ミャンマー 基本情報 クチコミ
全216件
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ヤンゴンで、日本円が使え両替レ-トも良い両替商を紹介します。
- SHU2 さん
- 男性
- 旅行時期 : 2025/12(1ヶ月以内)
1.ヤンゴン中心地で、スーレ-シャングリラホテルの前にあるサクラタワ-(JICAが入っている)の1階に、Mobile Money Agent(OMTS) があります。空港の両替商では、1円➡約13.5Ksが、ここでは25.5Ksと約1.88倍レ-トが良かったです。もちろんドルも両替でき、レートも同じくらい良かったです。
2.前にも書きましたが、ヤンゴンのレーダン地区にあるレーダンセンタの1階にある両替商(ユニオン両替所(レーダンセンタ-内) も1円➡25Ks と日本円が使用でき、レートも良かったです。
3.ヤンゴンのMyaynigon(ミュニゴン)の交差点から約200mの所にある両替商(Triangle)も
日本円が使用でき1円➡25Ks でした。
2025年12月現在、空港で両替するより市内の両替商で両替するすれば、空港より非常に高いレ-トで両替ができます。ただ日本円が使用できるお店は少なく、もし使用できてもレートがやや悪いので注意して下さい。
個人的なお薦め:市内に行くまでは現地通貨(Ks)がないとどうしようもありません。ただ空港のレートは非常に悪いです。 なお現在ヤンゴン空港から市内中心までは、配車アプリは2.2~2.5万Ksで、出口付近のタクシ-は約3万Ks又は10ドルです。すなわち空港の両替レ-トでは3万Ksは約2100円なのですが、10ドル(約1500円)で市内に行き、ショッピンセンタ-(多いです)などにある両替商や上記に書いた両替商に行けば、かなりお得に観光ができます。 また夜ならば、ホテルなどでも両替商よりはレートは少し悪いですがドルの両替は可能です。
ミャンマ-は、一般的な観光地なら治安は悪くなく安全で、日本よりかなり物価は安いので、今がお得です。楽しんできてください。 -
クーデターで戦闘が続いてるためヤンゴン以外の都市では渡航禁止令が出てます
- mokkaちゃん さん
- 非公開
- 旅行時期 : 2024/01(約2年前)
ヤンゴンは普通に過ごせますが観光地に行けないので今は観光で来る人はヤンゴンだけになります。
VPNを海外のものに繋げたらSNSは見れます
治安はいいとは言えないので外で携帯を見えるように持ったりしないこと財布も大金は入れない
取られてもいいようにダミーを持つようにしてます
脅されて抵抗したら無事にすまないと思います。
特にダウンタウンの方やミャンマー人の住宅街は気をつけて。
でも私は一度も怖い目にあったことは無くミャンマー人は基本とても真面目で優しい人が多いです。
この内戦が早く終わって穏やかな国に戻ることを願います
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タイのメーサーイに行き、短時間ですがミャンマーのタチレクに行ってきました。タチレクでは寺院等を観光致しました。ミャンマーのスタンプはもらえなかった記憶があります。チェンラ―イのナイトバザールにも行きました。
- 軟弱(系)全独立国訪問済〔全国連加盟国訪問済・日本の承認国全て訪問済〕 さん
- 男性
- 旅行時期 : 2002/11(約23年前)
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ミャンマーに滞在していた時の仕事仲間で、ヤンゴン・マラソンにも一緒に参加した若いミャンマー人カップルが、2015年4月に、水かけ祭りの休暇を利用して来日した。
- タケ さん
- 男性
- 旅行時期 : 2015/04(約11年前)
