大山巌元帥誕生地
名所・史跡
3.37
クチコミ・評判 2ページ目
21~40件(全42件中)
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日本国陸軍の元帥
- 3.0
- 旅行時期:2019/02(約7年前)
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西郷の弟と親交が深かった
- 4.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
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大きな基礎岩の上に碑がたてられています。
- 3.0
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
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大きな石碑でした
- 3.5
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
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陸の大山、海の東郷。
- 5.0
- 旅行時期:2018/02(約8年前)
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天文館から鹿児島市電に乗って加冶屋で下車、東郷平八郎生誕地の見学の後で向かった先が、この大山巌の生誕地碑です。表通りに面し... 続きを読むて建つひときわ目立つ石碑で、鹿児島の誇りなのだということが良くわかりました。奉天の戦いで勝利し、東郷平八郎と共に日露戦争を勝利に導いたとされ「陸の大山、海の東郷」と讃嘆されました。西郷隆盛や大久保利通の碑よりの更に大きく立派で、彼への鹿児島県の尊敬の大きさを伺い知ることが出来ました。思いがけず「祖国の護り」という古い歌の一節が口をついて出て来ました「海濤天を突くところ、燃えて火を吐く桜島。薩摩が生める快男児、姓は大山、名は巌・・・」。 閉じる
投稿日:2018/04/07
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西郷隆盛の従兄弟
- 3.5
- 旅行時期:2017/10(約8年前)
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大山巌元帥誕生地
- 3.0
- 旅行時期:2017/05(約9年前)
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陸軍の元帥の生誕の地
- 4.0
- 旅行時期:2017/01(約9年前)
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国歌に「君が代」を採用した人
- 3.0
- 旅行時期:2016/10(約9年前)
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甲突川沿いの「大久保利通生い立ちの地」の前の道をまっすぐ川と反対の大通り方面に向かうと、大通りに出た駐車場の一角に碑が建立... 続きを読むされています。
1842年11月12日に薩摩藩士の次男として生まれました。世代的には西郷さん達より15歳くらい若いですね。寺田屋事件、薩英戦争を経験し、彼の陸軍人生が始まりました。戊辰戦争では、会津戦争の薩摩藩の隊長として、従軍していいます。ただ、後の西南戦争では、政府軍の司令官として、西郷さんを自刃に追い込むこととなります。西郷さんとは従兄弟同士ですので、複雑ですね。
その後、日清戦争では陸軍大将として、日露戦争では元帥陸軍大将として、日本軍を勝利に導きました。また、初代内閣の陸軍大臣であり、国歌に「君が代」を採用した人だそうです。
西郷さんを自刃に追い込んだことから、西南戦争以後、鹿児島には一度も帰らず、お墓は晩年過ごしていた栃木県那須にあるとのことです。 閉じる投稿日:2018/10/25
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西郷隆盛生誕地碑より立派な碑です。どうしてかな?
- 3.0
- 旅行時期:2016/07(約10年前)
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加治屋町の碑
- 3.5
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
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山は富士、陸軍は大山
- 3.0
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
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おおやまいわおげんすいたんじょうち
- 3.0
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
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道路沿いでわかりやすい
- 2.5
- 旅行時期:2014/12(約11年前)
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西郷隆盛の親戚だそうです!
- 3.5
- 旅行時期:2014/09(約11年前)
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おぉ、さすが大山巌
- 4.0
- 旅行時期:2014/07(約12年前)
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元帥陸軍大将大山巌で最初に思い出すのが、旅順要塞の攻略。満州軍総司令官としての大山の存在がなければ、たとえ児玉源太郎・乃木... 続きを読む希典であっても攻略は叶わなかったであろうと思います。西郷隆盛とは従兄弟関係ですが、西郷に勝るとも劣らない豪胆さ、優れた才覚から幾度も総理に押されたほどの人物です。国葬となった当日には、国葬とは別にロシア軍から弔辞を述べられました。かつての敵軍から弔辞を述べられるということは、世界的にも珍しいことで、大山がまさに日本を代表する軍人であったことを示しています。また国歌「君が代」も、大山の愛唱歌であった「薩摩琵琶」の「蓬莱山」から歌詞が採用されているのですが、あまり知られていないことは残念ですね。さて石碑は無骨で大きく、身体の大きかった大山のイメージにも合っていると思います。 閉じる
投稿日:2014/08/11
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立派な石碑
- 3.5
- 旅行時期:2014/04(約12年前)
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下加治屋郷中の元気坊
- 4.0
- 旅行時期:2013/05(約13年前)
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陸の大山、海の東郷
- 5.0
- 旅行時期:2013/04(約13年前)
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1842年、鹿児島の下加治屋町に生まれた。西郷隆盛とは従兄弟にあたる。尊皇攘夷派の精忠組等に属し、1862年の寺田屋事件に... 続きを読む連座して謹慎処分を受ける。
江川英竜より砲術を学び、「弥助砲」を開発。戊辰戦争では新式銃隊を率いて活躍した。
1870年からジュネーブに留学し、非常な西洋かぶれとなった大山は、アメリカ帰りの妻捨松とはウマが合ったようで、男尊女卑の明治の世で互いをファーストネームで呼び合っていた。
日清戦争では陸軍大将として第二軍司令官、日露戦争では陸軍元帥として満州軍総司令官として、日本の勝利に貢献し、「陸の大山、海の東郷」と並び称された。 閉じる投稿日:2015/07/31
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初代陸軍大臣、大山巌生誕地
- 3.0
- 旅行時期:2013/02(約13年前)
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