東京の寺・神社・教会 ランキング(4ページ)
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3.49
評価詳細
- アクセス
- 3.50
- 人混みの少なさ
- 3.63
- バリアフリー
- 2.87
- 見ごたえ
- 3.65
組物、彫刻を用いない建築で質実剛建な感じを与える。
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る社殿は第8代将軍「徳川吉宗」の命により建立され、随所に江戸の雰囲気が感じられる神社です。
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4.0
- 旅行時期: 2024/01
- by Lily-junjun
「赤坂氷川神社」は、港区赤坂にある「氷川神社」で、大都会の赤坂にありながら、江戸時代の面影を残しています。例えば、江戸の年続きを読む
「赤坂氷川神社」は、港区赤坂にある「氷川神社」で、大都会の赤坂にありながら、江戸時代の面影を残しています。例えば、江戸の年号が刻まれた石碑、灯籠、7対の狛犬と歴史を感じさせる遺産など、江戸時代の歴史が感じられる境内が残っています。 「赤坂氷川神社」の歴史と概要を紐解いてみると、「赤坂氷川神社」の創建年代は不詳ですが、天暦5年(951年)に東国を遊行していた「蓮林僧正」が、現在の赤坂4丁目付近の「一ツ木村」で一夜を明かすと夢の中で御祭神のお告げがあり、この地に「氷川明神」の「社殿」を建てお祀りをしたことにはじまります。また、100年後の治暦2年(1066年)の夏の、関東一円を襲った大旱魃があり、苦しむ村人たちが「氷川明神」に雨乞いの祈願をするとたちまち雨が降りはじめたという話も残っています。そして、江戸時代には第8代将軍「徳川吉宗」から篤い崇敬を受け、以後は徳川将軍家より庇護されました。「徳川吉宗」の命によって造営された社殿が現存しています。歴史を振り返ってみれば、現在までに「安政の大地震」、「関東大震災」、「東京大空襲」などがあったにもかかわらず、それらの被災を免れているのは奇跡的とも言えるのではないでしょうか。「氷川」の名称の由来は、出雲国「簸川」(現在の島根県斐伊川)にあるとされ、「簸川」の上流は御祭神「素盞嗚尊」の「八岐大蛇退治」の舞台と伝えられています。 《「赤坂氷川神社」のお薦め参拝巡路》 ①「力石」⇒②「大銀杏」⇒③「包丁塚」⇒④「九神社」⇒⑤「山口稲荷」⇒⑥「桶新稲荷」⇒ ⑦4基の「石灯籠」⇒⑧「社殿」⇒⑨「縁結ひ」⇒⑩「山車展示場」⇒⑪「四合稲荷」⇒⑫「西行稲荷」⇒ ⑬「太鼓橋」⇒⑭「苗村翁頌徳碑」 それでは、早速「赤坂氷川神社」の境内に足を踏み入れます。「赤坂氷川神社」には、南側と東側に二つの「一の鳥居」があります。江戸時代には、東側の「一の鳥居」から入るのが正式なルートであったそうですが、現在では、南側の「一の鳥居」から入るのが一般的というらしいです。赤坂方面から来ると東側の「一の鳥居」が近く、六本木方面からは南側の「一の鳥居」が最寄りとなります。私は、都営大江戸線「六本木駅」を利用したので、南側の「一の鳥居」をくぐりました。 《「力石」》 「一の鳥居」をくぐると右手に「港区立氷川神社遊び場」があり、左手に「力石」があります。江戸時代から明治時代まで鍛錬や娯楽として「力石」を用いた力試しが盛んに行われたといわれています。境内の土中から発見された力石には「三拾五貫目」(約130kg)と刻まれていました。「力石」は、平成7年(1995年)3月27日に港区登録有形民俗文化財に指定されました。 《「大銀杏」と「包丁塚」》 「一の鳥居」の参道を進むと、右手の緑地に「大銀杏」と「包丁塚」があります。「赤坂氷川神社」の「大銀杏」は推定樹齢400年で、幹の周囲は約7.5mにもなります。「社殿」が現在の地に建立された享保15年(1730年)には、すでに100年を超える樹齢をであったと考えられています。そして、裏から見るとかなりダメージを負っていますが、これは昭和20年(1945年)の東京大空襲によるものです。平成6年(1994年)に港区天然記念物に指定されました。 「包丁塚」とは、料理人の使い古した包丁を納め、その恩恵に感謝するとともに、調理した動物や魚の霊を慰めるものです。境内の「包丁塚」は、赤坂青山料飲組合が使わなくなった包丁を奉納したもので、昭和49年(1974年)11月に赤坂青山料飲組合によって建立されました。傍らの左側には、「包丁塚30周年記念」の碑も建てられています。 《「九神社」》 「一の鳥居」の参道に戻り、少し進むと左手に「九神社」があります。「九神社」は、かつて境内の各所に鎮座していた「天祖神社」、「春日神社」、「鹿島神社」、「八幡神社」、「諏訪神社」、「秋葉神社」、「厳島神社」、「金刀比羅神社」、「塞神社」の9社を合祀した神社です。それぞれの神社への遥拝所として役割がありました。戦前は仲ノ町小学校(現在の赤坂小学校)に鎮座していましたが、戦後に「赤坂氷川神社」の境内に遷座されました。 《「山口稲荷」と「桶新稲荷」》 「三の鳥居」の手前の道を左方向進むと「社殿」の左側に、「山口稲荷」と「桶新稲荷」があります。 「山口稲荷」は、終戦後、赤坂3丁目にあった山口邸から遷された神社です。鳥居には享保3年(1718年)銘があり、向かって右側の水盤には文化10年(1813年)、左側の水盤には嘉永4年(1851年)、狛犬の台座には文政8年(1825年)の文字が刻まれていています。 