バルト三国の歌と踊りの祭典は世界無形遺産だが、エストニアがもっとも古く、“歌う革命”として知られる。
- 4.0
- 旅行時期:2009/10(約15年前)
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by jijidarumaさん(男性)
タリン クチコミ:8件
【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
2009年10月19日(月)~26日(月)
訪問地;
Lithuaniaリトアニア
・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
Latviaラトヴィア
・首都Rigaリガ
Estoniaエストニア
・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン
<2009年10月24日(土)エストニアの首都タリンは曇り、 ~8℃。>
【歌の原(Lauluvaljak)】
(9:50~10:05)
歌と踊りの祭典の行われる場所を歌の原と呼んでいる。なだらかなスロープをした会場は大変広い。スロープ底部にお椀を伏せたような形をした祭典の舞台がある。
Maestro Ausammas Puestitatiの大きな銅像があり、被写体がない場所だけに誰もが銅像と一緒に写真を撮る。
バルト三国の歌と踊りの祭典:
2003年11月、世界無形遺産にリトアニア、ラトヴィア、エストニア三国が同時に登録。
リトアニア;100年の歴史をもつこの世界リトアニア歌の祭典はヴィリニュスの旧市街で4年に一回開催される。この歌の祭典は2007年7月3日~8日に5000人の合唱団が行った。
ラトヴィア;1873年6月に1003名の合唱団と30名の演奏家によって始まったラトヴィアの合唱祭は通常5年に一回開催される。現在では2万人を超える人々が歌い1万人以上の人々が民族舞踊を披露します。次回は2013年。
*エストニア;バルト三国の中でも古い歴史を持つ。
合唱祭はタリン市郊外の野外ステージ“歌の原”で、民族舞踊は広い競技場で5年ごとに催される。
ソ連支配下にあった1989年の「歌の祭典」では、1941年のソ連支配以来、初めてエストニア語で歌い、民族独立へ大きな一歩を踏み出した。
これが“歌う革命”と呼ばれ、その後、ラトヴィア、リトアニアと広がり、 1991年の三国の再独立に繋がっていった。
25回目となる祭典は2009年7月4日に開催された。
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- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2024/05/26
いいね!:6票
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