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旅行記 9 件

  • 2025夏の太平洋諸国周遊の旅5 オーストラリア編2

    • 関連タグ:

      • 旅行時期: 2025/08/04 -  2025/08/04 (約5ヶ月前)

      カウラ、、、この町を知ったのはわりと最近。たぶん多くの日本人は知らないんじゃないかな?地球の歩き方には1ページだけこの町の観光案内が載ってるけど、、、、。カウラ事件、、、ここで日本人捕虜が集団脱走をはかり、亡くなった。亡くなった安倍さんも慰霊に訪れている。シドニーから列車とバスでカウラに行き、慰霊してきました。 もっと見る(写真248枚)

    • オーストラリア紀行2018年12月②(カウラ編)

      • 同行者:カップル・夫婦
      • 関連タグ:

        • 旅行時期: 2018/12/28 -  2018/12/29 (約7年前)

        12月28日マンゴーとラズベリーとヨーグルトで朝食をとって出発。「Blackheath Glen Tourist Park」のすぐ近くに「Govett Leap」がありました。 展望台からはなかなかの絶景が広がっていました。いくつかトレイルがついているので、簡単そうなのを歩いてみました。やっぱりトレイルを歩いてみると気持ちが良かったです。ビジターセンターをちょっと見てから出発しました。しばらく車を走らせ、Hassan's Wallを目指した。一時間ほどでHassan's Wallに到着。これまた見事な景色が広がっていた。岩が橋のような洞窟のような感じになっているとかもあったりとかして、人も少... もっと見る(写真43枚)

      • こんなところに日本人、訪ねてみたいカウラ(オーストラリア)の歴史を知る旅!

        • 同行者:一人旅
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          • 旅行時期: 1992/07/14 -  2013/08/29 (約33年前)

           私がオーストラリアへ渡った時、まさかこんなに長く内陸の田舎町で暮らすようになるとは思っても見なかったのです。  それまでの私は一人旅ばかりで、点から点の旅が嫌いで線で結ぶ旅、即ち、地面を張って行く旅が好きでしたから、アメリカへも船で行き、当時パンアメリカンの片道は羽田〜サンフランシスコ間が39万円もしたのに(当時の大卒初任給は9千円程度)それを無駄にしてまでアメリカの豪華客船”プリンセルウイルソン号”に変更して12日間もかけてアメリカまで行ったり、モスクワまで「バレエ公演」を観に行くのもまずは船で(ロシアのバイカル号)横浜から出て津軽海峡を通り、ナホトカへ入り…と言った面倒くさいことが好きな... もっと見る(写真4枚)

        • カウラ大脱走事件の現地を訪ねて、昨日の敵は今日の友の旅!

          • 関連タグ:

            • 旅行時期: 1994/07/14 -  2013/08/28 (約31年前)

             さて前回、カウラの旅を紹介するつもりで書き始めたら余談ばかりで終わってしまったので、いきなりカウラ紹介から書き始めます。 カウラ市はシドニーから西へ320キロほど内陸へ入ったところにあり、その間には分水嶺と呼ばれるアメリカで言えばロッキー山脈のような山並みが横たわっています。 この分水嶺の頂きにあの世界遺産「ブルーマウンテン」があります。 ほとんどの日本人はこのブルーマウンテンの「スリーシスターズ見物」がシドニー観光の範囲でそこから内陸に入るのはほとんど特別な目的を持った極めて少数の人たちで、私もその一人でした。 第2次世界大戦の末期カウラ市には連合軍の捕虜収容所があり、次々に南方戦線で捕え... もっと見る(写真3枚)

          • 旅先ではご用心、簡単に車は横転! 事件ばかりでない危険とは?

            • 同行者:一人旅
            • 関連タグ:

              • 旅行時期: 2013/04/08 -  2013/08/29 (約13年前)

               私は自分が出会った海外旅行先での危険体験をあえて書いていますが、これはこれから海外へ出かける方に訪問先で事故や事件に巻き込まれてほしくないからです。 オーストラリアは大変治安が良く、犯罪も少ない所ですが、逆に大きな死亡事故につながる事故に遭いやすい所です。 私は2台ほどカンガルーとの衝突と衝突回避で全破損させ、3台ほどエンジントラブルでダメにしてきました。 日本車ほどメンテナンスの要らない車はない、と現地人は言います。 ベンツよりBMWよりトヨタ、ミツビシ、ホンダ車に人気が集まるのは故障が少ないからですが、それでも事故に遭う確率まで変わるわけではないのです。 私がトヨタのエステマ(8人乗りワ... もっと見る(写真3枚)

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            • 第二次大戦で亡くなった日本人の方々の墓地

