正覚寺
寺・神社・教会
3.28
クチコミ・評判
1~5件(全5件中)
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日本一大きな鉄製の仏像
- 3.5
- 旅行時期:2023/05(約3年前)
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日本一大きい鉄鋳盧舎那仏坐像
- 3.0
- 旅行時期:2022/12(約3年前)
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日本一大きい鋳鉄製の盧舎那仏坐像がありました。
- 4.0
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
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正覚寺(しょうがくじ)は、南台西方の寺町筋にあるお寺さんの1つで、養徳寺の南隣にあります。開創は1634年(寛永11年)と... 続きを読むのことなので、杵築藩主は小笠原忠知だった時代となります。こちらのお寺さんでは、日本一大きい鋳鉄製の盧舎那仏坐像が有名です。仏像ですから安易な錆止め処理は出来ないということなのか、ちょっと可哀想なお姿となっていました。元は、杵築の下本庄の正寛寺にあったものですが、1949年(昭和24年)の火災で廃寺になっていましたが、1966年(昭和41年)なって、正寛寺の本寺である、この正覚寺に移されたのだそうです。鋳造されたのは1744年(延亨元年)で、府内(現大分市)の鋳物師6名の手によるとのことです。高さは177cmで、推定の重さは2400kgだそうです。なお、山号は大音山で、浄土宗のお寺さんです。 閉じる
投稿日:2022/02/09
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伝説は楽し!吉三郎は杵築へ
- 4.0
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
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正覚寺の釈迦堂に、鉄鋳の盧舎那仏坐像が収められていました。台座左右には合わせて10体の鉄鋳の小振りな像も収まっていました。... 続きを読むこのお像は杵築の本庄の正寛寺から移されたものです。このお像に関連して伝説があるそうです。本庄の古老の間には、江戸の振袖火事で有名な八百屋お七の情夫吉三(小姓吉三郎)のお墓があると伝わっています。そして、このお像の台座に「随喜施主寂誉是三比丘」と刻まれていますが、是三比丘は吉三郎の僧名だといわれ、正寛寺のお墓にも是三の文字が認められるとのことです。そして、八坂村(本庄を含む一帯)に伝わる手鞠歌では
一つとや 人も通らぬ山道を、お七と吉三が牛を曳いて、通ろうかいな
二つとや 双股大根離れても、お七と吉三は離りゃせぬ おお離りゃせぬ
以降20番まで続くのだそうです。吉三郎は流れ流れて杵築へ辿り着き、お七の菩提を弔いながら暮らしたという純愛物語なのです。
閉じる投稿日:2022/01/24
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鉄の仏像のお顔が
- 3.0
- 旅行時期:2020/06(約6年前)
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1件目~5件目を表示(全5件中)
基本情報(地図・住所・アクセス)
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