日本第一の大天狗
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- 旅行時期:2023/02(約3年前)
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by たびたびさん(男性)
東山・祇園・北白川 クチコミ:329件
後白河天皇法住寺陵は、法住寺の北側に細い参道入り口があって。それを進むと法住寺の塀に囲まれるようにしっかりしたスペースが確保された御陵が現れます。
ちょっと意外な感じに思える場所なのですが、ここは後白河院が20年にわたって院政を行った法住寺殿があった場所なのですね。
ちなみに、後白河天皇は、鳥羽上皇と中宮、藤原璋子の第四皇子。同じ藤原璋子を母とする鳥羽天皇の第一皇子、崇徳天皇が即位していましたが、その後は、鳥羽法皇が寵愛する藤原得子(美福門院)を母とする近衛天皇への譲位を迫ります。しかし、近衛天皇は若くして崩御。代わって、美福門院が養育していた二条天皇の誕生を目論みますが、まだ幼いことから、その父であった後白河天皇がワンポイントとして即位するという経緯。それらを主導した鳥羽法皇が崩御すると、崇徳上皇の不満が爆発。後白河天皇と争ったのが保元の乱。その後、二条天皇が即位し、後白河上皇と二条天皇の確執が平治の乱につながります。そして、平家の台頭と源平合戦。鎌倉幕府との駆け引きは、頼朝から「日本第一の大天狗」と称されたほど。皇位とは関係ない立場で今様を愛した時代から、院政を敷く治天の君へ。一方では、平清盛や源頼朝と丁々発止の動乱の時代を生き延びる。その姿は平家物語でも主役の一人として輝きを放っていて、歴代の天皇の中でも特筆される人物なのではないかと思います。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2023/10/01
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