「桶新稲荷」は「社殿」の左手の「山口稲荷」の先にあります。「稲荷社」の主祭神である「宇迦之御魂」は稲の神で、古来は農業神として信仰をされてきました。時代が下り産業が発展すると、「稲荷神」の神格は諸産業の守護神として拡大しました。江戸時代、江戸市中では稲荷神の勧請が盛んに行われたようです。赤坂5丁目の「桶屋」の稲荷もそのうちの一社で、戦後「赤坂氷川神社」に遷されたと伝えられています。 《4基の「石灯籠」》 「三の鳥居」まで戻り、さらに先に進むと「手水舎」があり、「楼門」の両側には、平成7年(1995年)3月27日に港区の登録有形文化財に指定された4基の「石灯籠」があります。「楼門」前に安置されている灯籠は、遷座を担当していた老中「水野忠之」が「社殿」の完成を記念して奉納したものです。 《社殿》 「社殿」は、享保15年(1730年)に八代将軍「徳川吉宗」の命より建立されました。この「社殿」は、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」の三つの建物が一体となった、いわゆる権現造りの形式です。当時は幕府による倹約政策が進められていたため、「社殿」には質実かつ簡素な気風が表れています。通常は将軍の寄進するような社寺であれば、軒下の組物を何重にも重ねたり、彫刻や彩色などで飾り立てたりするのですが、この「社殿」の組物は簡素で、彫刻も目立ちません。ただ、将軍の寄進だけあって、大きな「雲形組物」や「吹寄せ垂木」など重厚な意匠を取り入れる工夫もなされています。昭和51年(1976年) 7月1日に東京都の有形文化財(建築物)に指定されています。 《縁結ひ》 縁結びにまつわる「縁結ひ」は、「楼門」をくぐってすぐ左手にあります。実は、「宮神輿庫」になっていた一画でしたが、「山車庫」が完成したため令和5年(2023年)に再整備して、縁結び祈願の「縁結ひ」となりました。日本には願いをしたためた紙を社寺の格子に結い、縁結びを願う風習がありました。「赤坂氷川神社」ではこの風習にちなみ、季節の和紙に願い事を書き、その成就を祈る「縁結ひ」を行っています。季節の色の和紙を結い願い事の成就を祈るそうです。 《山車展示場》 「社殿」の右手には、「山車展示場」があります。「山車展示場」では、全国的にも貴重な「江戸型山車」を展示しています。「山車展示場」は、以前駐車場だった一画で、駐車場が別に整備され、令和3年(2021年)9月に「山車展示場」が完成しました。展示されている山車は、全国的にも珍しい「三層型」構造で、高さは7mほどあります。江戸一番の祭は「山王日枝」、「神田明神」の天下祭でしたが、最盛期の「赤坂氷川祭」はそれに次ぐ規模だったそうです。「山車」は、徳川将軍も観るので、江戸城内まで挽き回しがされ、その際、城門をくぐすために最上部の人形が上下するカラクリを備えていました。それが江戸型山車の最大の特徴だそうです。ちなみに、右側の「山車」は「猿」で弘化2年(1845年)に制作されたものです。左側の「山車」は「頼義」で弘化三年(1846)に松雲斎徳山によって製作されました。 《「四合稲荷」》 次は、「四合稲荷」です。「二の鳥居」をくぐり石段を降りると左手に「四合稲荷」と「西行稲荷」が並ぶようにして建っています。「四合稲荷」の名前の由来は、明治31年(1898年)に「赤坂氷川神社」の近くにあった「古呂故稲荷」、「地頭稲荷」、「本氷川稲荷」、「玉川稲荷」の4社を合祀したことに由来します。また、「赤坂氷川神社」の周辺には勝海舟の屋敷跡や住んでいた跡があります。そして、「勝海舟」により「四社を合祀」、幸福の「しあわせ」、「志を合わせる」をかけ、「四合稲荷」と命名されました。その後、大正14年(1925年)に「鈴降稲荷」と「縁起稲荷」を合祀し、さらに昭和9年(1934年)に「明徳稲荷」を合祀しています。 《西行稲荷》 「四合稲荷」の奥にあるのが「西行稲荷」です。「西行稲荷」は、文政年間の文政8年(1825年)から文政11年の間に調査された「町方書上」のによると、もともとは赤坂田町4丁目にあったようです。町内自身番屋敷地内にあった祠堂で本社は6尺に7尺5寸、拝殿2間4方で前方に3尺に6尺の向拝があったそうです。同5丁目に住んでいた「西行五兵衛」という男が、甲冑を身にまとい、弓矢を携えて狐に乗った姿の鉄の像を拾い、御神体として安置したことが創建の由来と伝えられ、別名「火伏の稲荷」として信仰されてきました。火災除の御神徳があるといわれています。そして、「西行稲荷」は、大正10年(1921年)9月「赤坂氷川神社」境内に遷座してきました。 《太鼓橋》 一の鳥居の参道をはさんで「四合稲荷」の反対側に「太鼓橋」があります。高い木々に囲まれ、なかなか風情のある場所で、心を休めることができました。「太鼓橋」の奥には、「苗村翁頌徳碑」もありました。 《一の鳥居(東側)》 最後が「一の鳥居」(東側)です。江戸時代はこちらが正式な入口でした。「一の鳥居」(東側)には「御即位記念 寄附 苗村又右衛門」の銘があり、大正4年(1915年)11月の大正天皇即位の礼に合わせて、氏子惣代の「苗村又右衛門」から奉納されたものです。 そして、最後は東側の「一の鳥居」をくぐると「氷川神社」から命名した「氷川坂」に出ます。 