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カウラ捕虜収容所跡 Cowra Prisoner of War Camp

史跡・遺跡

カウラ

観光の所要時間:
1-2時間

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カウラ捕虜収容所跡 https://4travel.jp/os_shisetsu/10501634

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施設情報

施設名
カウラ捕虜収容所跡
英名
Cowra Prisoner of War Camp
住所
  • Sakura Ave and Evans Street, Cowra, New South Wales 2794, Australia
カテゴリ
  1. 観光
  2. 文化・芸術・歴史
  3. 史跡・遺跡
登録者
bluejays さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(1件)

カウラ 観光 満足度ランキング 3位
3.11
アクセス:
1.00
公共交通機関なし by bluejaysさん
コストパフォーマンス:
5.00
人混みの少なさ:
4.50
展示内容:
5.00
  • カウラ大脱走事件

    • 5.0
    • 旅行時期:2014/01(約10年前)
    • 0

     「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓の影響から、捕虜になることを不名誉とした日本兵は、1944年8月5日午前2時、脱...  続きを読む走を敢行した。脱走といってもオーストラリアは島国のため、外部に脱出が可能とも思えず、彼らの多くは脱走を名目として実は戦死を企図していたのだった。
     1104人の日本兵は、キッチンから持ち出したフォークとナイフを武器に、管制塔に向かって絶望的な突撃を敢行した。管制塔の上には機関銃があり、これを奪取すれば日本兵はオーストラリア兵より圧倒的に多数なため、絶対優位に立つことができるのだ。
     見張りのオーストラリア兵は、上等兵ベンジャミン・ハーディとラルフ・ジョーンズただ2人だった。彼らは暗闇のなか四方八方から「バンザイ」を叫びながら突撃する日本兵に、闇雲に機関銃を連射した。日本兵たちは次々と倒されていった。こうして幾人もの屍を築いた後、日本兵はついに2人の見張りを殺害し、管制塔の奪取に成功する。形勢は完全に逆転したかに思われた。
     やがて眠っていたオーストラリア兵たちが次々と現れた。日本兵は機関銃を撃とうとしたが、発射できなかった。ジョーンズ上等兵が死の直前に、機関銃のボルトを外し使用できないようにしたのである。
     その後は一方的な殺戮が続いた。フェンスにしがみついた日本兵はことごとく撃たれた。このころ、日本兵は各所で次々に自決を始めた。
     それでも359人の日本兵が、外部に脱出した。だが彼らは本来脱走を目的としていなかったため、途方に暮れた。2人の日本兵が近隣の農家に押し入って食料を求めると、メイ・ウィアー夫人は紅茶とスコーンを与えた。2人は行くあてもなく、ただおとなしく家にいて、無抵抗のまま再び捕虜として連れ戻された。この2人は後年、ウィアー夫人を訪問して礼を述べている。その他の脱走した日本兵は、ほとんどが数日のうちに捕まり、一部は自決した。
     カウラ事件は日本人231名、オーストラリア人4名の死者を出して終わった。  閉じる

    投稿日:2015/06/04

1件目~1件目を表示(全1件中)

このスポットに関するQ&A(0件)

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