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頼山陽先生 宿泊地広場

名所・史跡

天草諸島

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施設情報

1818年、頼山陽先生が西遊の折、宿泊した地。

施設名
頼山陽先生 宿泊地広場
住所
  • 熊本県天草郡苓北町富岡
電話番号
0969-35-3332
アクセス
本渡バスセンター バス 60分
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
風待人 さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(6件)

天草諸島 観光 満足度ランキング 70位
3.27
アクセス:
3.20
富岡港バス停からもまあまあ近いです by 白熊爺さん
人混みの少なさ:
4.50
全然人がいません by 白熊爺さん
バリアフリー:
2.50
段差はあります by 白熊爺さん
見ごたえ:
3.10
思ったよりも広い敷地で整備されています by 白熊爺さん
  • 宿泊したのは旅館「泉屋」

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/04(約3年前)
    • 1

    頼山陽先生 宿泊地広場は、富岡の市街。ここは、文政元年(1818年)、頼山陽が西遊の際、宿泊した地。頼山陽は、富岡に開塾し...  続きを読むていた儒者渋江龍淵を訪ねるため、この地を訪れ、宿泊したのは旅館「泉屋」。天保3年に富岡の大火で焼失しますが、その跡地にこの広場が整備されたということです。  閉じる

    投稿日:2022/09/16

  • 富岡の大火はいつ?でしょう。

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/09(約4年前)
    • 0

    頼山陽は、1818年(文政元年)に西遊しましたが、その長崎からの帰りに、儒者の渋江龍淵をここ富岡に尋ねていますが、ここは、...  続きを読むその時に宿泊した旅館泉屋(岡部家)があった場所だそうです。その家屋は富岡大火により焼失してしまったとのことです。その大火ですが、碑文では1830年(天保元年)、案内文では1832年(天保3年)となっていました。たぶん、案内文の方が正しいのだと思います。碑文の方は簡単には直せないのでしょうからね。   閉じる

    投稿日:2021/12/17

  • 頼山陽は、富岡では格別な扱いです。

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/09(約4年前)
    • 0

    富岡小学校の入口となる坂道の横に、頼山陽先生宿泊之跡と刻まれた祈念碑がありました。何といっても宿泊の跡ですからちょっと呆れ...  続きを読むる感じがしました。頼山陽さんは頼山陽公園とともに、富岡では格別な扱いのようです。何と云っても、名吟「泊天草洋」を生んだ場所ですからね。頼山陽が1818年(文政元年)39歳の時、この富岡に開塾していた儒者・渋江龍淵を訪ねています。その時に宿泊したのは旅籠「泉屋」だったとのことです。その泉屋は、1832年(天保3年)の富岡の大火で焼失してしまいました。1969(昭和44年)に、その跡地にこの碑が建てられたのだそうです。なお、この大火の年に頼山陽は亡くなっています。   閉じる

    投稿日:2021/10/23

  • 綺麗に整備されています

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/02(約4年前)
    • 0

    2021年2月18日に訪問。
    大手門から富岡城へ向かう市街地の中にありました。
    通常宿泊地とか滞在場所とかは記念碑がポ...  続きを読むンと立ってるだけですがここはわりと広い敷地を使って小公園風に整備されています。
    公園自体も綺麗に丹精されているので常日頃お掃除などされているような感じです。
    頼山陽さん慕われてますね。  閉じる

    投稿日:2021/03/08

  • こじんまりとしています

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/11(約4年前)
    • 0

    江戸時代後期の歴史家であり『日本外史』を著した頼山陽が宿泊した場所が富岡城の近くにあり、広場として整備されています。富岡上...  続きを読むの二の丸跡にも勝海舟と並んで頼山陽の銅像があったり、「頼山陽公園」も別の場所にあるそうです。勉強不足でここに来るまで頼山陽と天草が頭の中で結びついていなかったので意外な感じもしました。  閉じる

    投稿日:2021/01/25

  • 名店と言われる、ちゃんぽんで有名な明月を探していると母親が「こんなところにライサンヨーがきたんじゃね」とポツリと言いました...  続きを読む
    「ライサンヨーって誰よ」と聞くと「詩吟を作った人」と曖昧な答え。
    20年位前に詩吟をうねっていた母親が言うには頼山陽作の詩吟をうねったことがあるそうなんです。
    どんな詩かも覚えてはないらしいのですが。
    私も初耳の頼山陽(らいさんよう)は、漢詩に秀でていたのはもちろんのこと主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなったようです。
    何でもこの頼山陽先生宿泊地広場では、頼山陽が宿泊した時にこの地にあった旅館泉屋で「泊天草洋」という名吟を詠んだそうです。
    それを記念した公園ってことですね。
    しかし、泊まって詩吟を詠んだだけで公園が出来るとは頼山陽、恐るべしです。  閉じる

    投稿日:2015/05/28

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