01_【「赤坂氷川神社」の一口メモ】 ⑴ 所在地…〒107-0052 東京都港区赤坂6丁目10-12 電話 03-3583-1935 ⑵ 開門時間…6:00 社務所受付…9:00~17:00 閉門時間…17:30 ⑶ 「赤坂氷川神社」の概要 ①社号…赤坂氷川神社 ②御祭神…素盞嗚尊、奇稲田姫命、大己貴命 ③境内社…四合稲荷神社、九殿社、稲荷神社三社 ⑷ 御神徳…厄除 縁結び 家内安全 商売繁昌 ⑸ 「赤坂氷川神社」の文化財等 ①氷川神社社殿…東京都指定文化財、昭和51年(1976年)7月1日 ②奉納絵馬7点…東京都港区指定文化財、平成16年(2004年)10月26碑 ③氷川神社の石燈籠四基…東京都港区指定文化財、平成7年(1995年)3月27日 ④氷川神社のイチョウ…東京都港区指定文化財、平成6年(1994年)9月27日 ⑤祭礼山車行列額絵…東京都港区指定有形文化財、平成11年(1999年)10月12日 ⑥旧紀州家 櫓太鼓…東京都港区指定有形文化財歴史資料、平成10年(1998年)4月9日 ⑦御祭礼番附留…東京都港区指定有形文化財古記録、平成3年(1991年)10月9日 ⑧徳川将軍家朱印状 付目録・条目・写し(7通)…港区指定有形文化財古記録、昭和62年(1987年)10月28日 ⑨月岡芳年筆「ま」組火消し絵馬…東京都港区指定有形文化財絵画、平成5年(1993年)9月28日 ⑩力石…東京都港区指定有形文化財、平成7年(1995年)3月27日 02_【「赤坂氷川神社」へのアクセス】 ⑴ 電車を利用して「赤坂氷川神社」へ ①東京メトロ千代田線「赤坂駅」6番出口から徒歩8分550m ②東京メトロ日比谷線「六本木駅」7番出口から徒歩9分650m ③ 都営大江戸線「六本木駅」7番出口から徒歩9分650m ④ 東京メトロ南北線「六本木一丁目駅」1番出口から徒歩10分650m ⑤ 東京メトロ銀座線「溜池山王駅」12番出口から徒歩10分650m ⑵ バスを利用して「赤坂氷川神社」へ ⑥ 都バス 六本木四丁目 ① [渋谷駅前] ⇒[新橋駅前]≪都営バス:都01≫ ・バス乗り場:「新橋駅前」(1番のりば) ・7停留所目(「六本木駅前」の次の停留所) 所要時間約18分 ・9時から17時の間に1時間平均12便~16便 ・「六本木四丁目」停留所で下車し「赤坂氷川神社」まで徒歩7分450m ② [新橋駅前] ⇒[渋谷駅前]≪都営バス:都01≫ ・バス乗り場:「新橋駅駅前(東口)」(4番のりば) ・9停留所目(「本木一丁目駅前」の次の停留所) 所要時間約20分 ・9時から17時の間に1時間平均12便~16便 ・「六本木四丁目」停留所で下車し「赤坂氷川神社」まで徒歩7分450m 03_【「赤坂氷川神社」の見どころ】 ⑴ 「社殿」 享保15年(1730年)に八代将軍「徳川吉宗」の命より建立されました。この「社殿」は、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」の三つの建物が一体となった、いわゆる権現造りの形式です。当時は幕府による倹約政策が進められていたため、「社殿」には質実かつ簡素な気風が表れています。通常は将軍の寄進するような社寺であれば、軒下の組物を何重にも重ねたり、彫刻や彩色などで飾り立てたりするのですが、この「社殿」の組物は簡素で、彫刻も目立ちません。ただ、将軍の寄進だけあって、大きな「雲形組物」や「吹寄せ垂木」など重厚な意匠を取り入れる工夫もなされています。また全体は朱塗漆としながら、部分的に黒漆塗や黒色金具を用いることで引き締まった印象となっています数多くの戦災・震災を免れ、建立当時の姿を現代に伝えており、昭和51年(1976年) 7月1日に東京都の有形文化財(建築物)に指定されています。 ⑵ 「四合稲荷」 「四合稲荷」は、東側にある「一の鳥居」をくぐるとすぐ右手にあります。「四合稲荷」の名前の由来は、明治31年(1898年)に「赤坂氷川神社」の近くにあった「古呂故稲荷」、「地頭稲荷」、「本氷川稲荷」、「玉川稲荷」の4社を合祀したことに由来します。また、「赤坂氷川神社」の周辺には勝海舟の屋敷跡や住んでいた跡があります。そして、「勝海舟」により「四社を合祀」、幸福の「しあわせ」、「志を合わせる」をかけ、「四合稲荷」と命名されました。その後、大正14年(1925年)に「鈴降稲荷」と「縁起稲荷」を合祀し、さらに昭和9年(1934年)に「明徳稲荷」を合祀しています。 ⑶ 「西行稲荷」 「四合稲荷」の奥にあるのが「西行稲荷」です。「西行稲荷」は、文政年間の文政8年(1825年)から文政11年の間に調査された「町方書上」のによると、もともとは赤坂田町4丁目にあったようです。町内自身番屋敷地内にあった祠堂で本社は6尺に7尺5寸、拝殿2間4方で前方に3尺に6尺の向拝があったそうです。同5丁目に住んでいた「西行五兵衛」という男が、甲冑を身にまとい、弓矢を携えて狐に乗った姿の鉄の像を拾い、御神体として安置したことが創建の由来と伝えられ、別名「火伏の稲荷」として信仰されてきました。火災除の御神徳があるといわれています。そして、「西行稲荷」は、大正10年(1921年)9月「赤坂氷川神社」境内に遷座してきました。 ⑷ 「九神社」 「九神社」は、正面参道の途中の左手にあります。「九神社」は、かつて境内の各所に鎮座していた「天祖神社」、「春日神社」、「鹿島神社」、「八幡神社」、「諏訪神社」、「秋葉神社」、「厳島神社」、「金刀比羅神社」、「塞神社」の9社を合祀した神社です。それぞれの神社への遥拝所として役割がありました。戦前は仲ノ町小学校(現在の赤坂小学校)に鎮座していましたが、戦後に「赤坂氷川神社」の境内に遷座されました。 ⑸ 「桶新稲荷」 「桶新稲荷」は「社殿」の左手の「山口稲荷」の先にあります。