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郡司鋳造所遺構広場

名所・史跡

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郡司鋳造所遺構広場 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11347697

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施設情報

萩藩の代表的な鋳物師であった松本郡司家の鋳造工房の遺構を移築整備した広場です。 なかでも、西洋式の青銅大砲を鋳造し、一番深いところで4.5mある巨大な石組み大砲鋳造遺構は日本でも唯一のものです。

施設名
郡司鋳造所遺構広場
住所
  • 山口県萩市椿東
電話番号
0838-25-3139
アクセス
中国自動車道美祢東JCT 車 20分 → 小郡萩道路絵堂ICから車30分
(JCTと繋がっている小郡萩道路利用で萩へ)
JR東萩駅 タクシー 5分
まぁーるバス東回り「軍事鋳造所遺構広場前」下車 徒歩 すぐ
駐車場
なし
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
のだ さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(15件)

萩 観光 満足度ランキング 58位
3.32
アクセス:
3.71
松陰神社のそばです。 by NH SFCさん
人混みの少なさ:
4.10
他に観光客はいませんでした。 by NH SFCさん
バリアフリー:
2.50
あまり期待はできないです。 by NH SFCさん
見ごたえ:
3.58
それなりにはあると思います。 by NH SFCさん
  • 大砲のレプリカが展示

    • 4.0
    • 旅行時期:2023/05(約12ヶ月前)
    • 0

    松下村塾の北側にある郡司鋳造所遺構広場は、萩藩のお抱えの鋳物師だった郡司家の鋳物工房の遺構を移築復元整備した広場。
    ここ...  続きを読むで鋳造された大砲は、下関海峡での外国船砲撃や同海峡での英・仏・蘭・米連合艦隊の戦争(下関戦争)にも使用されました。
    大砲のレプリカが展示してあります。
     
      閉じる

    投稿日:2023/09/08

  • 鋳造所の遺構を復元した広場

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/10(約2年前)
    • 0

    萩の市街地の東側、松陰神社にほど近い大通り沿いにあります。
    萩藩のお抱え鋳物師だった郡司氏は幕末に大砲を鋳造したそうで、...  続きを読むその鋳造所の遺構を移築、復元した広場となっています。
    広場の入口あたりに大砲の複製があり、真ん中には階段状になった部分がありました。この階段状になったところで大砲を鋳造していたのでしょう。説明板など、そのあたりは整備されていてわかりやすかったです。  閉じる

    投稿日:2022/11/11

  • 歴史を感じる

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/01(約2年前)
    • 0

     松陰神社の駐車場の北側にこの広場はありました、鋳物関係の製造をしていた郡司家の鋳物工房の遺構を移築復元した広場との事です...  続きを読む。江戸時代末期から明治にかけての大砲がこの様な設備で製造されていたのかと、関心しながら見学させていただきました。松陰神社周辺を見学される場合は、立ち寄ってみても良いと思います。
      閉じる

    投稿日:2022/01/23

  • 鍋、釜作りの技術で大砲作り。

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/05(約3年前)
    • 0

    松下村塾の入口近くに、郡司鋳造所遺構広場がありました。思いの外、大掛かりな設備です。郡司家の鋳物工房の遺構を移築復元したも...  続きを読むのです。そもそも郡司鋳造所は鍋、釜を鋳造していたところだそうです。その後、ここにもレプリカが置かれていますが、砲丸を飛ばす小型の大砲も造り出したそうです。そして、外国からの脅威が高まる中、旧来からの技術で長州砲と呼ばれる洋式の大型の大砲を鋳造したのです。もちろん、まったく役に立たなかったそうですが・・・。
      閉じる

