歌の原 (歌の広場) The Tallinn Song Festival Grounds
劇場・ホール・ショー
3.34
施設情報
クチコミ(19件)
1~19件(全19件中)
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歌う革命の広場
- 4.0
- 旅行時期:2019/09(約6年前)
- 4
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歌う革命の原動力になった会場
- 4.0
- 旅行時期:2019/09(約6年前)
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タリン郊外のカドリオルクに近い場所にある野外ステージです。エストニア人とは切っても切れない関係にある「歌」、1988年の歌... 続きを読むう革命からエストニアの独立回復に繋がったわけですが、歌う革命の原点とも言えるのがこの場所です。
ロシア帝国時代の1869年にタルトゥで始まった音楽祭は第6回からはタリンで開催され、1928年の第6回からはこの場所で開催されています。現在の舞台は1959年に完成し、独立回復後2度改修され現在に至っています。
ソビエト時代は本意でないながらも開幕の際にソビエト国家を歌ったり、ソビエト中央への感謝を述べながら行っていて、独立回復後はおおむね5年に一度で開催されていて次回は2024年7月の予定です。
歌の原自体は全国音楽祭以外でも当然使われていて、コンサートやお祭りなどでも利用されていますので入場料はその主催団体次第という感じになっています。
ただエストニア民族の象徴、独立運動の象徴の場所でもあるのでイベント以外の際も観光客が無料で見学できるようになっています。巨大な屋外ステージと広大な広さの芝生席をガラガラの状態で見ることが出来るので、より会場の広さを実感することになります。
エストニア独立回復についての記述はほとんどないですが、独立運動の始まりとなった場所なのでエストニア独立の流れに興味がある人は是非訪れて欲しいです。
カドリオルク公園・ルサルカ像・マーリヤマエ宮殿とも徒歩で移動可能な圏内です。 閉じる投稿日:2020/05/03
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イベント広場
- 3.5
- 旅行時期:2019/05(約7年前)
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国民的イベントの会場
- 3.5
- 旅行時期:2018/09(約7年前)
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タリン郊外の野外コンサート会場、歌の原
- 3.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
- 0
タリン郊外にある歌の原(Lauluväljaku Klaassaal)はカドリオルグ公園の東側約1 kmの場所に... 続きを読むありました。訪問時にコンサート行事は行われていなかったため、会場前の拾い駐車場も閉鎖されていました。行事が行われていない場合でも。小さなゲートを通って施設がある公園内に入ることができました。入り口脇の看板に、公園内での注意事項などが詳しく書いてありました。アルコール飲食禁止、ゴルフ禁止、公園の花や樹木を大切にすること、内部で行事を行う場合には事前許可を取ること、などなどです。
特徴的な形状のコンサート会場は、1959年に建設されたもので、ここで5年ごとにエストニア歌のフェスティバルが開催されています。このフェスティバルは世界的に知られ、数万~十万人の観客が参集するそうです。これまでマイケルジャクソン、ローリングストンズ、エルトンジョン、レディーガガなどもこのフェスティバルに参加しています。 閉じる投稿日:2018/07/20
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バルト三国独立の歴史に興味がある方は是非。
- 3.5
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
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バルト3国独立運動発祥の地
- 3.0
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
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マイケル・ジャクソンのコンサートにも使われた
- 3.5
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 0
タリンからバスで20分くらいです。表の道路からも少し歩きますが、巨大な野外コンサートホールです。5年に一度の歌の祭典以外に... 続きを読むも、マイケル・ジャクソン、マドンナやレディガガのコンサートも開かれています。
伝説となっている1988年の歌の祭典では、30万人がで参加したことになっていますが、マイケル・ジャクソンのコンサートで周囲も立ち見で一杯になって8万5千人だったので、本当は10万人くらいだったのではとも言われているそうです。
それでもエストニアの全人口が130万人(内エストニア人は90万人くらい)ですから、10人に一人くらい参加するとは凄いものです。小さな国の団結力でしょうか。 閉じる投稿日:2017/08/25
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五年に一度開催されるエストニアの歌と踊りの祭典での歌のコンサートの会場です。
- 4.5
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
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エストニアの歌と踊りの祭典での歌のコンサートの会場です。
- 4.5
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
- 0
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大規模ステージがあります
- 3.0
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
- 6
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歌の革命
- 3.5
- 旅行時期:2014/08(約11年前)
- 0
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感動しました