「稲荷社」の主祭神である「宇迦之御魂」は稲の神で、古来は農業神として信仰をされてきました。時代が下り産業が発展すると、「稲荷神」の神格は諸産業の守護神として拡大しました。江戸時代、江戸市中では稲荷神の勧請が盛んに行われたようです。赤坂5丁目の「桶屋」の稲荷もそのうちの一社で、戦後「赤坂氷川神社」に遷されたと伝えられています。 ⑹ 「山口稲荷」 「山口稲荷」は、「社殿」の左手にあります。「山口稲荷」は、終戦後、赤坂3丁目にあった山口邸から遷された神社です。鳥居には享保3年(1718年)銘があり、向かって右側の水盤には文化10年(1813年)、左側の水盤には嘉永4年(1851年)、狛犬の台座には文政8年(1825年)の文字が刻まれていています。これらが奉納された経緯は今となってはわかりませんが、江戸時代を通じて篤い信仰を集めていたことがわかります。 ⑺ 「鳥居」 「赤坂氷川神社」の境内には南側の参道と東側の参道にそれぞれ2基ずつ鳥居があります。「一の鳥居」(南側)には「大正十一壬戌年九月」「麻布 芝 氏子中」と記されており、麻布・芝周辺まで信仰が及んでいたことを知ることができます。また、「一の鳥居」(東側)には「御即位記念 寄附 苗村又右衛門」の銘があり、大正4年(1915年)11月の大正天皇即位の礼に合わせて、氏子惣代の「苗村又右衛門」から奉納されたものです。 ⑻ 「狛犬」 境内には7対もの「狛犬」があり、「赤坂氷川神社」はまさに狛犬の宝庫と呼ぶことができます。それらの多くが祭礼や式典に合わせて奉納されたものであり、「赤坂氷川神社」が地域内の深い信仰を集めてきたことを物語っています。特に、注目すべき「狛犬」は、楼門両脇の「狛犬」です。現在地に「社殿」が建立されるより前の延宝3年(1675年)6月建立の銘があり、都内神社に現存する石造狛犬の中では最も古いものとされます。ちなみに、都内最古の「狛犬は」は、「目黒不動尊」と呼ばれている「瀧泉寺」の承応3年(1654年)の狛犬とされています。そして、「楼門」手前の手水舎付近にある「狛犬」も年代の古いもので、弘化三年(1846)に奉納された狛犬です。次に、東参道に目をやってみると、東側の「一の鳥居」の参道には、昭和初期、大正、明治と時代を遡るように狛犬が配置されていまます。まず、東側の「一の鳥居」前にある「狛犬」は、昭和12年(1937年)に奉納されたものです。太平洋戦争前の建立された狛犬で、数多くある狛犬の中で一番新しいものです。そして、石段の手前にある「狛犬」は、大正4年(1915年)に奉納されたものです。石段を上がると一対の「獅子山」が見えてきます。この立派な「獅子山」は明治15年(1882年)に奉納されたものです。 ⑼ 「石灯籠」 「赤坂氷川神社」の境内には、石製の「台灯籠」が合わせて7対奉納されています。ちなみに、「灯籠」とは文字のとおり灯の籠であり、明かりを灯すことで邪気を祓い、神様のご加護を願うためのものです。置いて用いる「台灯籠」と、吊るして用いる「釣灯籠」に大別されます。「楼門」前に安置されている灯籠は、遷座を担当していた老中「水野忠之」が「社殿」の完成を記念して奉納したものです。ここにある4基の石灯籠は、平成7年(1995年)3月27日に港区の登録有形文化財に指定されています。 ⑽ 「大銀杏」 「大銀杏」は、南側にある「一の鳥居」をくぐると右手にある緑地のそびえ立っています。「赤坂氷川神社」の「大銀杏」は推定樹齢400年で、幹の周囲は約7.5mにもなります。「社殿」が現在の地に建立された享保15年(1730年)には、すでに100年を超える樹齢をであったと考えられています。そして、裏から見るとかなりダメージを負っていますが、これは昭和20年(1945年)の東京大空襲によるものです。東京大空襲で幹の大部分を焼損することになりましたが、毎年11月下旬に色鮮やかに黄葉し、見るものに生命力の強さと神秘さを感じさせます。平成6年(1994年)に港区天然記念物に指定されました。ちなみに、「銀杏」は、生きた化石とも言われ、雌雄異株です。「赤坂氷川神社」の「大銀杏」は雄株です。港区内に現存する「銀杏」では最大である善福寺「逆さ銀杏(国指定天然記念物)」に次ぐ大きさです。 ⑾ 「包丁塚」 「包丁塚」は、「大銀杏」のある緑地の左手にあります。「包丁塚」とは、料理人の使い古した包丁を納め、その恩恵に感謝するとともに、調理した動物や魚の霊を慰めるものです。境内の「包丁塚」は、赤坂青山料飲組合が使わなくなった包丁を奉納したもので、昭和49年(1974年)11月に赤坂青山料飲組合によって建立されました。傍らの左側には、「包丁塚30周年記念の碑」も建てられています。なお、「包丁塚」の文字は衆議院議員を務めた田中栄一の書を用いています。 現在、毎年10月上旬の土曜日に包丁塚祭が行われています。 ⑿ 「天水桶」 「天水桶」とは、防火用に雨水をためておく大きな桶のことをいいます。「赤坂氷川神社」には「中門」前と「四合稲荷」前の2対が奉納されています。「中門」前の「天水桶」は、江戸時代に幕府御用を務めた鋳物師「太田六右衛門(釜六)」が鋳造したものです。戦時中の金属供出を逃れ、都内に現存する「釜六」作品の1つとして大変貴重なものだそうです。 ⒀ 「力石」 「力石」は、南側の「一の鳥居」をくぐると左手にあります。この「力石」は、「赤坂氷川神社」境内の土の中から発見されたものです。江戸時代から明治時代まで鍛錬や娯楽として「力石」を用いた力試しが盛んに行われたといわれています。