2022/04/18 - 2022/04/18
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たびたびさん
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今日は、天草最後の日。本渡の市街あちこちと富岡城の周辺から鬼池港の方を時計回りに回って、また本渡に戻りながらいくつかのポイントをチェックするというコース。その後は今夜の宿、玉名温泉に向かうのですが、これも途中、干潮時間の御輿来海岸、長部田海床路に立ち寄り、うまくリベンジもできました。
この日の最大のテーマは、やっぱり天草島原の乱。一日目の天草四郎ミュージアムや二日目の崎津集落もありましたけど、天草島原の乱では最も激しい戦いとなった祇園橋に一揆の大軍が囲んでぎりぎりの攻防が行われたという富岡城は正真正銘、乱の最前線の地。天草にあっても、天草島原の乱に思いを馳せるには一番生々しいエリアかと言えると思います。
もう少し説明を加えると
天草島原の乱の総大将は天草四郎。奇跡を起こすと評判のこの少年を戴くことで天草、島原の一揆軍は連携を深めます。戦端が開かれたのは島原。有馬村のキリシタンが中心となって代官所に赴き強談、代官の林兵左衛門を殺害します。これに呼応して、天草でも大矢野島で一揆軍が蜂起、上島から下島へと広がります。天草は唐津藩寺沢氏の飛び地。その天草支配の拠点であった富岡城の番代、三宅籐兵衛は、一揆勢を迎え撃つために本渡に進軍します。唐津軍の兵力1500に対し、一揆軍は5000。祇園橋付近で激戦となり、「川の流れは血に染まり、屍は山を築いた」のだそう。そして、一揆軍の勢いは盛ん。三宅籐兵衛は単騎敵中に突入、割腹して果てたとも伝わります。ちなみに、この三宅籐兵衛は明智光秀の孫で、時の熊本藩主、細川忠利とは従兄弟の関係。鬼のようなキリシタン弾圧や過酷な年貢の取り立てといったイメージで語られますが、幕府のキリシタン禁教令により、天草ではほとんどのキリシタンが既に棄教していたということ。飢饉の発生が棄教したことへの不安を呼んだ面があるという指摘もあって、印象が違ってくるようにも思います。
さて、一揆軍はその後、番代のいなくなった富岡城の攻略へ。1万の兵で城を囲みますが、3000の兵力の唐津軍は必至の抵抗。落城することはありませんでした。一方で、幕府の追討軍が迫っている情報もあり、天草の一揆軍は原城に籠る島原の一揆軍と合流すべく、島原に渡ることに。天草ではこれをもって戦闘は終了しますが、原城に籠った一揆軍37000。対する幕府軍は12万。しかし、全滅するまで戦い抜き士気旺盛な一揆軍に対し幕府軍は統制もとれておらず、4度の総攻撃で3回の敗北。島原の乱鎮圧の上使となり九州の大名を指揮した板倉重昌は総攻撃の際に討死する始末でした。そして島原藩藩主、松倉勝家は斬首。天草も寺沢氏の所領没収となりました。
これにより、幕府の鎖国政策が決定的なものになるといった流れなのですが、乱の残したものは何だったのか。支配するものと支配されるもの。力の関係だけでは収まるものも収まらない。関ヶ原の戦いから、大阪城の夏の陣冬の陣。大きな戦いがこれで終わり、如何に盤石な統治体制を築くかという徳川幕府の基本姿勢も固まったのかな。乱の背景や経緯を考えるとやるせないものがありますが、そう考えて気持ちを落ち着けたいと思います。
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本渡のホテルを早朝に出発。まずは、本渡市街の観光スポットをちょこっとチェックします。
まずは、本渡諏訪神社。 -
始まりは、元寇において、本渡城主の播磨局なる女傑が天草の水軍を率いて出陣。戦功をあげることができた感謝のしるしとして、信濃国から諏訪大明神の分霊を奉じ、天草の総鎮守としたもの。
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裏手の赤い橋が架かった神苑ぽい一角とかちょっと由緒の正しさを感じさせる雰囲気もあると思います。
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イチオシ
そして、祇園橋。
石造桁橋では日本最大で、長さ28.6m幅3.3m。45脚の石柱もあります。祇園神社の前にあるので、祇園橋と呼ばれているのですが、 -
この付近は、冒頭触れた通り天草の乱での激戦地であったことで有名。そういう記憶とともに、今でもここは本渡の中心。天草に来たなら、絶対に外せない場所になっています。
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祇園橋の北側に建つのは八坂神社祇園社。盛り土の山の上に遮るものなくむき出しの社殿が建っていて、その光景はちょっと異様なくらい。ただ、かつては南蛮えのきの大木があって、祇園橋と社殿、南蛮えのきがセットになった眺めが本渡のシンボル的な位置づけだったのだとか。
