泰緬鉄道博物館 Thailand-Burma Railway Centre
博物館・美術館・ギャラリー
3.30
施設情報
- 施設名
- 泰緬鉄道博物館
- 英名
- Thailand-Burma Railway Centre
- 住所
-
- 73 Jaokannun Road BanNua, Amphoe Muang, Kanchanaburi, 71000
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- 大きな地図を見る
- 営業時間
- 毎日9:00 - 17:00
- 休業日
- なし
- 予算
- 140バーツ (外国人料金)
- カテゴリ
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現地ツアー・オプショナルツアー・予約(1件)
一覧を見るクチコミ(10件)
1~10件(全10件中)
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カンチャナブリの中では一番内容がまともな博物館
- 3.0
- 旅行時期:2019/12(約6年前)
- 1
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泰緬鉄道博物館
- 4.0
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
- 0
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泰緬鉄道に関する博物館が、カンチャナブリの連合軍共同墓地の北側にあります。
- 3.5
- 旅行時期:2018/12(約7年前)
- 1
泰緬鉄道に関する博物館が、カンチャナブリの連合軍共同墓地の北側にあります。
国道から50mほど入った場所にあります。
... 続きを読む泰緬鉄道建設時の過酷な労働の歴史を紹介しています。
旧日本陸軍の東南アジア侵攻の中で、起こった悲劇を示す資料を展示しています。
また、収集した資料を、博物館としてまとめ上げた英国人の功績を顕彰する施設でもあります。
旧日本陸軍の行為に関する文献や写真を展示するとともに、それらをビデオ映像にして、繰り返し放映しています。
事実は事実として紹介することに問題は無いとしても、それらの評価の仕方については、いろいろな考えがあるものと感じています。
なんとなく考えさせられる博物館です。
皆さんは、どう感じられるでしょうか。 閉じる投稿日:2019/01/08
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内容が充実している博物館ですが・・・
- 3.5
- 旅行時期:2018/09(約7年前)
- 34
日本語では「泰緬鉄道博物館」ですが、英語では「DEATH RAILWAY MUSEUM」つまり死の鉄道博物館で、白い建物の... 続きを読む外に英語のそれででかでかと書かれています。そしてこの博物館の真ん前は連合軍捕虜の共同墓地が広がっています。館内の展示品はカンチャナブリにある博物館ではビジュアル的に秀でており、お値段が高いのもある程度納得してしまいます。ただ展示されているものを超意訳すると、我々白人様(戦争が始まるまで植民地の人々を何百年に渡り奴隷のように扱って犠牲者を多数出したことを忘れて)が、日本軍にジャングルが広がるここに連れてこられ、虐待されてこんなにひどい目にあってたくさん殺されましたとの趣旨のもので、そんなに気持ちがいいものではありませんでした。
この鉄道のおかげで物資をタイからミャンマーにある程度送ることが可能となり、インパール作戦も実施の目処がたったともいわれています。そのインパール作戦実施により戦後にインド国民軍裁判でインド内が騒乱状態と陥り、それによってイギリスの生命線であったインド独立が一段と早まり、最終的に欧州の1国に転がり落ちたことを考えると、イギリスにとっては「死の鉄道」なんでしょうね。イギリスは戦後すぐにシンガポール海運のメリットが薄れるとして、泰緬鉄道の多くのレールを引っぱがして多くを廃線としています。
閉じる投稿日:2018/09/11
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博物館名が建物の外壁一面に大きく書かれています。こんな名前、よく付けましたね。館内は写真撮影厳禁。撮りたかったのですが…
- 1.0
- 旅行時期:2017/02(約9年前)
- 4