境内の土中から発見された力石には「三拾五貫目」(約130kg)と刻まれています。港区内にある「力石」は、全部で14点になりますが、「力石」のほとんどが海岸沿いの神社に残されているのに対し、この一点だけが海岸から遠く離れていることが興味深い点です。「力石」は、平成7年(1995年)3月27日に港区登録有形民俗文化財に指定されました。 ⒁ 「山車展示場」 「社殿」の右手には、「山車展示場」があります。「山車展示場」では、全国的にも貴重な「江戸型山車」を展示しています。「山車展示場」は、以前駐車場だった一画で、駐車場が別に整備され、令和3年(2021年)9月に「山車展示場」が完成しました。展示されている山車は、全国的にも珍しい「三層型」構造で、高さは7mほどあります。山車はかつて「江戸の祭の華」といわれ、江戸から東京の著名な神社の多くの祭礼に曳き出されました。時代とともにその姿を消してゆくことになりましたが、この地域には奇跡的に山車の一部と、山車人形9体が遺されていたそうです。また、江戸一番の祭は「山王日枝」、「神田明神」の天下祭でしたが、最盛期の「赤坂氷川祭」はそれに次ぐ規模だったそうです。「山車」は、徳川将軍も観るので、江戸城内まで挽き回しがされ、その際、城門をくぐすために最上部の人形が上下するカラクリを備えていました。それが江戸型山車の最大の特徴だそうです。ちなみに、右側の「山車」は「猿」で弘化2年(1845年)に制作されたものです。左側の「山車」は「頼義」で弘化三年(1846)に松雲斎徳山によって製作されました。 ⒂ 「縁結ひ」 縁結びにまつわる「縁結ひ」は、「楼門」をくぐってすぐ左手にあります。実は、「宮神輿庫」になっていた一画でしたが、「山車庫」が完成したため令和5年(2023年)に再整備して、縁結び祈願の「縁結ひ」となりました。私も勉強不足で知らなかったのですが、日本には願いをしたためた紙を社寺の格子に結い、縁結びを願う風習がありました。「赤坂氷川神社」ではこの風習にちなみ、季節の和紙に願い事を書き、その成就を祈る「縁結ひ」を行っています。季節の色の和紙を結い願い事の成就を祈るそうです。
- アクセス
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赤坂駅 徒歩 8分
六本木 徒歩 8分
六本木一丁目 徒歩 8分
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3.49
評価詳細
- アクセス
- 3.84
- 人混みの少なさ
- 3.52
- バリアフリー
- 3.38
- 見ごたえ
- 3.62
- アクセス
- JR上野駅から徒歩6分
-
3.48
評価詳細
- アクセス
- 3.99
- 人混みの少なさ
- 3.62
- バリアフリー
- 3.52
- 見ごたえ
- 4.21
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る身近な紅葉の名所
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4.0
- 旅行時期: 2024/12
- by hanapapa
世田谷区の九品仏に紅葉の名所があると聞き行ってみました。学生時代近所のアパートに住んでいた私には懐かしいところです。また母続きを読む
世田谷区の九品仏に紅葉の名所があると聞き行ってみました。学生時代近所のアパートに住んでいた私には懐かしいところです。また母方の祖父母のお墓があるところでもあります。普段ほとんど乗降客のいない東急大井町線の九品仏駅を降りてびっくり、信じられないくらい大勢の人です。今や紅葉の名所として有名なんですね。広い境内の紅葉も見事でしたが、お賽銭をあげると説教をしてくれる閻魔様とか上品、中品、下品の九品仏など楽しませてくれるお寺でした。しばし40数年前の若かりし頃の自分にタイムスリップしました。ちなみに私のいた安アパート(今は跡形もない)の裏は九品仏のお墓でした。
- アクセス
- 九品仏駅から徒歩4分
- 営業時間
- 6:00~16:30
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ピックアップ特集
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3.48
評価詳細
- アクセス
- 3.62
- 人混みの少なさ
- 3.66
- バリアフリー
- 3.40
- 見ごたえ
- 3.77
- アクセス
- 地下鉄入谷駅から徒歩8分
-
3.47
評価詳細
- アクセス
- 4.01
- 人混みの少なさ
- 3.88
- バリアフリー
- 3.25
- 見ごたえ
- 3.76
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見るJALとANAの御朱印帳
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4.0
- 旅行時期: 2024/03
- by さき
穴守稲荷が目的ではなかったのですが、初めて「穴守稲荷駅」に降り立ったので、駅名になっているからには歴史ある神社なんだろうと続きを読む
