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午砲

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国分寺・小金井

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午砲 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11381908

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施設情報

施設名
午砲
住所
  • 東京都小金井市桜町3-7-1 江戸東京たてもの園 屋外展示物
営業時間
4月~9月:午前9時30分~午後5時30分
10月~3月:午前9時30分~午後4時30分

※入園は閉園時刻の30分前までとなっています。
休業日
毎週月曜日(月曜日が祝日または振替休日の場合は、その翌日)
年末年始
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
Toratora さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(16件)

国分寺・小金井 観光 満足度ランキング 52位
3.32
アクセス:
3.30
人混みの少なさ:
3.69
バリアフリー:
3.25
見ごたえ:
3.30
  • 江戸東京たてもの園

    • 4.0
    • 旅行時期:2023/05(約1年前)
    • 0

    江戸東京たてもの園にある展示物です。江戸時代の「時の鐘」に替わり、空砲により正午を知らせていました。1871年(明治4年)...  続きを読むから1929年(昭和4年)4月まで千代田区(皇居内旧本丸跡)で使用されていたものです。  閉じる

    投稿日:2023/07/01

  • 正午を知らせる砲台

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/12(約1年前)
    • 0

    江戸東京たてもの園にある展示物の一つです。
    午砲とは時間を知らしめるため撃つ大砲のことで、正午に撃つことが多かったため、...  続きを読む正午の砲として午砲と称されています。
    俗に昼ドンなどとも呼ばれています。
    見応えのある大砲です。  閉じる

    投稿日:2022/12/19

  • この午砲は江戸東京たてもの園の中のエントランス広場の一角にあります。この午砲は明治時代に使用されたものでお昼の合図で発砲さ...  続きを読むれました。かつての江戸城本丸跡地にあったものです。ドンという発砲音だったのでドンと呼ばれました。昭和に入るとサイレンになり役目を終えました。今は園内に当時のままの姿を見せてくれています。  閉じる

    投稿日:2022/09/03

  • 午砲

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/07(約3年前)
    • 0

    小金井公園のなかにある午砲。
    午砲とは時間を知らしめるため撃つ大砲のことである。日本では正午に撃つことが多かったため、正...  続きを読む午の砲として午砲と称された。初めて午砲を制度化したイギリスでは1日の間に数回撃つ例もあり、特に報時の回数、時間に決めは無い。  閉じる

    投稿日:2021/07/26

  • 小金井散策(1)で午砲を見ました

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/08(約4年前)
    • 0

    午砲は江戸東京たてもの園の中にあります。江戸時代にあった時の鐘(鐘を鳴らす)に変わり、明治時代になり皇居内旧本丸で正午を知...  続きを読むらせる空砲が発せられた。昭和4年にはサイレンに変わり役目を終えた。号砲は今の区部の大部分にほぼ聞こえたらしいので、近所の人は耳をふさぐほど大きな音だったのではないかと思います。今日の喧騒の中ではとても聞こえないと思います                
    「日時」2021年8月25日 
    「アクセス」JR武蔵小金井駅下車、西武バスで小金井公園西口下車、徒歩5分
      閉じる

    投稿日:2022/10/02

  • 正午を知らせていました

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/06(約4年前)
    • 0

    江戸東京たてもの園の入口にあたるビジターセンターの、見学コース出発地点にあたるエントランス広場に保存されています。明治時代...  続きを読むの初めから昭和の初めまで使用されていた、時を知らせた大砲です。江戸時代に時を知らせた寺や城、町の鐘に比べ、空砲と言えども爆音を響かせた大砲は、利用され始めた時には、多くの人がびっくりしたことと思います。  閉じる

    投稿日:2020/06/05

  • 実弾も撃てたのかもしれませんが

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/04(約5年前)
    • 1

    午砲は、たてもの園入ってすぐの野外展示。皇居内にあって、明治4年から昭和4年の間、
    江戸時代の時の鐘に替わり、空砲により...  続きを読む正午を通報していたものです。ドンという音は、東京都区部の大部分に聞こえ、「ドン」と呼ばれて親しまれたのだそう。
    実弾も撃てたのかもしれませんが、平和の匂いがする大砲です。
      閉じる

