1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 関東地方
  4. 東京
  5. 目白
  6. 目白 観光
  7. 塩井雨江 大町桂月旧居跡
目白×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
旅行記

塩井雨江 大町桂月旧居跡

名所・史跡

目白

このスポットの情報をシェアする

塩井雨江 大町桂月旧居跡 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11614445

クリップを編集する

ラベルを選ぶ

  • ラベルはまだありません

公開設定

施設情報

施設名
塩井雨江 大町桂月旧居跡
住所
  • 東京都文京区目白台3-22-17
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
のだ さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(8件)

目白 観光 満足度ランキング 47位
3.25
アクセス:
3.25
地下鉄・護国寺駅出入口4の南西方向なので歩いて6分位の細い通りの綺麗なレンガ塀沿いです by 風来坊之介さん
人混みの少なさ:
4.08
通り掛かった折は誰とも会いませんでした by 風来坊之介さん
バリアフリー:
3.50
説明板の直ぐ前は凸凹しているが付近の通りはよく整備されているので大丈夫です by 風来坊之介さん
見ごたえ:
3.00
説明板が立ててあるのみでかつての様子はないのでは と思います by 風来坊之介さん
  • 東京メトロ有楽町線護国寺駅から徒歩5~6分程度、文京区目白台3丁目の閑静な住宅地に説明板が立っています。明治時代から大正時...  続きを読む代にかけて活躍した国文学者・塩井雨江と大町桂月が住んでいた住居のあった場所です。私はお二人の事、今まで知りませんでしたが、二人とも有名な国文学者だったのですね。大変失礼いたしました。わかりずらい場所にありますが、興味のある方は訪問してみてはいかがでしょうか!   閉じる

    投稿日:2023/05/01

  • この辺りは文人たちに愛された土地だった!

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/11(約6年前)
    • 0

    明治時代の詩人であり、国文学者だった塩井雨江さんは、明治35年(1902年)に近隣の日本女子大学校(現在の日本女子大)の教...  続きを読む授を務めるためにここに住居を構えたそうです。そして、明治43年(1910年)に奈良女子高等師範学校教授に転じた後、義弟の大町桂月さんが住んだとのことです。大町桂月さんは亡くなるまで(亡くなった場所は青森ですが)ここに住み続けています。近くには菊池寛旧居跡・終焉の地があったり、窪田空穂旧居跡・終焉の地があったりもします。この辺りは文人・歌人たちに愛された土地だったのですね。   閉じる

    投稿日:2018/11/17

  • 不忍通りから細い路地を入ったところに塩井雨江 大町桂月旧居跡の案内板が立っていました。(お住まいの方のご厚意なのか、路地の...  続きを読む面からは1mくらい内側に塀が築かれ、その手前にこの案内板が立っていました)大町桂月さんは与謝野晶子さんとの喧嘩?とか、旅をした北海道各地に結構足跡が残っているのでお名前は知っていましたが、不勉強で塩井雨江さんはここで初めて知りました。   閉じる

    投稿日:2018/11/11

  •  豊島区にある雑司ヶ谷鬼子母神堂界隈を散策の折、やや足を延ばし文京区目白台2,3丁目を探索していて見付けたところです。
    ...  続きを読む 今は、繋がりがないと思われる綺麗なレンガ塀沿いに立ててある文京区教育委員会の説明板によると概要だが
     塩井雨江は、明治2年~大正2年 (1869~1913) 明治・大正期の詩人・国文学者で、当地に明治35年 (1902) から同43年 (1910) まで住み、
     大町桂月は、明治2年~大正14年 (1869~1925) 明治・大正期の文芸評論家・詩人・随筆家・国文学者で、この地に明治43年 (1910) から没年 (大正14年) まで住んだ。
     とのこと。
     国文学などに疎く二人とも初めて知った名前で、今は全く様子が変わってしまっただろうがその昔住んでいたところに、説明板だけが立ててあります。
     静かな住宅地で分かり難く説明板だけが立ててあるところだが、興味のある方は訪ねてみては如何でしょう。
     場所は、地下鉄・護国寺駅出入口4を出てそのまま不忍通りを2分弱進み護国寺西交差点を通過し2分強行った最初の信号を左折し直ぐ左手の細い坂道を1分位上がった二つ目のT字路を右折してクランク状の通りを1分位行った右手の綺麗なレンガ塀沿いです。  閉じる