京都では お茶会を経験してもらったり、祇園甲部歌舞練場での「都をどり」を観劇してもらったりした。 お茶会では、高校同期のお茶会のメンバー6人に同行してもらった。苦いのではないか と気にしていた抹茶の味も 美味しく感じてくれたようで、ホッとした。 もちろん初めての体験だったが、あとで茶室にかがんで出入りする「にじり口」のありようを聞いたら、ちゃんと理解していた。彼らが通常 寺社で長時間お祈りする時は、横座り(男女で逆方向)するが、長い間正座していたのは驚きだった。ここで同行者にプレゼントされたお茶会の道具は、貴重な記念品となったよう。 二人には、長岡京が平安京に遷都する前の10年間、日本の首都だったことも伝えておいた。 嵐山、金閣寺、桂離宮、伏見稲荷大社、祇園散策(白川,八坂神社,八坂の塔,花見小路 他)、将軍塚(京都市街展望台) 等々 京都の優雅な雰囲気を理解してくれていた模様。また、太秦映画村や 京都の台所 錦市場 それに、スーチーさんが留学していた京都大学も案内した。
和食を含めた日本の食事も楽しんでもらえたよう(回転寿司店では生魚はダメだったが、いか,たこ,貝はO.K.。 サケは何とか食べられるようになった)。金閣寺のすぐ近くに 「思風都」という和風ランチバイキングのレストランがあり、日本の家庭料理も味わってもらった(ケーキやソフトクリーム等のデザートを含む30種類以上のメニューが食べ放題)。彼らが期待していた桜も何とか間に合って見ることが出来た(当方は外国暮らしだったため2年振り)が、雪は残念ながらこの時期は……ということだった(東京への帰途、新幹線から富士山は 束の間眺められた模様)。なお、来日前に「わび・さび」の説明を英文を探して送っておいたが、どこまで理解出来たのかは疑問(我々日本人にさえ難しいのに)。 空海ゆかりの東寺では、東京スカイツリーの耐震設計は 五重塔の心柱の考えを応用した ということを、持参していた設計図をもとに 分かりやすく説明した。
当方が学童保育のアルバイトをしている小学校で、約50人の保育生と交流してもらった際は あいにくの雨天だったが、「ミンガラーバ(=こんにちは)」で迎えられ、歌やけん玉,折り紙,あやとり他で歓待された。逆に保育生たちには、二人が、ミャンマーの子供たちの生活の様子や、ミャンマー語のあいさつの仕方を教えたり、ロンヂー(伝統の男女腰巻き)の着方やタナカ(日焼け止めの頬塗り;中には葉っぱや花や蝶を描いたりしているおしゃれな女性も居る。タナカはミカン科の木の皮をすりおろしたもので、日焼け防止以外にも 保湿や殺菌,肌荒れ予防等の効果もあるとか……)の実演を見せたり、同時に保育生たちにタナカを付けてあげたりと、予定時間を大幅に上回る 楽しいコミュニケーションの場を持つことができた。ロンヂーは 男女で柄や結び方が異なり、またタナカは 日中と夜寝る前の一日二回施す ということを初めて知った次第。男性の方は、父親の仕事の関係で 小学校1年から4年まで東京で過ごしていた とのことで、きれいな日本語を話す。保育生たちとの交流では、ちょうど同じ学年の生徒たちだったので、ひどく懐かしく感じたと言っていた。また女性の方(分かりやすいイギリス英語を話す)から後に受け取ったメールでは、保育生たちは純真な心を持っていて、外国人に対して順応性があり 楽しかった、と言っていた。ミャンマーの子供たちは、男子はサッカー,女子は縄跳び等で遊んでいる とのこと。また以外にも、休みの日には塾へ行くことが多く、特に英語に力を入れている とのこと。ちなみにミャンマーの識字率は90%を超えている(義務教育制度と寺院教育の普及が主原因)。後日 彼らと訪れた学童保育教室へ行ったところ、生徒からやり取りを聞いた親たちも 当日参加してみたかった、という話があったよう。また、二人に頼んで持ってきてもらったミャンマー語(英語併記)の絵本を、この学童保育教室に渡しておいた。後日 市役所の学童担当部署から、市の広報誌に この交流時の写真を掲載したいので、許可が欲しい との電話があり、喜んでO.K.した。 前々から思っているが、保育生たちには 少しでも外国に興味を持ってくれたら、という気持ちを強く持っている。
