相原家薬医門
名所・史跡
3.27
クチコミ・評判
1~7件(全7件中)
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かやぶき屋根のためか田舎っぽい雰囲気を感じました。
- 3.0
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
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南部の赤門ともいわれています。
- 3.0
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
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住宅街に保存展示されている赤い門
- 3.5
- 旅行時期:2021/04(約5年前)
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南部の赤門と呼ばれています
- 4.0
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
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スポットには田柄5としか住所が記載されてなく捜し歩いても見つからなかったため、地元の方に尋ねたところ、南部の赤門ねと言って... 続きを読む教えてくれました。所在地は田柄5-8-3です。茅葺の歴史を感じる門です。相原家の子孫の方が住んでいるため、門は鉄の柵で仕切られていて触れることはできません。説明板もありませんでした。この地域の豪農だったようで、今も広大な土地を所有し、大きな屋敷の中に建つお住まいは寺の本堂のような大きさです。散策していて見つけた周辺に建つ相原という表札が掛けられた家は、どこも広い土地を所有していることから、相原家はかなりの豪農であったことが想像できました。他人事ながら、土地の管理や木々の世話など大変なことも多いだろうと勝手に思いました。 閉じる
投稿日:2018/11/11
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近くはよく通っていたが、こんな所に文化財があるとは。 教育委員会で解説板を出して欲しい。
- 3.5
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
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近くは何度も通っていたが、こんな所に練馬区の歴史的文化財があるとは、うかつだった。
住宅地の中の区道を進むと、フェンスの... 続きを読む中に古い立派な門が出現する。正面の門であろうが、現在は使われておらず、閉ざされている。どっしりした茅葺きの屋根が載っており、棟が瓦で覆われていることで、さらに重みがある。「南部の赤門」と呼ばれるだけあって、古びてはいるが朱塗りが目立つ。
ここは奥州の南部藩が江戸近くに領有していた土地で、江戸屋敷で必要な物資を生産していたらしい。それを管理するのが相原家で、武家屋敷並みの門が許される格式があったようだ。
歴史的に価値がある門なので、ぜひ教育委員会で解説板を出して欲しいものだと感じた。(以前は解説板があったらしいが。) 閉じる投稿日:2018/11/03
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趣のある朱色の門
- 3.5
- 旅行時期:2016/10(約9年前)
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光が丘駅南東の住宅地にある。看板や説明板がないので、わかにくかった。路地沿いに鉄棒の柵がありそれとほぼ平行に白い塀が続いて... 続きを読むいる。そのほぼ中央には木造の門が立っているが、朱色の扉は色がかなり褪せ屋根のかやぶきも少し痛んでいるものの、趣がありしばし感心して見ていた。相原家は、代々この付近一帯の組頭を務めた豪農で、薬医門は屋根の棟から真下に本柱がつながるのでなく、中心からずれていて控柱を有するものである。お勧めの点は、路上からみるだけであるが、薬医門は江戸時代から伝わる貴重な構造をしており、また薬医門とその周りの塀の一体的なデザインは趣があり実際に見る価値が高いこと、豪農であった相原家の生活や当時の文化などを楽しく想像できること、当時の文化や門の構造に関心を持てること、駅から近いことである。 閉じる
投稿日:2017/01/30
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住宅街の中にある赤い門
- 3.0
- 旅行時期:2015/02(約11年前)
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相原家は江戸時代この付近の組頭を務めた豪農でした。大名の南部家ともつながりがあり、この相原家医薬門は「南部の赤門」とも呼ば... 続きを読むれているです。但し、以前は柿渋が塗られていたそうで、赤く塗られたのは明治以降のだそうです。
医薬門とは屋根の棟を直接下の本柱が支えるのではなく、控柱を介して屋根を支える構造の門のことだそうで、この相原家の医薬門は切妻破風造りの屋根を茅葺とした万延元年(1860年)の再建棟礼が現存する表門で、木部全体にベンガラが塗られていたそうです。区指定の文化財にも指定されていますが、住宅街にあり、現在も個人所有のため、門の中に入ることはできません、 閉じる投稿日:2015/03/06
1件目~7件目を表示(全7件中)
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