穴守稲荷が目的ではなかったのですが、初めて「穴守稲荷駅」に降り立ったので、駅名になっているからには歴史ある神社なんだろうと思って行きました。 下調べせずに行ったので、狐塚、水琴窟、千本鳥居など見落としてきたのですが、JALとANAの御朱印帳に驚きました。かっこいい!とは思ったものの、¥3500出すに気にはならず…。社務所に人がいたので御朱印は直書きでいただけるようです。
- 住所
- 東京都大田区羽田五丁目2番7号
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3.46
評価詳細
- アクセス
- 3.83
- 人混みの少なさ
- 3.57
- バリアフリー
- 3.42
- 見ごたえ
- 3.61
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松陰神社が鎮座する世田谷区若林一帯は、江戸時代には長州藩毛利家のお抱え地(大名が民間から買い上げて所有している土地)でした。 松陰処刑から3年後、久坂玄瑞の働きにより安政の大獄の刑死者等に対する大赦令が布告されたため、松陰の遺骸はこの若林に改葬されました。 その後、禁門の変の後、桜田や麻布の藩邸が没収された際に、松陰らの墓も徳川幕府の手により破壊されましたが、明治元年に再建され、明治15年には墓畔に松陰神社が築かれ、祭典が執り行われました。
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見るタイムズ併設
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4.0
- 旅行時期: 2023/05
- by こんにちワニ
豪徳寺の観光の後来ました。この辺りのお寺はどこも駐車場を併設しているところが多くて、それも無料で驚いていましたが、こちらは続きを読む
豪徳寺の観光の後来ました。この辺りのお寺はどこも駐車場を併設しているところが多くて、それも無料で驚いていましたが、こちらは神社だからかそれともなんなのかタイムズでした(笑)途中の電子案内板は、タッチパネル式でスクロールもできてしまう優れもの。境内案内や参拝方法、由緒まで色々見ることが出来ました。奉納されている絵馬を眺めていたら、近くだからか駒澤大学合格祈願や、合格できましたとお礼参りの際の絵馬もありました。
- アクセス
- 東急世田谷線 松陰神社前駅から徒歩で5分
-
3.46
評価詳細
- アクセス
- 3.49
- 人混みの少なさ
- 3.59
- バリアフリー
- 2.83
- 見ごたえ
- 3.82
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待乳山聖天(本龍院)は、衆生の迷いを救い、願いを叶えてくれる霊験あらたかな大聖歓喜天様を供養する浴油祈祷が毎朝修されています。境内各所に印されている「大根と巾着」の意匠は、大根は健康と一家和合・良縁成就、巾着は財宝で商売繁盛等の功徳を表しています。浅草名所七福神の毘沙門天です。1月7日大根まつり、9月20日聖天まつりがあります。
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る大根探しも楽しい由緒ある寺院
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4.5
- 旅行時期: 2024/03
- by RuumiiK
大根をお供えするユニークな寺院。御徒町辺りからお散歩がてら行ってみました。 境内のあちらこちらに大根(の意匠)が見られ、続きを読む
大根をお供えするユニークな寺院。御徒町辺りからお散歩がてら行ってみました。 境内のあちらこちらに大根(の意匠)が見られ、厳かな場ながら楽しい気分になります。 お供え済みで回収された「お下がり大根」を1本、頂くことが出来ます。今回伺った際には充分な数があり、皆さんお持ち帰りしていました。ビニール袋が善意で用意されています。 トイレがあるようですが、今回は使用不可とのことで仮設トイレが設置されていました。
- アクセス
- 浅草駅から徒歩で約10分
-
3.46
評価詳細
- アクセス
- 3.75
- 人混みの少なさ
- 3.75
- バリアフリー
- 2.81
- 見ごたえ
- 3.81
渋谷氏の祖、河崎基家が創建したといわれる。江戸時代前期から中期の建築様式をとどめている。貴重な建物。
- アクセス
- 渋谷駅から徒歩で5分
-
3.46
評価詳細
- アクセス
- 3.94
- 人混みの少なさ
- 3.79
- バリアフリー
- 3.54
- 見ごたえ
- 3.66
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江戸六地蔵の3番目の寺として知られている。地蔵は本堂の前に安置されており、銅製の坐像で高さ2.66m。風雪にさらされた童顔は少しも損なわれていない。境内には儒者北条霞亭の墓があり、芭蕉の句碑も立っている。
- アクセス
- 巣鴨駅 徒歩 5分
-
3.45
評価詳細
- アクセス
- 3.48
- 人混みの少なさ
- 3.90
- バリアフリー
- 3.50
- 見ごたえ
- 3.70
- 住所
- 東京都港区高輪3-15-18
-
宿公式サイトから予約できる東京のホテルスポンサー提供
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3.45
評価詳細
- アクセス
- 3.71
- 人混みの少なさ
- 3.89
- バリアフリー
- 3.54