そのあとは100均のダイソーを訪れた。ヤンゴンにもダイソーがあって、日本円換算で160円均一の商品が売られているが、品物が限られているので、ここでは品数の多さに戸惑いながらも 小さい鯉のぼり等の買い物を楽しんでいた(後日、鯉のぼりを掲げている写真を付けて、5月5日は祝日で、男の子の成長を祈るため という説明をメールで送付済み)。
近々 イオン・モールがヤンゴンにも開設予定とか。
お茶会体験や 都をどり観劇(曽根崎心中の場面が理解出来なかったよう),学童保育生との交流,和食を味わう 等々 二人にとっても貴重な思い出になったことと思う。
* 彼女(Thwe Thwe)にはもの珍しかったのか、「自分の印鑑が欲しい」と言われたので、早速印鑑店で 「Thwe」と「テユエー」の2種を注文。 一週間ほどで出来上がる とのことで、後日 ミャンマーを訪れる人が居たので、手渡しを依頼した。
大阪では、「海遊館」や梅田の「空中庭園」等を訪ね、グリコの電飾広告や「くいだおれ太郎」等を見ながら道頓堀川周辺を散策し、夜遅くまで お好み焼きやたこ焼き,焼きとり他を食べ歩いた。当初は宝塚歌劇の観劇も予定していたが、時間が無いことと、言葉が分からないだろう ということで割愛し、代わりに3時間分のショーを録画したDVDを持って帰ってもらった。近い将来の再会を約して、二人とは大阪で別れた。
☆参考までに……
「Japan Rail Pass」という、新幹線(「のぞみ」を除く)等の鉄道や路線バスが 日本全国どこでも乗り降り自由で利用できる 外国人用特別乗車券(日本国内では購入不可)があるので、ミャンマーでの取り扱い場所を予め教えてあげておいたところ、安く利用出来たと感謝された。
旧首都ヤンゴンに住むこのカップルは 帰国後に結婚し、昨年男子が生まれた とのことで、出来れば今年3人で日本を訪れたい というメールが入っている。 先の見えないコロナ禍と今回の事件で どうなるか? 気になるところである。
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去る2月1日、ミャンマーで国軍が突然クーデターを起こし、アウンサンスーチーအောင်ဆန်းစုကြည် 国家顧問-75才-らが拘束されて、国民民主連盟(NLD)の政権が覆された。 以降 各地で大規模な人民デモや不服従運動等が続いており-国軍の発砲により多数の死者も発生ー、インターネットや報道機関等の情報規制もなされている とのことで、早期の真の民主化を祈るばかりである。
- タケ さん
- 男性
- 旅行時期 : 2014/02(約12年前)
少数派イスラム教徒ロヒンギャや 軍政色が強い憲法等の問題があるが、同国は敬虔な仏教国で 人々の心根は優しい。
旧首都ヤンゴンにあるスーチーさんの自宅は 観光コースのひとつになっているようであるが、塀で囲まれた広大な屋敷で、中は外からは見えない。 特にガードマンが居るわけでもなく、彼女がNLD(国民民主連盟)の代表として国会議員になる前の軟禁中に、毎日曜日 多くの支持者たちを前に演説をしていたのを思いだす(今はその場所とは思えないほど静かな環境)。 門の真上には、父親のアウンサン将軍の遺影写真が飾られている。 訪れた時には、ちょうどパリから来たというツアー客10数人がたむろしていた。 こんにちわ(パリジャン)→ボンジュール(当方)。 あちこちで体験したが(ウクライナ人「こんにちは」→当方「ズドラーフスト・ビッチェ」,イタリア人「さようなら」→当方「チャオ」)、日本語を話す外国人が随分居る。 ヤンゴンのNLD事務所では、種々の関連グッズが販売されている(NLDのシンボルマークは孔雀)。