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少し車で移動して、殉教公園は、天草キリシタン館に上って行く坂の途中。
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高台の本戸跡を整備した公園には、中央に天草・島原の乱の戦没者を奉る千人塚。付近は桜の名所でもあるようで、芝生の広場には桜の若木がそれなりにありました。
なお、この先が天草キリシタン館。後で訪ねますが、ちなみに、この道は一方通行。天草キリシタン館からここに戻ってくることはできませんので、ご注意を。 -
イチオシ
殉教戦千人塚は、まあるく盛り土をした饅頭の上に「殉教戦千人塚」と刻まれた石碑が乗っています。
ここでいう殉教戦はいわゆる祇園橋での戦い。戦いは一揆軍の勢いが勝り、唐津軍は富岡へ敗走。富岡城にこもることになりました。 -
ほど近くには本戸城跡の石碑。城は天草五人衆の中で最も有力な存在であった天草氏の重要拠点のひとつ。天草氏の当主天草久種は小西行長に反抗しいったんは敗れますが、その後、小西行長に臣従し、文禄・慶長の役にも参戦しています。
なお、小西行長に反抗した際の本戸城城主は、久種の配下にあった天草種元でキリシタン。天草氏の客将、木山正親、通称弾正と加藤清正の一騎打ちは伝説となっています。 -
本渡の市街を離れ、富岡に向かってすぐ。東向寺は、瀬戸焼の磁祖として仰がれる加藤民吉ゆかりの寺。
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15世住職、天中和尚が民吉を高浜焼窯元上田家に紹介したり、最後は色絵の彩料の配合処方を与えたとも。民吉は、ぶっちゃけ産業スパイのようなこともやっていたようですが、有田、長崎からこの天草までやってきたというのは並々ならぬ決意があったから。寺は明るくて静かな佇まいですが、深い歴史があるものです。
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もうすぐ富岡という辺りにやってきて。
国照寺は、天草島原の乱の後、初代代官、鈴木重成の保護の下に創建された曹洞宗の寺。天草4ケ本寺の一つとなり、荒廃した民衆の心の平安を導く目的がありました。 -
しっかりした山門から
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長い参道を進んで
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これが本堂。青瓦がちょっと重々しくて、今でも威厳を感じます。
ただ、境内には幼稚園があるようですけどね~ -
で、本堂の裏手に回ると町指定文化財の国照寺庭園。中央の池には、蓮がびっしり。背後は、石を積んだ堤防みたいな形の築山です。
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つつじの植栽はありますが、目立った石組みもなくて、なんということもなさそうな穏やかな眺めです。
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近くに内田皿山焼窯元というのがあるので、そちらにも寄ってみます。
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拝見すると、天草磁器だけではなくて、陶器も扱う窯。純白の艶々した磁器を想像していましたが、磁器であっても、むしろ、陶器に近い味わいを目指しているような気もします。白や黒の単色の食器が使いやすそうな感じ。値段はリーズナブルですが、窯元というより作家といった方がいいかもしれません。
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だんだんと富岡城に近づいて行きながら。。
トルレス神父の記念広場は、田んぼの中に入って行ったような場所。ちょっとしたモニュメントが建っていて、天草のキリスト教の歴史の一端が英語とハングルでも紹介されていました。 -
イチオシ
説明によれば、志岐城主であった志岐麟泉(後に洗礼を受けてドン・ジョアン)がキリスト教の日本布教長のトルレス神父に来島を要請。要請に応じてアルメイダ修道士が派遣され、志岐は天草で最初のキリスト教の伝来地となったのだそうです。
まだ、平和だった時代ですね。 -
海岸端に出て
これは九州電力の苓北発電所。総出力140万kWの石炭火力発電所はなかなか迫力のある姿です。海沿いにあるという立地を活かしてだと思いますが、発電の余熱を利用して海水から食用塩を製造する設備があるのも面白いところかなと思います。 -
で、それを眺めているこちらは貝瀬浜海岸。ただ、地元でもあまり認知されていない名前のよう。看板も当然ありませんね。仕方がないので、近くのガソリンスタンドで道を聞いたら、「たぶんあそこのことかなあ」という感じで道順を教えてくれました。丘の上の住宅地の間を抜けたところ。海岸に出る小さな道があって降りてみると、少し離れた海岸線にこうして九州電力の苓北発電所が見えたという次第です。砂利のような小石の海岸。あんまりパッとはしていません。