    投稿日:2019/09/04

  • 広場の正面に存在感がありました

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/06(約6年前)
    • 0

    江戸東京博物館、屋外展示場広場の正面に、テントを張った中に石の台座の上に存在感がある大砲が展示されていました。時を知らせる...  続きを読む合図で、空砲を撃っていたようです。今ではサイレンやチャイム等ですが、当時は如何ばかりの音響か聞いてみたかったですね。  閉じる

    投稿日:2018/06/13

  • 広場に置かれた午砲

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/03(約6年前)
    • 0

    都立小金井公園の中に有る江戸東京たてもの園、そのビジターセンターである光華殿を抜けて園内にはいったところにある広場左側にこ...  続きを読むちらの午砲が有ります。石の台座に乗せられた午砲はかつて正午の時報を知らせるためのものだったそうです。  閉じる

    投稿日:2018/03/27

  • 石の台座に変わっていました。

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/02(約6年前)
    • 0

    以前に訪れた時は木製の移動できる台座に乗っていましたが、今回訪れて見ると、石の台座に乗っていました。石が綺麗ですから最近変...  続きを読むわった様です。海外に行くと午砲など大砲を撃つ(もちろん空砲ですが)のが観光用に残っているところがありますが、日本でも午砲を撃っていた時代があったのですね。それも1871年(明治4年)から1929年(昭和4年)までだそうですから、60年間近くも・・・。その後はサイレンとなり、戦争が始まるまで続いたそうです。   閉じる

    投稿日:2018/03/13

  • 置き場所を工夫してもらいたいです。

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/02(約6年前)
    • 0

    ビジターセンターから園内に入ったところの広場の一画に置かれていますが、周りの様子は写真を撮るような状況には整頓されていませ...  続きを読むん。別なところに移したら良いのではないかと思います。明治4年(1871年)に「午砲の制」というのが出来て始まったそうです。東京では皇居内の旧本丸跡に設置された大砲で知らせたそうですが、当時は騒音も少なかった様で東京区域に響き渡ったそうですね。   閉じる

    投稿日:2018/03/10

  • 大砲

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/11(約8年前)
    • 0

     見ての通り大砲です。日比谷公園で展示されていたものを移築したとか。明治4(1871)年に施行された午砲の制により、正午の...  続きを読む時報として空砲を一発撃ち鳴らすこととなりました。そのために使われていたようです。景気よくていい感じですが、やがて号笛(サイレン)による報時に切り替わり、役目を終えたようです。
     一発ぶっ放したくなりますね。  閉じる

    投稿日:2016/11/22

  • 明治の大砲

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/04(約8年前)
    • 18

    午前のみの勤務を「半どん」というが、その語源となった大砲です。というのも、正午の時報として皇居の旧本丸跡庭園に午砲台が設置...  続きを読むされ、空砲を一発撃ち鳴らすことになったそうです。その慣習は明治4年から昭和4年まで続けられたとのことです。
      閉じる

    投稿日:2016/04/06

  • 昭和初めまで正午を伝えた「どん」

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/02(約8年前)
    • 0

    正午を告げた「どん」。
    毎日空砲を鳴らして時を告げた。
    江戸時代には各所に時の鐘があった。
    これは1871年(明治4...  続きを読む年)から1929年(昭和4年)まで実際に使われたという。
    皇居本丸跡から、たてもの園入り口の旧光華左手の空き地に据えられている。  閉じる

    投稿日:2016/02/25

  • 時を知らせる大砲。

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/02(約8年前)
    • 0

    午砲というのは時間を知らせるための大砲で、江戸時代はそれは時の鐘であったが、明治4年の9月9日からこの大砲に変わったそう。...  続きを読む

    大砲が置かれた場所は、皇居内の旧本丸でその音はかなりの場所で聞こえたらしい。
    かなり大きなもので、これなら遠方まで聞こえたのだろう。
    1929年にサイレンに変わるまで使用されていたようだ。

    江戸東京たてもの園内、ビジターセンター横のテントの中に置かれていました。
    そばに説明がされた物が置かれています。
      閉じる

    投稿日:2016/02/22

  • 皇居の大砲

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/06(約9年前)
    • 0

    明治4年から皇居内旧本丸で、この大砲により正午を知らせる空砲が発射されていたようです。
    昔の江戸時代には、江戸市中に時刻を...  続きを読む知らせるため時の鐘を鳴らしていましたが、明治時代からこの牛砲となり、昭和初期まで続いていたようです。  閉じる

    投稿日:2015/12/08

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