- 見ごたえ
- 3.86
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旧角筈村の総鎮守。江戸時代には周囲に池や滝があり、江戸西郊の名所として知られた。境内の文化財とともに新宿ミニ博物館「十二社熊野神社の文化財」となっている。
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る新宿中央公園内に鎮座しています
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4.0
- 旅行時期: 2023/11
- by 愛さん
今年は関東大震災から100年という節目の年、移り行く新宿西口高層ビル群一帯をお散策しました。「熊野神社」は新宿中央公園に鎮続きを読む
今年は関東大震災から100年という節目の年、移り行く新宿西口高層ビル群一帯をお散策しました。「熊野神社」は新宿中央公園に鎮座していました。熊野神社は応永年間(室町時代)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が故郷の紀州熊野三山より十二所権現を移したものが始まりとされ熊野十二所権現と呼ばれていましたが明治維新後は十二社熊野神社と改称されています。御祭神は櫛御気野大神と伊邪奈美大神で、勝ち運、勝負運、強運のご利益があると言われています。憩いの場、新宿中央公園内にあります時間をとってご参拝されてはいかがでしょうか。
- アクセス
- 都庁前 徒歩 4分
-
3.45
評価詳細
- アクセス
- 3.03
- 人混みの少なさ
- 3.48
- バリアフリー
- 2.56
- 見ごたえ
- 3.81
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大化年間に八百比丘尼によって開山された古刹。茅葺きの仁王門や本堂は国指定の重要文化財。4月中旬から5月中旬に境内を取り囲むようにして約1万7千本のツツジが次々と咲き、特に5月3日の火渡り荒行には大勢の参拝客が訪れます。
- アクセス
-
河辺駅 バス 10分 バス下車後、徒歩10分
東青梅駅 徒歩 25分
-
3.45
評価詳細
- アクセス
- 3.86
- 人混みの少なさ
- 3.63
- バリアフリー
- 3.08
- 見ごたえ
- 3.55
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王子の地名の起こりであり、中世には熊野信仰の拠点となっていた神社です。王子村は古くは岸村といわれましたが、紀州熊野三所若一王子が勧請され王子村となりました。非常に高い格式を持ち、最盛期には飛鳥山も支配していました。北区指定無形民俗文化財民俗芸能「王子田楽」を奉納する8月の祭礼や12月の熊手市、都指定天然記念物の大イチョウ、理容業の神・関神社と毛塚など、見どころが多くあります。
- アクセス
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JR王子駅(北口) 徒歩 3分
南北線王子駅(3番出口) 徒歩 3分
都電荒川線王子駅前停留場 徒歩 5分
-
3.45
評価詳細
- アクセス
- 3.70
- 人混みの少なさ
- 3.64
- バリアフリー
- 2.89
- 見ごたえ
- 3.70
- アクセス
- JR山手線目黒駅 徒歩3分
-
3.44
評価詳細
- アクセス
- 3.54
- 人混みの少なさ
- 3.55
- バリアフリー
- 3.27
- 見ごたえ
- 3.58
- 住所
- 東京都台東区浅草2-3-5
-
3.44
評価詳細
- アクセス
- 3.71
- 人混みの少なさ
- 3.58
- バリアフリー
- 3.44
- 見ごたえ
- 3.64
- アクセス
- JR中央線吉祥寺駅から徒歩10分
-
3.44
評価詳細
- アクセス
- 3.94
- 人混みの少なさ
- 3.61
- バリアフリー
- 3.19
- 見ごたえ
- 3.61
- アクセス
- JR山手線日暮里駅からすぐ
-
3.44
評価詳細
- アクセス
- 3.28
- 人混みの少なさ
- 3.79
- バリアフリー
- 3.61
- 見ごたえ
- 4.19
現在の大聖堂は、ドイツのケルン市の信者たちの寄進をもとに、昭和39年(1964年)、世界的にも有名な建築家・丹下健三の設計により建造された。
- アクセス
-
地下鉄護国寺駅 徒歩 10分
地下鉄江戸川橋駅 徒歩 15分
-
3.43
評価詳細
- アクセス
- 3.64
- 景観
- 4.06
- 人混みの少なさ
- 3.62
- バリアフリー
- 2.94
- 見ごたえ
- 3.77
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る等々力渓谷へ下りる道沿い、下りた辺りの紅葉がきれいでした。
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4.0
- 旅行時期: 2023/12
- by 天空の城
紅葉の名所と紹介されていたので訪問、最寄り駅から等々力渓谷を通って行きたかったですが、等々力渓谷への道が通行止めで、仕方な続きを読む
