後白河天皇法住寺陵
名所・史跡
3.31
後白河天皇法住寺陵 クチコミ・アクセス・周辺情報
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
法住寺に隣接して参道がありました。
5.0
- 旅行時期 2024/02
- by hijunoさん
後白河上皇は出家し、後白河法皇となり、法住寺を中心として、法住寺殿と呼ばれた広大な土地に御所を築き院政を行っています。のち... 続きを読むに平清盛とも対立し、1192年に波乱の一生を終えますが、その陵がかつての法成寺殿内に築かれて、法住持がその陵を守ってきました。 明治以降は宮内庁の管轄になっています。法住寺横の参道を通って、拝所まで入ることができます。(土、日、祝日は入れないそうです)。法住寺のHPで紹介されていた法住寺創建当時の「桐の井」といわれる井戸が残されています。 法住寺の建物の中からも陵を臨むことができました。 閉じる
クチコミ・評判
3.31
(7件のクチコミ)- アクセス:
- 4.00
- 三十三間堂の東側、養源院と法住寺の間に入口 by teratanichoさん
- 人混みの少なさ:
- 4.38
- バリアフリー:
- 3.50
- 見ごたえ:
- 4.08
1~6件(全7件中)
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土・日曜、祝日は入れません
- 4.0
- 旅行時期:2023/03(約3年前)
- 0
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日本第一の大天狗
- 4.5
- 旅行時期:2023/02(約3年前)
- 1
後白河天皇法住寺陵は、法住寺の北側に細い参道入り口があって。それを進むと法住寺の塀に囲まれるようにしっかりしたスペースが確... 続きを読む保された御陵が現れます。
ちょっと意外な感じに思える場所なのですが、ここは後白河院が20年にわたって院政を行った法住寺殿があった場所なのですね。
ちなみに、後白河天皇は、鳥羽上皇と中宮、藤原璋子の第四皇子。同じ藤原璋子を母とする鳥羽天皇の第一皇子、崇徳天皇が即位していましたが、その後は、鳥羽法皇が寵愛する藤原得子(美福門院)を母とする近衛天皇への譲位を迫ります。しかし、近衛天皇は若くして崩御。代わって、美福門院が養育していた二条天皇の誕生を目論みますが、まだ幼いことから、その父であった後白河天皇がワンポイントとして即位するという経緯。それらを主導した鳥羽法皇が崩御すると、崇徳上皇の不満が爆発。後白河天皇と争ったのが保元の乱。その後、二条天皇が即位し、後白河上皇と二条天皇の確執が平治の乱につながります。そして、平家の台頭と源平合戦。鎌倉幕府との駆け引きは、頼朝から「日本第一の大天狗」と称されたほど。皇位とは関係ない立場で今様を愛した時代から、院政を敷く治天の君へ。一方では、平清盛や源頼朝と丁々発止の動乱の時代を生き延びる。その姿は平家物語でも主役の一人として輝きを放っていて、歴代の天皇の中でも特筆される人物なのではないかと思います。 閉じる投稿日:2023/10/01
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宮内庁の表札がたてられています。
- 3.0
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
- 0
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こんな京都の中心地にあるのとは
- 2.5
- 旅行時期:2022/08(約3年前)
- 0
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養源院と法住寺の間に入口
- 4.0
- 旅行時期:2022/04(約4年前)
- 0
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第77代後白河天皇の陵
- 4.0
- 旅行時期:2021/09(約4年前)
- 0
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投稿写真
基本情報(地図・住所・アクセス)
- 施設名
- 後白河天皇法住寺陵
- 住所
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- 京都府京都市東山区三十三間堂廻り町
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- 大きな地図を見る
- アクセス
- 市バス「博物館・三十三間堂前」又は「東山七条」下車 三十三間堂の東側
- 公式ページ
- 詳細情報
- 登録者
- teratanicho さん
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