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いよいよ富岡の市街に入ってすぐの富岡吉利支丹供養碑です。
首塚とも言われ、天草・島原の乱で討ち死にした一揆軍の1万余の首級を3つに分けて葬ったその一つだそう。乱の10年後に代官、鈴木重成が建てた供養碑が建っています。碑文の詳しい説明がありましたが、キリシタンは外道の法の行いであり、国を奪わんとする志であるといった厳しい内容。徳川幕府の公式見解に従ったものでしょう。
なお、富岡城を囲んだ一揆軍の数は1万。討死した首級が1万というのはちょっと違うのではないかと思います。 -
富岡城に向かう少し手前の海岸は富岡海岸。細くくびれた地形になっているところの西側です。道路に沿ってしばらく松林が続いていて、その松林を越えて海側に出ると堤防の上には富岡海水浴場の方まで石畳の遊歩道が伸びていて、けっこうちゃんと整備されていますね。テトラポットの護岸ですが、この遊歩道は悪くないと思います。
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その先が富岡海水浴場。ちょうど城跡に向かって坂を上り始める辺りです。
駐車場もそれなりに広いし、「快水浴場100選」と書いた看板も目立ちます。沖には波除の堤防もあって、安全そうな海でした。珊瑚礁も近くにあるようです。 -
そこから、富岡城ではなくて、富岡海域公園 展望所にも寄ってみます。
富岡海水浴場を少し過ぎると左手に上がって行く道があって、それを上りきったところ。けっこう広々とした平地なので、駐車スペースは悠々です。
ところで、富岡城のある富岡半島はもともとの島が潮流の流れで陸地とつながった陸繋島。こちらは、その特異な景観やわが国で初めて指定された海中公園を眺めるための展望所なんですよね。 -
眼下には白岩崎キャンプ場。その先、富岡海岸、貝瀬浜海岸、白木尾海岸、九州電力(株)苓北発電所と見渡せますが、そこまでの景色でもないかな。
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海中公園の方もそこら辺の海を眺めているのと変わらないし。。セールスポイントがあまりないような気はします。
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再び富岡城跡に向かって坂を上り始めてすぐにある鎮道寺。
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小西行長が創建した浄土真宗の寺で、天草島原の乱後は、荒廃した人心を導く役割も。
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本堂の柱には、ここを訪れた勝海舟の落書きがあって、これも有名。落書きは以下の通りですが、日本海軍指揮官勝麟太郎と架空の肩書を名乗っているのは、日本を世界に羽ばたかせたいとする大いなる希望を表したものです。なお、本堂へは自由に上がれますが、落書きはよく分かりませんでした。
蒸気の御船にのりて再びここ旅に寝せしかば、
たのまれぬ世をば経れども契りあらば
ふたたびここに月を見るかな
日本海軍指揮官 勝麟太郎 -
さらに上って行く途中のお堀のような役割を果たしている大池は袋池。山の頂には富岡城の遺構が見えていますが、この池があることでその山裾までたどり着くのすら難しいですね。島原・天草一揆の後、天草の領主となった山崎家治が作ったようですが、よほど一揆のことが骨身に沁みていたのかもしれません。
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そして、これが富岡ビジターセンター。富岡城のてっぺんです。
カーナビに入れたら、ビジターセンターのすぐ裏手まで続く細くて険しい道の案内が出てそれを行きましたが、これは交差とかあればどうにもならない道。とても危険です。別途、二の丸広場の下に駐車場があるので、そこを利用するのがいいでしょう。 -
さて、館内パネル展示の富岡城の歴史では、
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天草島原の乱からその後の領主山崎氏の時代を経ての天領。戸田氏の時代から再び天領へ。時代ごとに富岡城の位置付けを解説していて、とても分かりやすいと思います。
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ビジターセンターを出て
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同じ敷地の中に、別棟で鈴木重成の展示室。乱の後、天領となった天草の初代代官。
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乱れた人心の安定に心を砕くとともに