    投稿日:2021/08/02

  • みもすそ川公園に並ぶ長州砲の製造元。

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/05(約3年前)
    • 0

    下関のみもすそ川公園に長州砲と呼ばれる大砲が並んでいて、もちろん実物大レプリカですが、なかなか壮観な景色です。1853年(...  続きを読む嘉永6年)のペリー来航をきっかけとして、幕府は「洋式砲術令」を公布したそうですね。萩藩は即行動に移し、同年11月には郡司鋳造所を藩営の大砲鋳造所として、大量の青銅製の大砲=長州砲を鋳造したのだそうです。残念ながら虚仮威しの役にも立たなかった様ですが・・・。   閉じる

    投稿日:2021/06/22

  • 松陰神社のすぐ傍にある、長州藩時代に萩の軍事強化のために活躍した施設を今に伝える広場です。松陰神社の喧騒とはよそに、こちら...  続きを読むに関しては訪れる観光客も少なく、ひっそりとした風情でしたが、丁度階段状になっている遺跡のような風情で、個人的にはメキシコのテオティワカンに一瞬迷い込んだかのような、そんなマニアックさも感じられます。

    現代の観光客視点からは、正直、広場、という表現は大袈裟に感じてしまう小さなスポットですが、歴史的な意義が重要な鋳造所遺構ですので、訪れる価値は高いと思います。  閉じる

    投稿日:2021/01/26

  • バスで松陰神社に向かう途中、交差点にあるこちらの施設に立ち寄りました。長州藩の鋳造所の跡とのことで、ここで作られた大砲が英...  続きを読む国と長州との戦争で使われた等の歴史を学ぶことが出来ました。また、鋳造のメカニズムなどの案内板や、大砲の模型などもあって、想像した以上に楽しめました。  閉じる

    投稿日:2020/03/14

  • 大砲が置いてある

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/07(約6年前)
    • 0

    松陰神社に向かって歩いて行くと、交差点にこの施設があったので、少しだけ立ち寄って見ました。ちょっとした公演ですが、その中に...  続きを読む大砲が置かれているとても珍しい公園です。萩藩の鋳造師の郡司家の鋳造所の跡だそうです。溶鉱炉のようなものも展示してありました。見ているだけで面白かったです。
      閉じる

    投稿日:2018/07/01

  • 幕府指定の青銅製大砲の鋳造所跡

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/10(約8年前)
    • 4

    松陰神社へ行こうとして偶然見つけました。場所は、県道67号線と県道11号線の交差点で、道路端から大砲が見えるので見落とすこ...  続きを読むとはありません。
    現地にあった説明板によると、郡司家は萩藩お抱えの鋳物師で、鍋や農機具、梵鐘、大砲などの兵器の鋳造を営んでいて、嘉永6年(1853年)のペリー来航をきっかけとして幕府が藩営の大砲鋳造所に指定して大量の青銅製大砲を鋳造したとか。
    再現された“こしき炉”や“たたら”などの鋳造設備や石組みの大砲鋳造遺構、大砲のレプリカなどが公園内に展示されていて、近代技術へと移行する過渡期を物語る産業遺構を興味深く観ることができました。
    訪れたときは、観光客はほとんどいなくて不思議な感じがしました。松陰神社から歩いて3分ほどのところだし、無料で観れるので松陰神社に参拝されるときに、ついでに観て回ればよいと思います。  閉じる

    投稿日:2016/11/30

  • 郡司鋳造所遺構広場は、松陰神社近くの交差点角。遠くからでも何かあるなというのが見えるので、迷うことはありません。
    広場内...  続きを読むには、萩藩の鋳造師であった郡司家の鋳造所を復元したもの。金属を3つの窯で溶かし、そのまま鋳型に流し込んで固めていたというのですが、本当にこんなもので大砲とか作れていたのでしょうか。まあ、形はできたんでしょうが、強度とかはやはり限界はあったのではないかと思います。  閉じる

