、ドアを背にして、「何か」というと、あすはどこをみにいくのか?、と聞いてきました。
「たぶん、ギザを回ったあと、ルクソールに行くつもりだ」と答えました。
「そう」と言って、その20代前半の男は、廊下をすたすたと行ってしましいました。
(つづきます)
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たぶん、エジプト人でどうも地元にいるような感じではなくて、宿泊客か外から来ているひとのようでした。あまり、服装などはよく見なかったですが、白い麻かなにかのスーツをきていたように思います。
(つづく)
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翌朝、写真にある中庭のテラスで朝食をとってから、ホテル・ロビー内にあるトラベルサービスに行き、ルクソールまでのツアーを尋ね、アメリカ人のご夫婦とスペインの学生と一緒に、ルクソールまで同行することになりました。
そこに、きのうの彼が現れたのです。
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エジプトの魅力は、なんといっても、5000年の歴史と、わたくしはその文字に興味があります。
後でわかったのですが、きのうわたしの部屋の前まで来た男は、カイロ大を出たヒエログリフの専門家で、アルバイトで観光案内をしてくれる人だったのです。
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ギザのピラミッドのしたで駱駝に乗った騎馬(駱駝)警官に呼び止められた時、すでにピラミッド地区への立ち入りは制限されていたのですが、彼がうまく理由をいってくれたのか、日暮れのなか、ロマンチックな光景の中で、過ごすことができました。
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神殿の柱のかげで、かれは悲しそうに言うのです。ここで何人もの70人近い人が銃撃されて死に、その中に日本人も9人いた、と。
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それは、あなたのせいではないわ(と私)。
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ルクソールでは、疲れていたので、横になると、すぐに眠りがやってきました。不眠症に悩んだときもあったので、わたしにとっては、珍しいことでした。
しばらくして、「とんとん」とドアを叩く音で、うつらうつらの状態からやっと覚醒していきました。どなた、とおもいながら・・・
寝たままのひどい格好をしていたに違いありません。
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「夕食はまだではないですか?」
「昼間の行動ですっかり、日焼けしているわね」
わたしは、自分でなにをいっているのだろう、と思いました。
「下で軽くのみませんか」
「いいわ・・・」
いつもはこんなに軽く、応じることはないのですが、昼間のかれの誠実な態度が気を許させたのです。
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かれはそれほどぶしつけでなく、バーカウンターでシェリーで乾杯。わたしの英語と同じくらいのレベル。
兵役で車の運転をならったこと、いまは日本かどこかにいって、勉強がしたいことなどを話した。悪い人ではないみたい。
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ナイル河で捕れたお魚を食べさせる店で、ナンを焼く女性たちがふたり、私たちの方を見ていました。エジプトでは女性たちも顔を覆ったりせずに、あかるく微笑を返してくれるのが、印象的でした。
「あなたたちは結婚するのか?」
ナンを焼いていた女性のひとりが、かれに聞きました。
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かれは、よい笑顔をつくって「ノン」と言いました。
その言い方が悲しそうに響いたのに、私のほうが動揺してしまいました。
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エジプトの兵役のことを聞いたとき、かれはそれはいやな事が、たくさんあった、といったので、あまり詳しくは聞けなかったのだけど、向こうでは髭がずいぶんと意味のあることなのだって。髭を生やしていないと、子どもにみられ、一人前に扱ってくれない、といっていた。
わたしは、髭のはえているひとは、あまり、好きでないといったら、「どうして」と聞くから、「わたしにとって髭はくすぐったいだけ」といったら、大笑い。かれは急にげんきになって、お茶をごちそうしてくれた。