              3.0 旅行時期:2019/01 (1ヶ月以内)

              まめ夫婦

              まめ夫婦さん(男性)

              カウラ日本人墓地のクチコミ

              「カウラ日本人墓地」へ行きました。ここは第二次大戦で亡くなった日本人の方々の墓地だということでした。墓石は1つしかありませんでしたが、ものすごい数の方々の名前が刻まれていました。同じ日にの亡くなった方も多く、その日に何があったのだろうかと考えさせられる場所でした。

            • 「カウラ日本人墓地」から車で5分ほどで「カウラビジターインフォメーションセンター」に到着しました。中に入るとシアターを見ていくように勧められました。シアターの中では、ここで起きた戦争の様子が写真や映像で紹介されていました。

            • オーストラリアで最大の日本庭園、いや、諸外国にある日本庭園の中でも最大の日本庭園だが、この公園は日本政府がオーストラリアへの贈り物として建設を開始したが、あいにくの干ばつで苦しむ中、東京都が中心になり、作り上げたものです。 カウラ市には連合軍の捕虜終了所があり、南方戦線で捉えられた日本人捕虜が分散して収容されている中(ブルームやヘイと言った他の捕虜収容所もあり)カウラは内陸部であり、近くに陸軍の訓練所があったために設置された経緯を持つ。 その捕虜収容所ではあの有名なカウラ大脱走事件があり、後に石田純一主演で「カウラ大脱走(Cowra Break out)」と言う映画になっている。 当時の日本兵は捕虜になることは恥じるべきこと、一方ヨーロッパでは「英雄」の違いが事件を起こす原因となったのだ。 ちなみに将棋では取った相手の駒を使えますが、チェスでは使えません。 こうした一見同じようンアゲームでもその底流には文化の違いが流れているのです。 造園設計師:中島健氏が作り上げた日本庭園はその後年に2回は市が訪れて整備指導をしてきたから日本庭園の面目を守っていたが、その後、中島健氏が故人造園指導者が...

            • カウラ大脱走事件

              5.0 旅行時期:2014/01 (1ヶ月以内)

              bluejays

              bluejaysさん(男性)

              カウラ捕虜収容所跡のクチコミ

               「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓の影響から、捕虜になることを不名誉とした日本兵は、1944年8月5日午前2時、脱走を敢行した。脱走といってもオーストラリアは島国のため、外部に脱出が可能とも思えず、彼らの多くは脱走を名目として実は戦死を企図していたのだった。 1104人の日本兵は、キッチンから持ち出したフォークとナイフを武器に、管制塔に向かって絶望的な突撃を敢行した。管制塔の上には機関銃があり、これを奪取すれば日本兵はオーストラリア兵より圧倒的に多数なため、絶対優位に立つことができるのだ。 見張りのオーストラリア兵は、上等兵ベンジャミン・ハーディとラルフ・ジョーンズただ2人だった。彼らは暗闇のなか四方八方から「バンザイ」を叫びながら突撃する日本兵に、闇雲に機関銃を連射した。日本兵たちは次々と倒されていった。こうして幾人もの屍を築いた後、日本兵はついに2人の見張りを殺害し、管制塔の奪取に成功する。形勢は完全に逆転したかに思われた。 やがて眠っていたオーストラリア兵たちが次々と現れた。日本兵は機関銃を撃とうとしたが、発射できなかった。ジョーンズ上等兵が死の直前に、機関銃のボルトを外...

            • いまだ氏名不詳の者多く

              5.0 旅行時期:2014/01 (1ヶ月以内)

              bluejays

              bluejaysさん(男性)

              カウラ日本人墓地のクチコミ

               オーストラリア政府は、日本にいるオーストラリア人捕虜に危険が及ぶのを恐れ、カウラ事件を隠蔽した。だが新潟県上越市にあった直江津捕虜収容所に収容されていたオーストラリア人捕虜300名のうち60名は、1942年冬の大寒波が原因で死亡した。収容所の警備員8名が捕虜虐待を理由に処刑された。 日本政府もまた、カウラ事件を認知していたにもかかわらず、捕虜の存在を不名誉としてこの事件を隠蔽した。 カウラ捕虜収容所跡近くに、事件の犠牲者を葬った日本人墓地が作られ、1963年にはこの墓地が日本政府に寄贈された。日本人にとって捕虜となることは大変な不名誉であり、その家族は村八分にされた。そのためカウラの日本人捕虜は、多くが偽名を名乗っており、今日もなお氏名不詳のままの者が多い。中には「ウラシマ・タロウ」の墓もあった。

            カウラ のクチコミ一覧(9)

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