幕府に対し年貢の軽減を訴える。死を賭しての訴えが幕府に通じ、年貢は半減。天草の恩人となりました。殺伐とした乱の歴史に爽やかな風を吹かせています。 -
イチオシ
本丸の跡から
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二の丸広場の方に下って行きます。
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ありゃりゃ
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これは雄大。
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一揆軍を防戦した当時の様相はまた違っていたでしょうが、
富岡城は基本天然の要害。それがゆえに一揆軍の攻勢をよく防げたものと思います。
原城を拝見した時もその広大さにびっくりしましたが、ここも想像していたのとは大きく違いました。田舎の方の戦いという認識でいると間違えると思います。 -
イチオシ
改めて、富岡城二の丸公園。山の頂を削り取ったような広々とした平地には、天草にゆかりのある人物、鈴木重成、鈴木正三、勝海舟、頼山陽の堂々とした銅像が建っていてかなり目立ちます。
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それぞれ詳しい紹介文があって、鈴木重成は天草・島原の乱の後、天領となった天草の初代代官。減税を訴え自害をしてまでその思いを幕府に届けた天草の恩人。鈴木正三は重成の兄で人心の荒廃を安定させるために神社仏閣の復興を進めました。勝海舟、頼山陽は天草に立ち寄った縁がある人物です。
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いや、それにしても雄大な気分になる城ですね~
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富岡城二の丸公園の一角には小さな有料の資料館がありまして、それが苓北町歴史資料館。
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天草島原の乱の前夜の状況とか詳しく解説があり、キリシタン大名有馬直純から松倉重政に領主が代わるとキリシタンへの弾圧や年貢の取り立てが容赦ないものとなり、餓死者が相次いだこと。
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天草四郎の出現を予言するママコス上人の存在とか。あるいは、本渡の戦いに遭遇した人物の手紙とか。
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丁寧に拝見するとリアルな歴史の一端が感じられる資料館だと思います。
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アダム荒川の記念広場は、アダム荒川殉教の地に整備された小さな区画。富岡城の二の丸駐車場からさらに先。大きく回って行った方です。
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イチオシ
処刑される際の場面を描いた陶板画と詳しい解説もあって、それなりの雰囲気。アダム荒川は、天草で唯一、日本人殉教者188人の福者に列せられた人物。もともとは島原半島の出身でキリシタン大名有馬氏に仕えていたのですが、宣教師の取りなしで手打ちを免れたことで信教の道へ。
天草に来た後、キリシタン弾圧が激しくなり、富岡城で拷問をうけ70歳で殉教しています。 -
富岡城を後にして、再び、富岡の市街へ。
頼山陽先生 宿泊地広場は、文政元年(1818年)、頼山陽が西遊の際、宿泊した地。富岡に開塾していた儒者渋江龍淵を訪ねるためこの地を訪れ、宿泊したのは旅館「泉屋」。天保3年に富岡の大火で焼失しますが、その跡地にこの広場が整備されたということです。 -
頼山陽公園は、頼山陽先生 宿泊地広場からもう少し離れた南側。丘の上に立派な石碑が建っていて、
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刻まれているのは山陽の代表作「天草洋に泊す」の詩。
当地を訪ねた際、天草灘の美しさに感動し、それを詠ったものだそう。詩の解説は送り仮名を振っただけのものですが、まあ雰囲気だけは感じれます。 -
イチオシ
富岡の次は鬼池港を目指します。
富岡を離れてしばらく行くとまずは天草四郎乗船の地。
富岡城を陥落寸前まで追い詰めますが落城しないので、それ以上の攻撃を諦めた一揆軍がここから島原に向かったと言われる地。下天草の北側、単調な海岸線を走る国道沿いに建つけっこう大きな碑なのですが、気を付けていても見逃しやすいかな。私もいったん通り過ぎた後、地元の人に尋ねて見つけました。 -
さらに進んで、今度はおっぱい岩。海水の力によってできたという変形岩で、女性の乳房に似ているのでおっぱい岩。駐車場のところに、「1億年の大地の記録」と題した詳しい説明版がありました。