「地球の歩き方」に「泰緬鉄道の全容がわかる」と紹介されていたので、行ってみました。入場料は、大人1名140バーツ(470円... 続きを読む相当)なので、私と息子2名分280バーツ(940円相当)を支払い中に入りました。結構お高い。まず、入ったところのエントランスの大きな壁に大きく世界地図が描かれています。東南アジアを中心とした地図です。大東亜戦争中、日本軍がどこからどこに行ったのかその日付を調査し、赤い矢印で詳細に示しています。白い背景に黒線での地図、そこに赤色は極めて目立っています。第二次世界大戦前は、イギリスはミャンマー、インド、マレーシア、シンガポールを植民地としていました。オランダはインドネシアを。アメリカはフィリピンを。そしてフランスはベトナム、ラオス、カンボジアを植民地としていました。これら欧米諸国がいつ東南アジアのどこに入って来て、植民地としたのか?植民地時代、原住民の人たちにどんな労働を課して、何人お亡くなりになられたの?こんなことには、全く触れていません。このバカでかい大きな地図で分かるのは、戦時中の日本軍がどう動いたのかということだけです。この地図で言いたいこと、焦点を絞ってますね。このエントランスは無料。誰でも入ってこの地図は見ることができるんですね。これが反日プロパガンダ博物館なんだなと直感しました。入口を入って1階、2階に資料展示がされています。やせ細った人の写真もたくさん展示されていました。写真撮影厳禁なので、これら写真が当時のこの場所で本当に撮られたものか、合成写真なのかどうかは残念ながら検証できません。
地球の歩き方にこう書かれています。「この工事のために亡くなった人々は、連合軍の捕虜よりも東南アジア諸国から徴用された人たちのほうがはるかに数が多かったことなどをアピール。」とあります。
この博物館がアピールしたかったことは、はたしてこんなことだったのでしょうか? 私は、そうは思いません。この博物館がアピールしたいことは別なところにあると考えます。それは「日本を叩く」ではないでしょうか。そして欧米から来た観光客に、アジアからの観光客にアピール・洗脳するのが目的?
高山正之さんの著書にこうあります。「タイ政府はなんやかや言っては撤去を渋り、約130kmを残した。それが今では地元の貴重な輸送機関として、また観光資源として大活躍する。この鉄道には南京と同じ類の捏造された「残虐な日本軍」の宣伝がついて回っているが、日本の残したインフラに感謝するように当時の日本の機関車が記念として展示されている。(中略)日本のおかげを沢山抱えながら知らんふりする国もあれば、日本との歴史をここまで大切にする国もある。」(出典:変見自在 オバマ大統領は黒人か)
博物館名が建物の外壁一面に大きく書かれています。「DEATH」。こんな名前、よく付けましたね。印象操作という言葉がぴったり当てはまります。
2時間ほどじっくりみました。混み具合ですが、空いてます。我々以外に日本人はいませんでした。中韓の観光客も居ませんでした。白人観光客がパラパラという感じでした。
この博物館に来て良かった、感動した、もういっぺん是非来たいという気持ちには全くならず、見学を終えました。長くなりました。口コミと私の感想は以上です。
閉じる投稿日:2017/09/12
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これが一番興味深かった
- 4.5
- 旅行時期:2016/08(約9年前)
- 0
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DEATH RAILWAY MUSEUM
- 3.5
- 旅行時期:2016/06(約10年前)
- 0
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度肝を抜かした資料が
- 5.0
- 旅行時期:2016/05(約10年前)
- 0
入場料は140バーツと他に2つほど行った博物館より3倍ほど高かったです。そのかわり、冷房完備、コーヒーかお茶のどちらかを1... 続きを読む杯無料で飲めます。館内は撮影禁止です。すべて英語でしたが、展示内容は1階が橋について、2階が捕虜の遺品が中心となっています。
2階で個人的に度肝を抜かした展示物がありました。旧日本軍が製作したと思われる、捕虜の管理記録です。捕虜の遺品に混じって、さりげなく2ページが展示されていました。1ページには収容所。氏名、生年月日、所属部隊など。そこには「補修済」「死亡打電済」という文字が、「支払い済み」のような朱肉スタンプで押されていました。「済」という漢字は、当時使っていた旧字体の画数が多いほうです。
2ページ目の補修欄には「昭和18年2月28日、急性腸突ニテ死亡「リンテン」指定墓地ニ埋葬ス」という手書きの赤い文字。間違いなく日本人の文字でした。他の資料館では、小銃やヘルメット、当時の収容所を再現した小屋はみました。正直言って、あまり日本人がこういうことをやったという、実感がありませんでした。しかし、昭和元号が記入された当時の書類を見たら、すごい実感が湧きました。
当時にこの書類を書いた人間は、書いていた当初はどう思っていたのか?死ぬほうが悪いとでも思っていたのか?捕虜が旧日本軍のために死ねることは光栄とでも思っていたのか?旧日本軍がやっていることは正しいと思っていたのか?戦後は生きていたのか?仮に長生きしたのなら、当時のことを振り返ってどう思うのか?
