ピックアップ特集
ホテル クチコミ人気ランキング 2 件
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ヘリオポリス
3.16
2件
- パルミラ遺跡そばのホテル〜
- HELIOPOLIS
ホテルランク -
デデマン パルミラ ホテル
3.08
1件
- 周りには何もありません
ホテルランク
観光 クチコミ人気ランキング 5 件
- パルミラ ショッピング (0件)
旅行記 153 件
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7日間のシリア旅行の中でパルミラを訪れました。最近の旅行記がないので少ない内容ですがまとめておきます。*----------------------------------------------------------------*外務省よりシリア全土に退避勧告(危険レベル4)が出されています。どのような理由があってもシリアへの渡航は控えてください。*----------------------------------------------------------------* もっと見る(写真13枚)
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「インディ・ジョーンズに憧れて」と言う題名で、先にアップしていた中東の旅の前後を紹介します。先ず最初に訪れたのは、シリアのパルミラ遺跡です。 もっと見る(写真80枚)
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イスタンブールから空路向かったのはシリアのダマスカス。初の中東訪問です(トルコはイスラム圏といってもヨーロッパ、特にイスタンブールは)。まだまだ旅のビギナーだったこともあり、訪問前はかなりビクビクしてました、特に衛生面に関して。「生野菜は危険」とか、過敏に反応してしまい気持ちに余裕がありませんでした。おかげでシリア滞在中はお腹の調子が最悪で、早く「中東を抜けたい」なんて弱音も……。 当時のシリアは現アサド大統領の父親の時代。強権支配はその頃から変わっていなくて、街中には警官だけでなく兵士も多く見かけたものです。治安は保たれていたのだけれど、場所によってはどこかピリピリしたような緊張感を感じる... もっと見る(写真60枚)
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<2か月かけて中東とバルカン半島南部を周遊した時の備忘録です。前半1か月は、トルコとレヴァント(東部地中海沿岸の国々)のシリア・レバノン・ヨルダンを陸路で周ってきました。黒海から紅海まで南下し、再び北上し、ギリシャへと抜けます>ヨルダンのアカバから、アンマン、シリアのダマスカスでそれぞれ1泊ずつしてから、バスでパルミラ遺跡へとやってきました。シリア後半のハイライトであるパルミラ遺跡を観光です。*シリアを訪れたこの1年後、内戦状態に入ってしまい、今もたいへんな状況が続いています。1日も早く、また平和で訪れることができるように、またシリアの人々が無事で再び元の生活に戻れるように願っております。 もっと見る(写真31枚)
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2020年9月18日のお題シリアで。イラク侵攻が始まって4ヶ月がたった頃のパルミラです。観光客も少なく、夏に行くべき所では無いなと思いましたが、アラブ城砦まで登って全体の景観を見ました。今のシリアを考えると、旅はタイミングだと思います。 もっと見る(写真7枚)
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クチコミ(34)
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色塗り投稿です。シリア、、、今は行けるようになったようですが、ガイド、VISAが必要だとか、、、。訪れたのは忘れもしない2011年1月。内戦が始まるほんのの数ヶ月前。その時はトルコとの国境で20ドル払って日本人は入国可能でした。 トルコイスタンブールから夜行列車に乗り、そして北キプロスへ寄り道。まだまだ時間たっぷりだとの余裕をぶちかましていた。その後、トルコに戻って、イスケンデルンへ。ここから列車でシリアに行こうと試みたのだ。だが、駅で、もうシリア行きの列車は走っていないとのこと。時間が無いのですぐにアンタクヤへバスで行き、そこからシリアアレッポ行きの国際バスに乗車。だが、トルコ国境でコンピューターがダウンしたとかで、出国に6時間程待たされる。で、やっと復旧しシリア入国。 思い出に残っていることは、、、。・シリア行きの国際バスには、ブルガリア人のおばさん、香港人男性2人組、そして日本人の自分が外国人では乗っていた。だが、シリアに入国できたのは、、、。香港人2人組は入国できず、別の国境で再度試してみるとバスを降りて行った。ブルガリアのおばさんが笑いとばす。ブルガリアok、ジャパンok、チ...
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当時は、こんな砂漠のまっただ中の遺跡が戦地になるとは考えすら及ばなかった、古代オリエント博物館で想いを馳せる
5.0 旅行時期:2021/05 (1ヶ月以内)
シリアを訪ねたのは1999年。今は亡きパルミラの遺跡群を訪ねた。パルミラ行きは首都ダマスカスからバスで片道3時間あまり、日帰りするにはかなりキツい強行軍となった。途中、なにもない砂漠を延々とバスに揺られたことを覚えている。そして、こんな砂漠のまっただ中の遺跡が戦地になるとは考えすら及ばなかった。今にして思えば、あの時に訪れていなければ、この広大な敷地にある巨大なパルミラの遺跡群を見られなかったことになる。中心にある遺跡群から離れたところには墳墓の谷という所があり、紀元103年に創られた墳墓がある。そこにあったフレスコ画の美しさと彫像の保存状態には息を呑んだ。内戦と蛮行の結果によって大部分が失われてしまったパルミラの遺跡であるが、これを再現してる場所が日本にある。場所は、池袋サンシャインシティ内の古代オリエント博物館。ショッピングモール内にある文化施設なんて百貨店の企画展示程度かと勝手な想像をしていたが、ここまで本格的な博物館とは知らなかった。詳細はコチラから↓https://jtaniguchi.com/%e4%b8%87%e8%83%bd%e3%83%9e%e3%83%ab%e3%8...
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ダマスカスの北東約200キロのシリア砂漠にあります。紀元前1世紀にローマ帝国の属州となり東西交易路の中継地として発展しますが、3世紀にパルミラの女王がローマ帝国に反旗をひるがえして街はローマ軍に破壊されました。 耳をすますと古の人々の声が聞こえてくるようでした。
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震災直後3月17日に成田を発ってセルビスでレバノン山脈を越えシリアには同月下旬にダマスカスに入った。ダマスカス、アレッポ、ボスラと見どころは多いがナント云っても「パルミラ」に勝るものはない。3P制覇の最初がこのパルミラだった、アレッポからバス、ハマでタクシ−と交渉午後にパルミラに入れた。広大・壮大、保存状況も良く私の心を捉えて離さなかった・・・しかるに「ISの馬鹿」がくたばれ「IS」!シリアの後半には40度の熱に悩まされていた私だった・・・
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アレッポから天空城を経由してパルミラにタクシーで移動。今みたくネットの情報が少ない時でしたので、苦労しましたが、その甲斐があってとても良い遺跡でした。しかし、今は多分破壊されているのでしょう。宗教戦争は怖い物です・・