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実際のおっぱい岩に至る海岸には赤い鳥居が建っていて道順を示していましたが、満潮なのでこの日は近づけず。残念でした。
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そして、ほどなく通詞島。
この島にある自然食品研究会は、天草の天日塩の施設。 -
目の前はこんな砂浜です。
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海水から水分を飛ばして塩を得るのに、低温であればあるほど作られた塩は有機質がなくならないという理屈なのだとか。
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その天日塩をおみやげにしましたが、
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塩アイスがあって、それもいただいてみました。
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塩の効果もあるんだと思いますが、爽やかなバニラアイスとしての基本的なおいしさがありますね。アイスの色が少し青みがかっているような気もしましたが、この色が塩と関係しているかどうかはよく分かりません。
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五和歴史民俗資料館は、通詞島の一番高い場所。急な坂を上って行った敷地内は島の全景が見渡せるという絶好のロケーションです。
この周辺には縄文時代の遺跡があって、貝塚の出土品や縄文時代の土器による製塩具なども展示されています。 -
天草下島の北側は単調な海岸線が続きますが、その途中、沖合すぐに小さな橋で結ばれたのがこの通詞島。五和歴史民俗資料館からの眺めです。
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通詞島を出て。
道の駅 天草市イルカセンターは、 -
天草のイルカウォッチングがウリのようですね。
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それはそれとして休憩がてら寄った館内のお土産物ショップはお菓子とかが山と積まれていて豪快な印象。観光客の主要なルートからは少し外れになるかもしれませんが、建物はきれいだし、なかなか活気を感じる道の駅です。
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さて、鬼池港に到着です。
こちらは、天草と島原半島南端の口之津港を結ぶフェリーがあって、所要時間は30分。そんなに利用者が多いようにはみえませんでしたが、それでもフェリーを待っている車が何台かいて、それなりに動きはありますね。 -
フェリー乗り場にはちょっとおしゃれな待合所がありまして。少し覗いてみましたが、小さなショップ。天草の焼き物なんかもちょこっと置いてあって、観光客向けの意識もそれなりにあるのかなと思います。
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そして、鬼池港の待合所前の広場の正面には、天草四郎時貞像。台座の代わりの小山も含めて全体に少し傷んだ感じもありますが、顔だちは固い決意を秘めているような精悍な表情。富岡城の攻略には失敗したものの、改めて原城を目指す天草四郎を表しているような気がします。
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一方、鬼池港のすぐ沖に見えるのが亀島。無人島で、潮が引くと4時間の間、対岸の海水浴場、若宮海岸から歩いて渡って遊べるのだとか。鬼池港からだと地続きの島のようにも見えるので、その辺りの微妙なところは若宮海岸まで行かないと分からないように思います。
鬼池港は以上です。 -
改めて本渡を目指します。
天草飴本舗です。 -
商品の種類も多いし、なかなかメジャーなお菓子屋さんですね。
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目立っている四郎の初恋 南蛮柿餅をいただきます。ふにゃっとした柔らかいお餅はイチジクを練り込んだもの。口にした瞬間は妙な感じがしましたが、イチジクの味というか粒々の食感もちゃんと分かって、面白い味わいですね。
なお、お店は駐車場も含めて広い敷地。お土産物的なお菓子だけではなくて、本格的なケーキの類なんかもありました。 -
本渡に戻ってきて。
今朝ほどの天草キリシタン館へ。
私は二回目なんですが、南蛮文化、天草の乱、代官行政に隠れ切支丹など、天草に伝わる400年来の切支丹の資料を展示する本格的な総合資料館。美しい展示がいいですよね。
