清光院 奥平家墓域
寺・神社・教会
3.31
清光院 奥平家墓域 クチコミ・アクセス・周辺情報
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クチコミ・評判
3.31
(11件のクチコミ)- アクセス:
- 3.19
- 人混みの少なさ:
- 3.79
- バリアフリー:
- 3.25
- 見ごたえ:
- 3.29
1~10件(全11件中)
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奥行きがある広い境内を有する寺院
- 3.5
- 旅行時期:2021/12(約4年前)
- 0
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新馬場駅の西側にある
- 4.0
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
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大分県中津藩主の奥平家の墓石88基がありました
- 3.0
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
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目黒川を挟んで東海寺とこの清光院があります。
- 3.0
- 旅行時期:2021/01(約5年前)
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これだけの墓碑が一所に集まっているのは壮観
- 3.0
- 旅行時期:2020/06(約6年前)
- 0
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非常に大きなお寺
- 3.5
- 旅行時期:2019/03(約7年前)
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摂津高槻藩永井家墓所もある
- 3.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
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清光院奥平家墓域は、広さ598㎡という都内有数の規模を誇る大名墓地で「しながわ百景」の一つに指定されています。
墓域は寛... 続きを読む永年間(1624~43)に築造された土塀、石門で囲まれており、静安な雰囲気に包まれています。
奥平家の支配した豊前中津藩からは、「解体新書」を編纂した藩医の前野良沢、明治日本の文明開化を率先した福沢諭吉が輩出されました。この二人の「近代化の開拓者」を生んだと言えるのが築地鉄砲洲にあった中津藩中屋敷でした。(良沢はここで「解体新書」を編纂し、諭吉はここに蘭学塾を開き慶応義塾の始まりとした)
また、摂津高槻藩永井家の墓所もあり、存在感のある大名墓が多数建てられています。奥平家墓域と比較すると墓碑の風格や墓域を区切る構築物などの点で見劣りしてしまうのは、中津藩が10万石、高槻藩が3万6000石という「格差」のせいなのかと思います(ともに譜代大名ですが)。
他にも、茶道の表千家7代如心斎の高弟の一人として活躍した川上不白(1719~1807)が建立し、廃寺となった東海寺塔頭琳光院から移設された千利休の供養塔「利休居士石浮図」も残されています。 閉じる投稿日:2018/05/20
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壮観です
- 4.5
- 旅行時期:2017/03(約9年前)
- 0
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大名の墓地らしい五輪塔が立ち並ぶ豪快な眺めです
- 4.0
- 旅行時期:2016/06(約10年前)
- 1
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都会のなかの素晴らしいお寺
- 3.0
- 旅行時期:2015/06(約11年前)
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