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旅行記 2 件
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東ティモールとインドネシアを結ぶ幹線国道を見てきました。(後編:インドネシアとの国境)
- 同行者:一人旅
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- 旅行時期:
2019/12/01 -
2019/12/15
(約4年前)
11 票
東ティモールとインドネシアを結ぶ幹線国道と国境地帯を見てきました。(後編:インドネシアとの国境)インドネシアとの国境への幹線道を移動して、東ティモールとインドネシアの国境地帯までやってきました。東ティモールは、永い間、ポルトガルの植民地でした。ポルトガルの植民地が続いた後、オランダがやってきて、ホルトガルとの争いが始まり、最終的には、ティモール島を東西に2分して、東側がポルトガル領、西側半分をオランダが植民地としました。第2次世界大戦後、オランダ領がインドネシアとして独立しました。東半分のポルトガル領部分も独立の動きが高まると、インドネシア軍が、西側から東側に入り込み、ポルトガル領の東半分も軍... もっと見る(写真76枚)
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東ティモールとインドネシアの陸続き国境を見てきました。(不法出国と不法入国)
- 同行者:一人旅
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- 旅行時期:
2017/07/10 -
2017/07/14
(約7年前)
27 票
東ティモールは、ティモール島の東半分です。西半分は、インドネシア領です。両国の国境は、陸続きになっており、往来する人々や車両が多く見られます。今回、主要幹線道路により結ばれている北側海岸沿いの国境の検問所を見ることができました。もともとティモール島は、16世紀にポルトガル人が入植し、ポルトガルの植民地になっていましたが、約1世紀ほど遅れて、オランダ人が入り、抗争の末、東側半分がポルトガル領、西側半分がオランダ領となった経緯があります。第2次世界大戦後、インドネシアが、東半分のポルトガル領に、軍事侵攻し、軍政を布いていました。その後、国際世論の圧力により、インドネシアが撤退し、東ティモールが独立... もっと見る(写真48枚)
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東ティモールのバウカウ市にある旧日本軍の洞窟陣地を見てきました。
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- 旅行時期:
2017/07/10 -
2017/07/13
(約7年前)
17 票
東ティモール第2の都市、バウカウ市の近くに、旧日本軍の洞窟陣地があるということを聞き、行ってきました。岩盤の中をくり貫き、洞窟を縦横に、陣地として組織化していました。当時は、機械もなく、手掘りで掘ったものでしょう。苦労の後がしのばれます。場所は、バウカウから20kmほど南側の山の中であり、陣地という第一線の守備の施設ではなく、後方の支援施設だと思われます。道路の屈曲部に位置しており、資機材の貯蔵のための施設と考えるべきかと思います。グーグルの地図には、Munition Store と記載されていますので、兵站施設と考えています。 もっと見る(写真29枚)
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東ティモール第2の都市バウカウのマイクロレット
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- 旅行時期:
2018/01/04 -
2018/01/05
(約6年前)
20 票
東ティモール第2の都市バウカウのマイクロレットを利用しました。もともとマイクロレットは、インドネシアにおける庶民の足として利用されていましたが、インドネシアの移動手段制度が、陸続きの東ティモールに導入されたものでしょう。基本的に、東ティモールのマイクロレットは、インドネシアのマイクロレットと同一です。首都ディリのマイクロレットの経路を表す数字が、バウカウでは、英文字になっている点が異なります。 もっと見る(写真24枚)
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東ティモールにもトゥクトゥクがありました。インドシナ半島だけかと思っていました。
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- 旅行時期:
2018/01/04 -
2018/01/05
(約6年前)
21 票
タイやカンボジアで、大いに利用させて頂いたトゥクトゥクが、東ティモールのマナトゥートゥという地方都市で見ることができました。やはり、観光客が利用していました。タクシーを見かけなかったので、トゥクトゥクは観光の足として利用されていたものと思われます。とても懐かしく感じました。でも、どうして東ティモールのマナトゥートゥという地方都市でのみで見ることができるのでしょうか?全く理解できませんが、これからも勉強します。 もっと見る(写真26枚)
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