崇文堂(スンムンダン) 昌慶宮で経筵(キョンヨン)に使われた建物
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- 旅行時期:2015/05(約11年前)
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by konomiさん(女性)
ソウル クチコミ:329件
第21代王の景宗(キョンジョン、1688~1724、在位1720~1724)のときに創建。
崇文とは「儒学を崇めて尊ぶこと」という意味。
主に王と臣下が学問や国史を論じる経筵(キョンヨン)に使われていた建物です。
経筵(キョンヨン)はいわば重臣たちとの会議なり勉強会。
李氏朝鮮の政治はすべて儒学を根幹にしているため、新しい政策やアイデアが儒学の思想にそうかどうかの議論を、経典や前例、歴史を参考に論じるわけですね。
経筵は朝講(チョガン)昼講(チュガン)夕講(ソッカン)と、日に3回行われ、そのうち朝講は6時に始まったそうなので、王も臣下も大変だったでしょう。
参加するメンバーは王と重臣の三政丞(サムジョンスン)、承旨(スンジ:王の秘書官)宮廷要職者など10数名ほどでした。
確かに勉学の場ではありますが、朝鮮王朝第21代王の英祖は、ここでよく酒宴を催して臣下の労をねぎらったのだとか。
崇文堂の扁額と、「日監在玆」の掲板は英祖による直筆です。
第23代王の純祖(スンジョ)時代、1830年に大火で焼失しましたが、年内に素早く改築され、現在に至っています。
崇文堂から見たとき、宮殿の屋根が一番美しく見えるように設計されてます。
勉強を終えた王が景色を楽しめるように工夫されたのだそうです。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/05/23
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