パルミラ 治安・トラブル
クチコミ1件
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- kasekun
- 男性 / パルミラのクチコミ : 1件
- 旅行時期 : 2011/01(約14年前)
色塗り投稿です。 シリア、、、今は行けるようになったようですが、ガイド、VISAが必要だとか、、、。訪れたのは忘れもしない2011年1月。内戦が始まるほんのの数ヶ月前。その時はトルコとの国境で20ドル払って日本人は入国可能でした。 トルコイスタンブールから夜行列車に乗り、そして北キプロスへ寄り道。まだまだ時間たっぷりだとの余裕をぶちかましていた。その後、トルコに戻って、イスケンデルンへ。ここから列車でシリアに行こうと試みたのだ。だが、駅で、もうシリア行きの列車は走っていないとのこと。時間が無いのですぐにアンタクヤへバスで行き、そこからシリアアレッポ行きの国際バスに乗車。だが、トルコ国境でコンピューターがダウンしたとかで、出国に6時間程待たされる。で、やっと復旧しシリア入国。 思い出に残っていることは、、、。 ・シリア行きの国際バスには、ブルガリア人のおばさん、香港人男性2人組、そして日本人の自分が外国人では乗っていた。だが、シリアに入国できたのは、、、。香港人2人組は入国できず、別の国境で再度試してみるとバスを降りて行った。ブルガリアのおばさんが笑いとばす。ブルガリアok、ジャパンok、チャイナno! 彼らは香港から来たのだけど、、、。国籍によってシリアは入国を許可するようだった。中国人はどこでも嫌われてる、、そう思ってしまった。 ・アレッポに到着するものの、今どこにいるのかさえわからない状況だった。(まだマップスミーもない、ケータイの時代だった)目印の鉄道駅に行きたく、バスの運転手に、英語で話しかけるものの全く伝わらず。身振り手振りや、シュポポシュポポと擬音で駅に行きたいことを伝え、やっと通じたようだった。駅にたどり着き、料金を払おうとしたら、いいよいいよと。お言葉に甘えさせてもらった。シリアの方々は旅人に優しいのかもと思った。 ・早速駅で今夜の列車のチケットを購入。アレッポからまっすぐダマスカスへ行く列車に乗ればいいものの、シリアの列車に長く乗りたい、世界遺産のパルミラにもそんなに離れてない、という考えでカミシュリー行きの夜行列車のチケットを購入。列車を待つ間、世界遺産アレッポの町を散策。、、、もうあの時見たアレッポの町は既にない。 ・カミシュリーに朝到着。駅を出るとタクシーが声をかけてきた。行きたいのはパルミラ遺跡。パルミラまでいくら?試しに聞いてみた。すると激安。え、そんなに安いの?シリアは産油国だから安いのかな?と思い、このタクシーに乗車。、、、だが、たどり着いた所はパルミラ遺跡ではなかった。パルミラと言えば超有名なはずなのでタクシー運ちゃんもわかってくれるはずと思い込んでたのが間違いだった。着いた場所はパルミラに似た発音(パルミュラ?)のカミシュリーからそんなに離れていない村だった。どおりで料金が安いわけだった。歩き方のパルミラ遺跡の写真を見せ確認すればよかった。まあ、通り道であちこちに石油を掘削している場所が見えたのでよしと思い込む。 ・タクシー運ちゃんはパルミラ遺跡へ行くバスが出る町まで送ってくれた。このバスに乗ればパルミラ遺跡へ行けると。アラビア語も全く理解できない旅人に、何と親切なことか。 ・パルミラ遺跡に到着。てくてく歩き方を持って遺跡を見て回ってると、観光バスが到着。、、、と、日本語でバスの窓にこのツアーの張り紙が。どんな日本の方々が団体で来てるのだろうかと眺めていると、、、バスから降りてきたおばさん、いきなり自分を見つけ「何であんたその本持ってんねん!」と関西弁の訛りでどついてきた。え、自分日本人ですけど、、、。え、、、。おばさん、きっと自分を現地人と思ったに違いない。日本人には見られない自分。きっと日本人から盗んだと思ったのかもしれません。それにしても関西のおばさんは度胸があるものです。 ・パルミラでは自称スズキタカシと名乗る歩き方にも掲載されてる現地ドライバーさんに偶然にも出会った。せっかくなのでこの方に、他のパルミラ遺跡周辺のツアーをお願いした。リクエストとして現地の朝飯を食いたいことをお願いして。次の日、このスズキさんと回るわけだが、リクエストの朝食は、、、てっきりスズキさんの家でご馳走になるものだとばかり思ってた自分。が、違った。弁当?のように持参して来ていたのだ。地面に敷物を敷き、2人で外で朝食。これがナツメヤシだとか、、、。アラブの朝食、おやじ2人で仲良く堪能させていただきました。 ・ダマスカスでは初のハンマームにチャレンジ。歩き方に載ってた所を探し回ってたのだが見つからず。そんな様子を察してか、現地の若者が英語で声をかけてきた。このハンマームに行きたいんだけど、、、。若者は自分に着いてきてと案内してくれた。お礼を言って別れたが、彼はもときた道を戻っていく。わざわざ連れて来てくれたのだった。日本人ばかりではない。アラブの方々に親近感を持った出来事だった。今じゃマップスミーで道に困ることはないが、昔は歩き方の地図だけが頼り。方向音痴の自分には本当にありがたかったのです。 ※ダマスカスをあとにして、その後は乗り合いタクシーに乗ってレバノンへ。 、、、という感じのシリア旅行でした。まさか帰国してすぐに内戦が勃発するとは思ってもみませんでした。どんな復興を遂げているのか、いつかまた訪れたいと思っています。 以上、色塗り投稿でした。
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