展示品の目玉は、「天草・島原の乱」で天草四郎が使用したという、国の重要文化財指定の「天草四郎陣中旗」。正式名称は「綸子地著色聖体秘蹟図指物」(りんずじちゃくしょくせいたいひせきずさしもの)。一揆軍は全滅していますから、どうしてこんなものが残っているのか不思議な気もしますが、まあそれはそれとして。生々しい遺品です。 -
こちらはキリシタン館の入口手前に立つ天草四郎時貞像。この像は郷土史家であり、彫刻家でもあった亀井勇初代天草切支丹館長が天草島原の乱の史実をもとに彫刻したという像。腰と背中にも刀を背負っていますが、表情はまだ幼い感じ。そのギャップがちょっと切ないかもしれません。
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天草市立天草キリシタン館からの帰り道途中。大きな寺の山門が現れて、すぐに明徳寺だと分かりました。
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天草島原の乱によって荒廃した人心を安定させることを目的として建立された曹洞宗の寺。キリシタン対策の歴史を刻んでいるのですが、その後の隠れキリシタンのことを思うとなかなかすんなりとはいかなかったのかな。構えは確かに立派ですが、今となっては微妙な存在かもしれません。
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市街の中心部に戻って、こちらももう少し。。
天草宝島国際交流会館ポルトは観光客向けの施設だとは思いますが、 -
観光案内にしてもまあそこそこで、なんか中途半端な感じですね。ロビーの辺りをちょっとうろうろしましたが、テーブルと椅子がある休憩スペースくらい。積極的に訪ねるようなところではないように思います。
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同じような観光施設ですが、これは天草文化交流館。
昭和10年、地元出身の千原萬五郎氏が設計・施工した天草教育会館。体育館のような学校の校舎のような。それでいて丸窓とかにちょっと教会のような臭いもなくはない。 -
独特な洋風建築物として、国の登録有形文化財となったようです。
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天草手まりや天草押絵、バラモン凧の展示もちょっと拝見できました。
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では、ここから少しスイーツチェックもしてみますよ~
まるきんは、商店街の中にあるたい焼きのお店。 -
ただ、このたい焼きは変わっていて、まん丸なのが特徴です。
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最初、口にした時にちょっと物足りないような気がしましたが、たぶん、それは餡子が多いたい焼きに慣れているから。
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つまり、ここのはそこまで餡子が多くないのですが、しかし、餡子はちゃんと艶がある甘さだし、皮の部分も落ち着いた味わい。そうするとこの餡子のバランスはむしろ理に適っているような。やっぱり、地元のリピーターに愛されてきたたい焼きですから、慌てないでちゃんと味わえばその良さが分かります。
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すぐ近くのもう一軒は、すわや菓舗。
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生クリーム大福がウリのようで、いくつか種類がありますが、私はカフェオレにしてみました。カフェオレのクリームは生クリームにカフェオレの味を付けたもの。しっかりした大福でそれを包んでいて、素直なおいしさがいいですね。
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黒まん本舗は、本渡の中心部、メインストリート沿いにある老舗の和菓子屋さん。
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看板商品の黒まんは、白餡の黒糖饅頭。
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イチオシ
皮のしっとり加減が絶妙で、白餡の滑らかな甘さが素晴らしい。ちょっと名前からして、軽く考えていましたが、この完成度は半端ないかも。小さ目のサイズのこともあって、これは何個でもいけちゃいますね。
皇室に献上した天草の伝統銘菓というのには納得感あり。もう少し有名になってもいいお店なのではないかと思います。 -
同じ並びにあるスイーツラボ ボングーは洋菓子屋のお店。駐車場もしっかりあって、それなりに立派な構えです。
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目立っていたのはロールケーキ。たまたま切り落としがあったのでそれをいただきました。けっこう量が多かったのでしっかりいただきましたが、違和感なくガバガバ食べられる。甘すぎることもなくバランスのいいロールケーキだと思います。
