こんにちは
シンガポールは国土が狭いので、有名観光地以外へ行かれる場合はタクシーに乗って地図を示したほうが確実に短時間に、そして比較的安価に行けると思います。
http://www.streetdirectory.com/asia_travel/travel/travel_id_18362/travel_site_107060/当時の「士官用の食堂」ということでしたら、ラフルズ、グッドウッド等のホテルやYMCAやCathey Buildingなども日本軍の施設として使われていたので、そういう場所の食堂だったのかも知れませんね。
私が住んでいた1969年ごろのシンガポールでは露骨に日本人に対して怨みを訴えてくる人がいました。大勢の肉親を日本軍によって惨殺されたり暴行されたりすれば、その記憶はそう簡単に消し去ることは出来なかったでしょうね。シンガポールの全土に赤土があるのは日本軍に殺されたローカルの人達の血によるものだ、とまで言われました。
一党独裁による圧政により、反体制的な主張は困難だったということと、それでも政府の実行してきた政策によりアジア一裕福で安定した国にまで成長したシンガポール。日本の経済的、技術的支援を得ながら発展して行こうとする政策に反抗する人は、前面には出れなかったわけです。それでも現代のシンガポールでも、日本軍による占領時代に行なった悪行に対して反感を持っている人は沢山いると思いますよ。若い世代の人達は正確な過去の理解と反省の上に未来を築いて行って欲しいものです。
RE: こんにちは
ご指摘ありがとうございます。祖父の働いていたのはグッド・ウッド・パークホテルです。押入れの奥から海軍省の発行した渡航証明書が出てきたので間違いないと思います。コピーを持ってホテルや博物館を歩きましたが、祖父を始め、民間人で徴収されてシンガポールで働いた人で名前の残っているのは教育関係に尽力した人の名前だけでした。祖父の帰国時の書類もあり、昭和20年12月になっていました。約2年間シンガポールにいたことになります。シンガポールで日本は多大な迷惑をかけてきたと思いますが、それでも祖父は兵士としてではなく、民間人として徴収されて行ったわけですし、その地で終戦を迎え、その後4ヶ月も足止めされ、今でこそ7時間で帰れるところを船で何日もかけて帰国したその苦労は大変であったろうと思いました。現政権は90%以上の支持率で明るい北朝鮮と言われるくらい独裁でも安定した政権だと聞いていましたし、サッカーの日本代表シャツを着て歩いても特に問題もなく過ごせました。印象は良かったのですが、いかんせん食事が合わなかった。タクシーも高くはないし、バスの乗り方も良くわかったのですが、結論が出てしまったので、もう行くことも無いと思います。