紅葉の名所と紹介されていたので訪問、最寄り駅から等々力渓谷を通って行きたかったですが、等々力渓谷への道が通行止めで、仕方なく普通の道で行きました。到着すると、イチョウの葉は落ちていて紅葉もそれほどではない感じ、展望台?からの眺望もいま一つな感じで失敗したかと思いましたが、等々力渓谷へ下りる道沿い、下りた辺りの紅葉がきれいで、最寄り駅から少し歩いたけど、行ってよかったです。
- 住所
- 東京都世田谷区等々力1-22-47
-
3.43
評価詳細
- アクセス
- 3.52
- 人混みの少なさ
- 3.71
- バリアフリー
- 2.98
- 見ごたえ
- 3.46
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る二人の「大僧正」を祀るのが開山堂
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4.0
- 旅行時期: 2023/11
- by Lily-junjun
「寛永寺輪王殿」で、並ぶようにして「輪王寺両大師堂」があります。実は、これが「輪王寺両大師堂」かと思い、間違えて、「寛永寺続きを読む
「寛永寺輪王殿」で、並ぶようにして「輪王寺両大師堂」があります。実は、これが「輪王寺両大師堂」かと思い、間違えて、「寛永寺輪王殿」に入ってしまいました。「寛永寺輪王殿」の山門もすごく立派で奥に大きな建物があったので、これが「輪王寺両大師堂」かと思い入ってみると「寛永寺輪王殿」でした。「寛永寺輪王殿」と「輪王寺両大師堂」の間に小さな門がありそこからどちらへも通行可能でした。実は、この門はだだの門でなく、「幸田露伴旧宅の門」で、谷中にあったものをここに移築したものです。さて、もう一度外へ出て「輪王寺両大師堂」の山門から入りました。「山門」の柱の右側には「両大師」、左側には「東叡山寛永寺 開山堂」の文字が刻まれていました。何故かと言うと、「輪王寺両大師堂」は、東叡山の開山である「慈眼大師天海大僧正」と「慈惠大師良源大僧正」の二人をお祀りしているからです。そのことから、一般に「両大師」と呼ばれています。入るとすぐ右手に「阿弥陀堂」があり、その中には三体の像が安置されていました。左から「地蔵菩薩立像」、真ん中が「阿弥陀如来坐像」そして左が「虚空蔵菩薩坐像」です。その隣には「鐘楼」、「手水舎」そして「本殿」があります。また、「本堂」に向かって左手には二千年以上の歴史ある古代「大賀蓮」の植え込みもありました。「輪王寺両大師堂」は、「上野公園」からほんの少し離れているので、静かで落ち着ける場所になっています。「輪王寺両大師堂」の見どころはまだまだ沢山あります。「輪王寺両大師堂」の見どころでまとめてありますのでご覧ください。 01_【「輪王寺両大師堂」の一口メモ】 所在地:〒110-0007 東京都台東区上野公園14-5 電話:03-3821-4050 02_【「輪王寺両大師堂」へのアクセス】 ①JR「上野駅」公園口から徒歩3分280m ②JR「鶯谷駅」南口から徒歩7分550m ③京成電鉄「京成上野駅」正面口から徒歩10分750m 03_【「輪王寺両大師堂」の見どころ】 ⑴ 「山門」 「山門」のがいつ建てられたのかの建立年は不明です。「山門」の建築様式は瓦葺の薬医門です。また、屋根の瓦には、「天海僧正」が使用していた「二引き両の紋」が施されています。そして、「山門」の右側には「両大師」、左側には「東叡山寛永寺 開山堂」の文字が刻まれていました。 ⑵ 「銅燈籠」 参道を歩いていると立派な「銅燈籠」がありました。この「銅燈籠」は、江戸時代初期に建立されたもので、もともと「大猷院殿廟」にあったものです。「銅燈籠」には、「三つ葉葵」(徳川家紋)とニ引き両の紋(天海の紋)が刻まれていました。 ⑶ 「手水舎」 「手水舎」は、江戸時代に建立され、建築様式は銅板葺の切妻造です。龍が勢いよく水を吐き出していました。「水盤」は青銅製で四隅を獅子が支えていました。 ⑷ 「鐘楼」 「鐘楼」は、建立年は不明で、建築様式は瓦葺の八脚の切妻造になっています。もともとこの「鐘楼」には慶安4年(1651年)鋳造の「梵鐘」が吊るされていたそうですが、現在は「阿弥陀堂」内に置かれています。 ⑸ 「本堂」 「本堂」は、戊辰戦争、関東大震災、東京大空襲等の苦難を乗り切ったにも関わらず、昭和64年(1989年)の火災で焼失してしまいました。現在の「本堂」は、平成5年(1993年)に再建されたものです。建築様式は、瓦葺の 入母屋造で、本尊の「阿弥陀如来像」、「慈眼大師坐像」と「元三大師画像」が安置されています。 ⑹ 「阿弥陀堂」 「阿弥陀堂」は、入口の門の近く右側に建っています。建立年は不明で、建築様式は、瓦葺、漆喰壁の宝形造です。「阿弥陀堂」の中には三体の像が安置されていました。左から「地蔵菩薩立像」、真ん中が「阿弥陀如来坐像」そして左が「虚空蔵菩薩坐像」です。 ⑺ 「幸田露伴旧宅の門」 「輪王寺両大師堂」の境内にあり「輪王寺両大師堂」と「輪王殿」を結ぶ門が「幸田露伴旧宅の門」です。谷中にあったものをここに移築しました。瓦葺の簡素な腕木門です。 その他に、山門を入ってすぐ左手の方に「法華塔」、「地蔵堂」もあります。
- 住所
- 東京都台東区上野公園14-5
※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性もあります。
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- 3.43
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