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本渡を離れて、上天草に入ります。
来る時に見逃していたイソップ製菓。お店は適当な感じなのですが、他のお土産物屋さんにもけっこう大量に卸していてそれなりに大手なんですよね。 -
いただいたのは、紫芋のタルト。タルトというか形的にはロールケーキですけど、芋案が和のテイストでネッチョリした甘さ。ちょっと濃いような気もしましたが、食べ進めるとそれなりにケーキと微妙に合ってはいますね。大きさがあるので、お得感もあるような気がします。
これで天草は終了。一路、今夜の宿、玉名温泉を目指します。 -
ただ、その途中。
来る時に満潮で見れなかった御輿来海岸干潟へ。干潮の時間を調べていたわけではないですが、行ってみるとちょうどいい感じ。 -
少しずつズームしてみますけど
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イチオシ
いっぱいに寄ってみたのがこれが一番かな。
見事な縞模様はなるほど一見の価値ありですね~ -
正面の眺めだと少し縞模様が単調かな。
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展望台を降りて、海岸近くまで行ってみましたが、これもイマイチ。
やっぱり展望台からのアングルが最高ですね。
大阪からここの眺めを写真に撮るために来たという団体さんがいまして、これからしばらく粘って夕陽に赤く色づくところを狙うのだとか。天気が微妙でどうなるかわからないとおっしゃっていましたが、ここはやっぱりそういうところなんですね。私はこれで退散しますけど、それでは幸運を祈ります! -
そして、もうひとつの長部田海床路。
こちらも干潮で道が現れていました。 -
イチオシ
海中に没した姿もまあそれはそれでよかったのですが、夕暮れ時のこのモノトーンの感じ。こっちもまた雰囲気ありありですよね~
これで、天草の旅は本当に締まったように感じました。 -
もう黙々と玉名温泉を目指すのみ。
ただ、疲れをいやす意味もあって、途中目についたヒライさんへ。 -
お弁当を買おうと思っていましたが、イートインのうどんコーナーがあったので、そちらも利用してみました。いただいたごぼう天うどん。ごぼう天のしっかりした味わいに、柔らかいけど適度にコシのあるツルツルうどん。想像していたよりずっと上質なうどんで、ちょっとびっくり。人気のお店ですけど、弁当だけじゃなかったんだ。やっぱり何かと使えるお店です。
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今夜の宿は、玉名温泉の立願寺温泉ホテル 湯里
すっかり日が暮れての到着ですが
大きなヤマを越えたし、温泉に入ってもう爆睡です。 -
翌朝の眺め。
ここは高台なので見晴らしはいいですね。 -
朝飯もしっかりいただいて
最終日は荒尾の窯元巡り。もうひと踏ん張りです。
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この旅行記へのコメント (1)
-
- うふふ♪♪さん 2022/11/13 15:41:38
- たびたびさん、お久しぶりです!うふふ♪♪です!
- たびたびさんへ☆☆
こんにちは!
うふふ♪♪です!
今回も1月中旬から7月末まで『眠り姫』になっていまして・・・💧
(除く4月)
ご無沙汰ばかりですみません💦💦
いやぁ、どの旅行記も見応えあって、
どちらに書き込もうか・・と悩んでいました(笑)。
”祇園橋”と”八坂神社祇園社”がとても印象的です。
関西のうふふ♪♪には、
(あぁ・・京都の神社もこんなところまで伝わってきているんだ・・)
と思い、不思議な気持ちになります。
”殉教千人塚”、日本のお墓じゃないみたいですね。
”天日塩”おいしかったですか??
今はいろんなお塩があるので、たくさん試してみたい!
と思いつつ、味が違うのはわかっても、
どの料理に適しているのかがわからないうふふ♪♪です・・××・・
(母方の祖母の実家は瀬戸内で塩田をやっていたというのに、
このていたらく・・)
御輿来海岸の干潟がいいですね。
たびたびさんはちょっと飽きられてしまわれたようですが、
うふふ♪♪はこういう景色が大好きなので、
かなりの時間、ボーッとしていられそう(笑)。
いつも思いますが、たびたびさん健脚!!
ちょっと歩いてふうふう言ってるうふふ♪♪。
見習わねば・・・
(始終『眠り姫』でいるので、
体力が凄まじく落ちているのですが💧←言い訳)
いつも見応えのある旅行記をありがとうございます!
うふふ♪♪のポール編・バラ園編(御礼書き忘れていました💧)に、
ご訪問と投票をありがとうございます!
虚弱うふふ♪♪(苦笑)☆☆
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