水道碑記(玉川上水記念碑)
名所・史跡
3.32
水道碑記(玉川上水記念碑) クチコミ・アクセス・周辺情報
玉川上水の由来をしるしてある。このあたりに上水を管理し,給水量の調節をはかる四谷水番所があった。
ピックアップ クチコミ
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満足度の低いクチコミ
人々の生活を支えていた大切な場所としての旧跡
1.0
- 旅行時期 2023/02
- by densukeさん
新宿区の区民センターに行ったときに、センターの建物近くに、大きな石碑が立てられていたので立ち寄ってみました。石に刻まれた文... 続きを読む章は、難しくて判読できませんでした。ただ、ここで玉川上水を見守ることで、人々の生活を支えていた大切な場所としての旧跡だろうと思いました。 閉じる
クチコミ・評判
3.32
(27件のクチコミ)- アクセス:
- 3.53
- 東京メトロ丸ノ内線・新宿御苑前駅2番出入口から新宿通り(旧甲州街道)を東側(四谷方面)におよそ350メートル(徒歩4分程度)です。 by hiroさん
- 人混みの少なさ:
- 3.82
- 平日の午後でしたが、立ち止まって見る人はいませんでした。 by hiroさん
- バリアフリー:
- 3.19
- 新宿通り(旧甲州街道)沿いの四谷区民センター敷地内にあり、歩道から見ることができます。 by hiroさん
- 見ごたえ:
- 3.03
- 高さ4.6メートル・幅2.3メートルの大きな石碑です。 by hiroさん
1~20件(全27件中)
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玉川上水の大きく黒い記念碑
- 3.5
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
- 13
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水道碑記(玉川上水記念碑)
- 3.5
- 旅行時期:2022/04(約4年前)
- 0
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今は大きな石碑がたてられtいます。
- 3.0
- 旅行時期:2021/02(約5年前)
- 0
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高さ4.6メートル・幅2.3メートルの大きな石碑に圧倒されました!
- 3.5
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 4
『水道碑記(玉川上水記念碑)』は、江戸時代に大都市化する江戸府内の生活用水を確保するために整備された「玉川上水」を中心に「... 続きを読む神田上水」の由来を記した石造の記念碑として、1895年(明治28年)に江戸時代「玉川上水・水番所」が設置されていた「四谷大木戸」跡となる現在の新宿区「四谷4丁目交差点」付近の「四谷区民センター」敷地内に建立されています。
『水道碑記(すいどうのいしぶみのき)』の建立動機などの詳細は不明ですが、日本橋に在住していた「西座真治」が発起人となり1885年(明治18年)に建立予定の計画が「西座真治」の急逝により計画が一時中断され、「西座真治」の意思を継いだ妻「ふく」により建立が実現されたため建立時期と記念碑に刻まれている年月が10年異なります。
ちなみに「玉川上水」は、徳川幕府・第4代将軍「徳川家綱」の時代である1653年(承応2年)に町人であった「庄右衛門・清右衛門」兄弟が工事を請け負い2度にわたる「取水堰」地の見直しによる工事のやり直しが発生する中、最終的に多摩川上流の羽村を「取水堰」として「四谷大木戸」までの標高差が約92.3メートルと緩勾配の武蔵野台地の稜線を巧みに開削しながら約8か月の期間で地上部分を開渠とした全長が約42.7キロメートルの上水路を完成させています。
「四谷大木戸」以降から現在の「虎の門」までの区間は、地中部分に樋(木樋、石樋)を敷設する約6か月間の暗渠となる配水管工事により、1654年(承応3年)から当時の江戸府内に上水が供給され、「四谷大木戸」に「水番所」が設けられ上水の管理が実施されていました。
また、「玉川上水」建設工事に関する功績が称えられた「庄右衛門・清右衛門」兄弟は、徳川幕府より「玉川」の姓を賜っています。
『水道碑記』(高さ4.6メートル、幅2.3メートル、厚さ22セントメートル)の「篆額(てんがく)」(漢字の最も古い書体で記された題字)は、徳川宗家第16代当主「徳川家達」が記したもので、「撰文」は江戸時代前期の薩摩藩士「肝付兼武」が記した「玉川上水」と「神田上水」の建設理由および「玉川上水」建設に貢献した「玉川庄右衛門・清右衛門」兄弟の功績を称える内容の漢文です。
そのほか『水道碑記』は、幕末の志士であり明治政府の官僚かつ書家であった「金井之恭」が記した「書丹」(石碑の下書き)を「井亀泉」の名で江戸三大石匠と呼ばれた「酒井八右衛門」が「鐫刻」(彫り付け)に携わり、1930年(昭和5年)には「東京都 有形文化財(古文書)」に指定、および1952年(昭和27年)には「東京都 史跡」に指定、1955年(昭和30年)になると「東京都 旧跡」に指定、さらに1992年(平成4年)になると『玉川上水記念碑』から『水道碑記』に名称・種別が変更されています。
今回は、平日の午後に「新宿御苑」周辺を訪れた際に「新宿御苑」の北側に位置する「玉川上水 内藤新宿分水散歩道」とともに『水道碑記』に立ち寄りました。
石碑に刻まれている漢文は、長文でその場で文書を理解することができませんでしたが、石碑の大きさに圧倒されました。
また、『水道碑記』のほかに「玉川上水水番所跡」と「四谷大木戸跡碑」の史跡があります。