    投稿日:2018/07/14

  • 普段は静かな暮らしをしていたんでしょう

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/01(約7年前)
    • 0

    塩井雨江 大町桂月旧居跡というのが、目白台の住宅地の中にあります。路地がクランクになったようなところもあったりして、探すの...  続きを読むに苦労しましたが、なんとか見つけてほっとしました。
    大町桂月は、明治43年から没年の大正14年までここで暮らしたとのこと。高知出身で全国を股にかけて放浪の旅をしたような印象がありますが、こんなところにいたということは、普段は静かな暮らしをしていたんでしょう。これまでのイメージからするとちょっとギャップも感じました。  閉じる

    投稿日:2018/02/02

  • 旧居の面影はありません

    • 2.5
    • 旅行時期:2016/12(約8年前)
    • 0

    明治時代から大正にかけて活躍した国文学者であり詩人の二人です。今旧居の面影は全くなく、二人の経歴が記された説明板が建ってい...  続きを読むるだけです。場所は護国寺西交差点近くですが、わかりにくく、狭い路地を右に左に行かなくてはならないので、住所を頼りに行くしかありません。普通の住宅地の一角に、二人の著名な国文学者が住んでいたというロマンだけは感じられました。  閉じる

    投稿日:2016/12/23

  • 国文学者

    • 2.5
    • 旅行時期:2016/09(約8年前)
    • 0

    塩井雨江も大町桂月もあまり聞きなれない人物
    の旧居跡ですが、塩井雨江は明治2年に生まれ、大正2年に亡くなった、明治と大正...  続きを読む期の詩人であり、国文学者です。
    また、雨江の義弟である大町桂月とは明治2年に生まれ、大正14年に亡くなった明治大正期の文芸評論家、詩人、随筆家、国文学者になります。
    閑静な住宅街に住んでいたことしかわかりませんでした…  閉じる

    投稿日:2016/10/08

  • 入り組んだ場所に説明板

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/05(約10年前)
    • 0

    ちょっと場所はわかりにくいかもしれませんが、くねくね曲がったところにレンガ塀が見え、そこに説明板が立っています。

    ...  続きを読む井雨江は、明治・大正期の詩人・国文学者です。
    東京帝国大学在学中から大町桂月・武島羽衣とともに三羽鳥と言われたそうです。
    塩井雨江と大町桂月は同い年ですが、塩井雨江の妹と大町桂月が結婚したため、大町桂月は塩井雨江の義弟です。
    初め塩井雨江がこちらに住んでいましたが、転居したため、大町桂月一家が移り住んできました。  閉じる

    投稿日:2016/06/03

1件目~8件目を表示(全8件中)

このスポットに関するQ&A(0件)

塩井雨江 大町桂月旧居跡について質問してみよう!

目白に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。

  • かみめぐろさん

    かみめぐろさん

  • 旅好者さん

    旅好者さん

  • リラクマさん

    リラクマさん

  • 風来坊之介さん

    風来坊之介さん

  • たびたびさん

    たびたびさん

  • ぷーちゃんさん

    ぷーちゃんさん

  • …他

周辺のおすすめホテル

目白 ホテルランキングを見る

東京 ホテルランキングを見る

このスポットで旅の計画を作ってみませんか?

行きたいスポットを追加して、しおりのように自分だけの「旅の計画」が作れます。
クリップ したスポットから、まとめて登録も!

PAGE TOP