*女史は「建国の父」と呼ばれ 暗殺されたアウンサン将軍の長女で、英国人と結婚し、1985年~86年に 京都大学「東南アジア研究センター」にて在外研究のため、日本に滞在。1988年に母の看病のため帰国中に 民主化運動が起こり、国民民主連盟(NLD)を結成した。 その後、軍政による延べ15年間にもおよぶ自宅軟禁を強いられた(その間にノーベル平和賞に選ばれたが、出席出来なかった)。 2010年に開放され、2016年にNLD政権が発足して、スーチー氏が国家顧問兼外相(事実上の大統領)に就任していた。 ビルマは130余りもある多民族国家で、大多数を占めるビルマ族である彼女は、ネピドーへの首都移転やビルマからミャンマー,ラングーンからヤンゴン等への名称変更は、今だに認めていない。
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2020年2月中旬、バンコクからのフライトでヤンゴン国際空港の国際線ターミナルに到着した。
- さっとん姉 さん
- 男性 / ミャンマーのクチコミ : 1件
- 旅行時期 : 2020/02(約6年前)
今回は、ヤンゴン国際空港に到着した時からGrabタクシーを利用するつもりであったので、到着口を出た直後私に声をかけてきたロンジーを履いたタクシードライバー風の男性がかけてくる言葉をずっと無視していた。
最初にはっきり断ればよかったと思う。
まず、ターミナル内でドルをチャットへ両替しようと思った。
一階の端から端まで両替所のレートを見て行ったが、この男性は私にしつこくついて来た。
私がずっと黙っていると、到着口を出て右側の一番奥にある両替所へ私を誘導するような格好になった。
3軒並んでいる両替所のうち、両端の2軒のレートがベストであった。この男性はそのうち左端の黄色い両替所(アップした写真にその日のレートが表示されている)を勧めてくる素振りをした。
それを無視するか、 一旦その男性を振り切れば良かったのであるが、私は横着をしてそのまま左端の両替所でドルを両替することにしてしまった。
中に声をかけると、窓口の女性が電卓を叩き、私が伝えた100ドル紙幣2枚分を両替して受け取るチャットの合計額を示した。
この時私はスマホの電源を切っていた。この後ターミナル内でSIMカードを購入する予定があったからである。
いつもはスマホの電卓で計算して受け取る金額を確認するのであるが、この時はそれを怠ってしまった。
国際線ターミナル内で営業を許可されている両替屋に騙されるとは、この時の私は夢にも思っていなかったからである。
電卓に表示された275,600チャットの紙幣を受け取った私は、その場で確認し窓口を後にした。
すぐ近くのベンチに座って紙幣を鞄にしまおうとする時、私ははたと気がついた。
先ほどの両替所で表示されていたレート1USD=1,448チャットを適用すれば、
200USD=289,600チャットを受け取れたはずである。
私はそれより14,000チャット(約1,036 円)少ない額しか受け取っていない。
※ちなみに、受け取った275,600チャットで計算すると、適用レートは1USD=1,378チャットとなり、 この日のターミナル内のどの両替屋のレートよりも低かった。
気づいた時はもはや後の祭りである。先ほどの両替所ではレシートは一切発行されなかった。女性が電卓に叩いた数字も、私が窓口を去る前に消されていた。
「現金その場限りの原則」からすれば、 窓口を離れた後での私の抗議は受け入れられないであろう。
もし、あの時私が正しい金額を確認し、窓口の女性が電卓に表示した金額が間違っている、と申し出たらどうなっていたであろうか?