『水道碑記』に立ち寄る際は、江戸時代にこの地を流れていた「玉川上水」の面影が再現されている総延長が約540メートルの「玉川上水 内藤新宿分水散歩道」に立ち寄ると散歩道の各所に「玉川上水」に関わる案内板が設置されているので、「玉川上水」に関する理解を深めることができお勧めします。 閉じる投稿日:2021/06/12
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玉川上水のいわば終着点
- 3.5
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
- 0
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玉川上水を称える石碑
- 3.0
- 旅行時期:2020/03(約6年前)
- 0
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新宿区役所四谷出張所の東角にある
- 3.0
- 旅行時期:2020/03(約6年前)
- 0
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玉川上水の碑
- 3.0
- 旅行時期:2019/09(約6年前)
- 0
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四谷区民センター前にあります
- 3.0
- 旅行時期:2019/05(約7年前)
- 0
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四谷四丁目交差点近くに
- 3.0
- 旅行時期:2019/03(約7年前)
- 0
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巨大な石碑です。
- 3.5
- 旅行時期:2018/01(約8年前)
- 0
水道碑記は四谷市民センターの四谷四丁目交差点寄りのところにあります。この碑を見た第一印象は何ともデカいものだ!です。高さは... 続きを読む460cm、幅230cmです。碑には、江戸時代の初期に造られた神田上水と玉川上水について書かれているのですが、そのことを数百年後の明治に入ってから、この石碑で記録しておこうとした理由が分かりません。日本橋在住だった西座真治さんと奥さんが、資力を尽くし、寄付を集めて完成させたのですから、何か相当の思いがあったと思うのですが・・・。
同じ敷地に四谷大木戸跡碑があります。江戸開府間もない1616年に甲州街道の検問所が設けられた場所とのことです。実際の場所は四谷四丁目交差点辺りだそうです。1792年に廃止されていますが大木戸の名だけは残り、現在は御苑の入口にも使われていますね
閉じる投稿日:2018/02/11
-
建立には夫婦愛の物語があったんですね。
- 4.0
- 旅行時期:2018/01(約8年前)
- 0
あまりにも大きくて道路の反対側にいかないと正面からの写真が撮れませんよ。(横断歩道が離れていたので行きませんでしたが・・・... 続きを読む)この記念碑は四谷市民センターの一画にありますが、ここは玉川上水の四谷水番所があったところだそうです。石碑の裏には建立に関わる夫婦の涙ぐましい努力が記されています。明治期に日本橋在住の西座真治さんが発案、私財を擲ち、寄付を集めても完成せずに亡くなり、夫の遺言を引き継いだ妻のふくさんがさらに10年の歳月を費やし、資力を尽くして完成させたとのことです。西座真治さんはどんな事業をしていた人かは記録が残っていないそうです。俗っぽくなりますが、これだけ大きなものを建立するにはどのくらいのお金が掛かったのでしょうね。 閉じる
投稿日:2018/01/28
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江戸への上水を調節した場所
- 3.5
- 旅行時期:2017/12(約8年前)
- 0
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大きな碑です
- 3.5
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
- 0
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15年前と変わらない佇まいに安心
- 3.5
- 旅行時期:2017/07(約8年前)
- 0
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江戸時代の玉川上水の由来
- 3.5
- 旅行時期:2016/06(約10年前)
- 0
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玉川上水を開いた玉川兄弟の功績を称える石碑
- 3.5
- 旅行時期:2016/05(約10年前)
- 0
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玉川上水の石碑
- 3.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
- 0
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四谷区民ホール前の大きな石碑です
- 3.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
- 0
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四谷区民センター前
- 3.0
- 旅行時期:2015/09(約10年前)
- 0
1件目~20件目を表示(全27件中)
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