    投稿日:2016/09/27

  • 大砲がここで製造されたのねー

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/05(約8年前)
    • 0

    今回は「維新のふるさと」とも言われている憧れの城下町を散策する旅行です。ここへは萩駅前から防長交通の東回りコース(松蔭先生...  続きを読む)萩バスセンター・東萩駅前萩市役所行に乗車して郡司鋳造所遺構広場前バス停下車。ここは長州藩の鋳造所として幕末には大型の大砲の鋳造していた郡司家の鋳物所で遺構広場として復元されました。車道からもよく見え緩やかな階段が造られていて、当時の様子を知るにはこうした遺構も大切なのですね。  閉じる

    投稿日:2018/10/29

  • 下関戦争でも使われました

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/12(約9年前)
    • 0

    松下村塾が残るなど吉田松陰のテーマパークともいえる萩の松陰神社すぐ近くに大砲が置かれた公園がありました。子どもたちが無邪気...  続きを読むに遊んでいますが、鉄をつくる昔の高炉のようなものも展示されていました。幕末に西洋式大砲の長州砲を青銅で鋳造したという郡司鋳造所の遺稿でした。石積みの小高いドームのてっぺんから炉の先端のような物が見えています。ここで鋳造された大砲は神奈川県の三浦半島にある長州藩の番屋に運ばれたほか、下関海峡の外国船砲撃、英米など連合艦隊との下関戦争などでも使われました。青銅式だから威力はかなり劣っていたみたいですけどね。子どもの歓声と武器製造所の同居って、ちょっと困ったなという感じもしましたけど。  閉じる

    投稿日:2015/01/27

  • 松陰神社から徒歩で行ける郡司鋳造所跡

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/07(約10年前)
    • 1

    『花燃ゆる』が来年のNHK大河ドラマ化されるということで、主人公の文さんの兄上でもある吉田松陰の人気が再燃するかもしれませ...  続きを読むんね。
    吉田松陰と言えば松陰神社が有名ですが、その松陰神社から歩いていける史跡が、郡司鋳造所跡です。
    幕末の萩は時代をリードする藩で有り、そうあり続けようとしました。
    そしてそれはトップダウンだけではなく藩士たちによるボトムアップ型の効果もあったようです。
    その融合が幕末のあの長州藩のパワーを生んだようだです。
    萩市大字椿東前小畑にある反射炉跡は実験的なもので製造には向かなかったことがわかっていますがこちらの郡司鋳造所は実際に長州藩に召し抱えられた郡司家が鋳造を行った鋳造所です。
    下関戦争で使われた洋式大砲を造りその技術力を示したのです。
    実際の鋳造所跡はバイパスの位置に当たるため移設され公園として当時の様子が再現されています。
    レプリカの大砲も含め、「こしき炉」と「たたら」も再現されていて興味深い史跡となっています。
    萩藩は幕末の偉人を多く排出しているおかげで思想面や教育・育成の面を評価されますが幕末にパンやガラス、大砲、軍艦等を独自で作っていることからも判る通り技術や科学の部門についても秀でていたと推測できます。
    場所は松陰神社からバイパスを萩しーまーと方面へ走った右側にあります。  閉じる

    投稿日:2014/12/21

  • 大砲が飾られています

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/05(約10年前)
    • 0

    松陰神社の隣にあります。郡司というのは人名で、大砲鋳造の技術で長州藩に召し抱えられた人物です。幕末になると、高島秋帆に洋式...  続きを読む砲術を学び、佐久間象山の指導で洋式大砲鋳造の技術を習得し、在来の技術を用いて洋式大砲が鋳造された。巨大な石組みとレプリカの大砲が展示されています。
      閉じる

    投稿日:2014/07/21

  • 西洋式大砲「長州砲」を在来技術で鋳造

    • 3.5
    • 旅行時期:2012/05(約12年前)
    • 0

    松陰神社の近くですね。
    萩藩の代表的な鋳物師であった松本郡司家の鋳造工房の遺構を移築整備した広場です。
    郡司鋳造所は在...  続きを読む来技術である「こしき炉」によって西洋式大砲を鋳造しており、近代技術へと移行する過渡期を物語る産業遺構として貴重なものです。   閉じる

    投稿日:2013/07/05

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