ひょっとしたら、「窓口に表示しているレートは間違いで、これが正しい金額だ」といい張られたかもしれない。
※ピイという街に滞在中に入ったレストランで、会計の時メニューに表示された額よりもわずかに高い金額を請求されて揉めたことがあった。その時店員は、メニューの金額は古い数字だと言い張ったが私は喧嘩をしてメニュー通りの金額を支払った。
ベトナムでは、観光客を騙す手合い(例えばタクシー運転手)は口八丁手八丁でグイグイ来る。ひょっとしたら、ミャンマーのこの手の連中は、そのシャイな国民性ゆえ、グイグイ来る代わりに偽りの数字を電卓やら請求書やらに示して外国人観光客を騙すという手口を取るのかもしれない。
最初からあの男性とこのインチキ両替屋がグルであった可能性が高い。
被害金額がこの程度に納まっているのも、計算づくなのであろう。被害額が一桁大きければ、私は大騒ぎをして空港の警備員などを呼び、この両替屋に備え付けられた監視カメラの画像を見せろと強く迫ったであろう。 -
通信速度: 不便なく使える つながりやすさ: ほぼ問題なくつながる 手続きレベル: 特に難しくはない また使いたい: はい空港の出国ロビーを出た正面にあります。SIMの入れ替えはお店でしてくれます。
- まつげ さん
- 女性
- 旅行時期 : 2019/09(約6年前)
今回は同行者が現地携帯電話を持っていたので、私のこのSIMは登板機会がありませんでした。しかし、同行者曰く、ここのものが一番使いやすいのだそうです。 -
通信速度: 速い つながりやすさ: まったく問題なくつながる 手続きレベル: 誰でもできる また使いたい: はい双方ともにほぼ30~40Mbpsで安定してました。双方ともにキャリアーのウエブ上からクレジット払いでTop-upできますから空港でどの容量契約にするかをするかを悩まずSIMをつないでもらえばあとはどうにでも。
- Draemon さん
- 男性
- 旅行時期 : 2019/08(約6年前)
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ミャンマー旅行をした時にミャンマー国内の移動で利用しました。
- likely_koala さん
- 男性 / ミャンマーのクチコミ : 1件
- 旅行時期 : 2019/07(約6年前)
機体はヨーロッパ製のATR72-600というプロペラ機で、エンジンのそばに座るととてもうるさかったです。(要耳栓)
マンヤダナーポン航空(7Y)での立ち寄りルート路線でしたが、雨季のため乗客が少ないのでゴールデンミャンマーエアラインとのコードシェア便になっており、マンヤダナーポン航空(7Y)はバガン・ニャウンウー空港発とヘーホー空港発の便でマンヤダナーポン航空(7Y)の機体を利用しました。
利用した航路は、ヤンゴン国際空港 (RGN)⇒バガン・ニャウンウー空港(NYU)⇒マンダレー国際空港 (MDL)⇒ヘーホー空港(HEH)⇒ヤンゴン国際空港 (RGN)の一部のコードシェア便で利用しました。
ヤンゴン発のみ座席指定で、それ以降は自由席になっていました。
ヘーホーからヤンゴン着のみ、機内で飲み物や甘いパンなどの機内食が出ました。
社名のヤダナポンとは、ミンドン王朝時代のマンダレーの旧名、直訳するとヤダナ=宝物、ポン=集まるとの意味です。
ミャンマー国内線の特徴としては、ヤンゴン→バガン→ヘーホー→マンダレー→ヤンゴンなどと周遊する便が多いので、同じ便名で運航されるものが多く存在し、長めの路線では機内食が出ますが、パンや菓子類がメインです。
ミャンマー国内線は2017年現在8社が定期運航を行っていますが、5月~9月のローシーズンとなると、運航率が悪くなり、保有機材を使わないエアラインもあります。 -
ミェイクとコータウンのほぼ中間の小さな町、ボウピンにはかろうじて外国人の泊まれるゲストハウスがありましたがWifiはなし。尋ねるとこの町でFree Wifiのあるレストランや宿はないとのこと。なのでSIMカードを買うことに。店員の勧められるままに「MPT」のSIMカードにしました。1000k分のチャージが付いて2000k(約143円)。3Gの1000M(1週間)が使えます。
- toshibaa45 さん
- 男性 / ミャンマーのクチコミ : 1件
- 旅行時期 : 2019/07(約6年前)