昭和18年に作られた無機質な2枚の事務書類が、21世紀の日本人と当時を結ぶ貴重な資料となっています。 閉じる投稿日:2016/07/06
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ヘルファイアーパス(Hell Fire Pass)- 消えた泰緬鉄道
- 5.0
- 旅行時期:2009/09(約16年前)
- 0
タイ中部・バンコクから北西120kmにあるカンチャナブリ県。第2次世界大戦中、日本軍が連合軍の捕虜、占領下のアジア人を使っ... 続きを読むて、軍需物資輸送目的でタイとビルマを結ぶ鉄道を作らせた、有名な映画「戦場をかける橋」の舞台となった場所です。
日本語では泰緬鉄道(泰:タイ、緬:ビルマ)という名前ですが、英語名はThe Death Railwayです。
当時の鉄道はほぼ全て今はレールが外されて密林と化していますが、一部が保存され、山道となっています。その山道がヘルファイアーパス(Hell Fire pass)です。
国道沿いに案内が出ていますが、あまり目立つ表示ではないので、少し分かりづらいかも知れません。サイヨーク・ヤイ国立公園より12KM程南下したところの西側にゲートがあります。博物館があり、こちらは入館料がかかります。ハイキングコースのみ行くならば、入場は無料です。博物館で案内図を頂いてから(無料)回ってください。
全ての道のりを歩くと片道4キロです。途中、落石の危険があるため、一部通行止めになっていました。
しっかり歩くなら、トレッキングになります。
勿論、運動靴、ナップザックに日焼け止め、帽子、水、そして、虫が居るので虫除け(蚊取り線香がお薦め)、キンカン等があると重宝します。
雨の日は足場が悪くなり、また、途中の切り通しは岩が両脇にあるので危険です。
私たちは4分の3の道のりを往復したので、ざっと3時間程度かかりました。
戦時中は線路が敷かれていた所にいつから木が生え始めたのか、大木が聳え立っている場所があります。太い幹は大人3人でようやく囲める程の大きさです。植物の生命力の偉大さをまざまざと見せつけられます。
この場所は戦後忘れかけられジャングルに戻りつつあった場所を、後世に伝えるため、オーストラリア人の元兵士が中心となり保全されることになったそうです。現在管理は募金のみで賄われています。日本人には馴染みがないのが非常に残念です。戦争中は、連合国軍の捕虜のほか、名もなきアジアの労働者、朝鮮人が日本の軍需物資輸送(鉄道建設)のために駆り出され、少ない食料の中(コメはタイ米が幾らかありましたがタンパク質が多く不足していました。)多くの命が餓え、栄養失調が高じて病死などによりこの世を去りました。
彼らの生きた証を後世に伝えることができれば、少しは報われるでしょうか。是非一度日本人として訪れてください。教科書では教わらない歴史が眠っています。 閉じる投稿日:2009/10/01
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タイ・カンチャナブリの泰緬鉄道博物館(2005年11月12日)
- 4.0
- 旅行時期:2005/11(約20年前)
- 0
タイ・カンチャナブリの泰緬鉄道博物館(2005年11月12日)
タイ・カンチャナブリの泰緬鉄道博物館には東南アジア諸国か... 続きを読むら徴用され泰緬鉄道建設の犠牲になった人達の紹介が多い。日本は連合軍の捕虜を優遇し、実際には連合軍よりはるかに人数が多かった東南アジア諸国から集められた人達を冷遇していたと説明していたことが印象に残った。「戦場に架ける橋」では連合軍の捕虜ばかりが目立つが東南アジア諸国の人達の犠牲者が数段多いのに日本は連合軍の共同墓地などの援助をしたものの東南アジアの人達の共同墓地や慰霊碑は作っていない。確かに日本人の西欧人へのコンプレックスの表れかもしれないし、中国、韓国を代表とするアジア諸国の日本への不満はこのような偏った対応から来ているのではないだろうか、と思った。連合軍共同墓地の隣にある。入場料は60バーツ・180円だった。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10045518/
(写真は泰緬鉄道博物館近くから見る夕日)
閉じる投稿日:2007/07/17
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