- 5.0
- 旅行時期:2014/07(約11年前)
- 1
ここは歌と踊りの祭典というエストニアで一番大きいフェスティバルの会場です。
ユネスコの無形遺産にも登録されています。
... 続きを読む私は2014年の歌の祭典の最終日に行って来ました。踊りの祭典にも行きたかったのですがチケットが売り切れで行けませんでした。
前方に椅子の席があります。後方は丘のようになっているので芝生にシートを敷いて見ます。シートを持参してなかったのですがインフォメーションで購入することができました。
歌い手さんの民族衣装がとても可愛らしかったです。
ラストは観客も一緒に大合唱をしていました。
エストニア人の愛国心の高さを感じることができ、とても感動しました。 閉じる投稿日:2015/11/14
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そこに何を見ようとするかで評価は変わる
- 4.0
- 旅行時期:2014/01(約12年前)
- 0
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郊外の観光スポット。
- 4.0
- 旅行時期:2013/01(約13年前)
- 1
タリンの市内観光で連れて行ってもらいました。
フェリーのターミナルから車で15分ほどだったと思います。
無料で自由に見... 続きを読む学することができました。
1月の上旬は、一面雪景色。大きな舞台に広い野原、そしてそれを見つめる指揮者の像がありました。
ガイドさんの話だと、5年に1度の歌の祭典の時には、ここに約2万5千人もの人が会して、広大な広場に人がびっしりになるそうです。
なんてことのない場所ですが、指揮者の像と一緒に写真を撮ったり、指揮者の像越しにステージを撮ったりとなかなか楽しめました。
また、冬場は、広場の坂を利用してスキーやソリを地元の人たちが楽しんだりもするようです。この日は、年始早々でしたので、さすがに人はいませんでした。。
ちなみにこの広場の道路を挟んで向かいには、色使いがとてもオシャレなマンションがありました。こちらもとても画になります。
閉じる投稿日:2013/01/15
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タリンの独立を支えた「歌の原」
- 4.0
- 旅行時期:2012/06(約14年前)
- 2
「歌の原」へ行くために、インフォメーションで訊き、バスステーションのキオスクで訊き、ドライバーに訊き、それぞれが異なるバス... 続きを読むを教えてくれる、という状況で、
なんとかバスに乗ったものの、降ろされたのは、おそらく目的地より一つ手前のバス停でした。
ソ連の占領下にあったタリンでは、ソビエトの崩壊の兆しをうけて、1988年、「歌の原」に約30万人が集まり、ソ連により禁止されていたエストニアの民謡などを歌う事件がありました。
これによりますます独立の気運は高まり、1989年にはタリン、リガ、ヴィリニュスのバルト三国の3都市を「人間の鎖」で結ぶ運動に100万人が参加。1991年に独立を達成。このことからエストニアの独立は「歌による革命」とも言われることがあります。
テレビでこれらのドキュメンタリーを見たことがあり、特に「人間の鎖」の映像は、心が震えるような思いをした記憶があります。
テレビの映像からでも「歌の原」に集う人々の熱気が伝わりました。
ここをエストニアの人々が埋め尽くしたんだ、と思うと感慨深いものがありました。
閉じる投稿日:2013/12/23
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イベント会場
- 3.0
- 旅行時期:2010/09(約15年前)
- 0
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バルト三国の歌と踊りの祭典は世界無形遺産だが、エストニアがもっとも古く、“歌う革命”として知られる。
- 4.0
- 旅行時期:2009/10(約16年前)
- 8
【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
2009年10月19日(月)~26日(月)
訪問地;
Lithuania... 続きを読むリトアニア
・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
Latviaラトヴィア
・首都Rigaリガ
Estoniaエストニア
・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン
<2009年10月24日(土)エストニアの首都タリンは曇り、 ~8℃。>
【歌の原(Lauluvaljak)】
(9:50~10:05)
歌と踊りの祭典の行われる場所を歌の原と呼んでいる。なだらかなスロープをした会場は大変広い。スロープ底部にお椀を伏せたような形をした祭典の舞台がある。
Maestro Ausammas Puestitatiの大きな銅像があり、被写体がない場所だけに誰もが銅像と一緒に写真を撮る。
バルト三国の歌と踊りの祭典:
2003年11月、世界無形遺産にリトアニア、ラトヴィア、エストニア三国が同時に登録。
リトアニア;100年の歴史をもつこの世界リトアニア歌の祭典はヴィリニュスの旧市街で4年に一回開催される。この歌の祭典は2007年7月3日~8日に5000人の合唱団が行った。
ラトヴィア;1873年6月に1003名の合唱団と30名の演奏家によって始まったラトヴィアの合唱祭は通常5年に一回開催される。現在では2万人を超える人々が歌い1万人以上の人々が民族舞踊を披露します。次回は2013年。
*エストニア;バルト三国の中でも古い歴史を持つ。
合唱祭はタリン市郊外の野外ステージ“歌の原”で、民族舞踊は広い競技場で5年ごとに催される。
ソ連支配下にあった1989年の「歌の祭典」では、1941年のソ連支配以来、初めてエストニア語で歌い、民族独立へ大きな一歩を踏み出した。
これが“歌う革命”と呼ばれ、その後、ラトヴィア、リトアニアと広がり、 1991年の三国の再独立に繋がっていった。
25回目となる祭典は2009年7月4日に開催された。
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閉じる投稿日:2024/05/26
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歌と踊りの祭典が行われる
- 4.5
- 旅行時期:2009/09(約16年前)
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1件目~19件目を表示(全19件中)
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