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勝海舟寓居地碑

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クチコミ・評判 2ページ目

21~28件(全28件中)

  • 和歌山市駅近くに住んでいたそうです

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/12(約10年前)
    • 0

    和歌山市駅を出て正面(南東)に伸びる駅前通りを歩いて数分、歩道脇に石柱が建っています。
    そばの説明によると、文久3年、海...  続きを読む岸防衛工事の監督のため和歌山に派遣させられた時にこの地に住んでいたとのこと。
    (後にあの坂本龍馬も来たそうです)
    柱だけですので、歴史ファンの方なら周辺の散策ついでに見て行ってもいいかと思います。  閉じる

    投稿日:2016/04/10

  • 和歌山市駅近くにある滞在場所跡

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/01(約11年前)
    • 6

    江戸時代末期から明治時代初期の武士・政治家で山岡鉄舟・高橋泥舟と共に幕末の三舟と言われた勝海舟が文久3年の夏、幕府より和歌...  続きを読む山に派遣された時、滞在した場所として記念碑があります、南海電鉄和歌山市駅から徒歩5分位の大通り沿いにあります  閉じる

    投稿日:2015/01/24

  • 勝海舟が紀州に仮住まいした時の住居跡

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/12(約11年前)
    • 0

    幕末から明治にかけた志士勝海舟は、
    文久3年(1863年)に和歌山を訪問しました。
    軍艦奉行であった勝は、幕府から紀州...  続きを読むの海岸防衛の工事監督を任命されました。
    長く続いた鎖国から開国へと体制が変わりました。
    外国舟が来航し、海に面した紀州に放題を気づき、
    防衛を強化する必要がありました。
    なお、坂本竜馬も勝海舟を訪ねてこの地を訪問したそうです。

    現在では石碑が残るだけです。  閉じる

    投稿日:2014/12/06

  • 当時の防衛を担って!!

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/09(約11年前)
    • 0

    JR和歌山駅からレンタサイクルで10分ほど、
    和歌山城からも近い場所で、現在は碑があるだけの場所です。
    当時は紀伊周辺...  続きを読むは外国船からの防衛の要でもあった場所で、
    軍艦奉行勝安房守紀州藩海岸防衛工事監督のためにこちらに
    勝海舟も来られたそうです。  閉じる

    投稿日:2014/09/19

  • 碑があるのみ

    • 3.5
    • 旅行時期:2013/11(約12年前)
    • 0

    この地に両替商の豪邸があって、勝海舟はここに数日間滞在したそうです。
    何かのお店の前にポツンと碑だけ建っていて、特に説明...  続きを読む板などもないようです。
    これじゃあ、私のような物好きしか来ないよなあ、と思ったら、意外と来る人も多いみたいで。  閉じる

    投稿日:2015/02/14

  • 街中に静かにたたずんでいます

    • 2.0
    • 旅行時期:2013/11(約12年前)
    • 0

    小さな碑があるだけです。
    勝海舟に興味がなければ厳しいと思います。
    何も知らない人が此処に行っても何も感じないと思いま...  続きを読むす。
    最寄り駅は南海電車・JR西日本の和歌山市駅、徒歩約3分です。
    電車待ちの時間つぶしにはいいかも知れません。  閉じる

    投稿日:2013/11/09

  • 和歌山市駅前にある「ファミリーショップ クイノセ」の前にこの石碑はあります。

    幕末の安政元年、ロシアの使節プチャーチ...  続きを読むンが和親通商条約締結を渋る徳川幕府に圧力をかける目的で黒船ディアナ号を大阪湾に侵入させ、天保山の沖合に停泊しました。この時には示威行動のみに終わったものの、異国船がたやすく大阪湾に侵入したことに脅威を感じた幕府は、大阪防衛のために淡路島と友が島に台場(砲台)を築造するよう命じます。しかしながら、当時の日本には海上の艦船を攻撃するための砲台の築造に関するノウハウが無かったため工事は難航し、工事が完了するのは文久3年になってからのことでした。

    勝海舟は、当時、幕府の軍艦奉行であったことから、海岸砲台検分のため紀州藩を訪れました。その際に滞在した場所が橋丁の清水平右衛門宅であると伝えられており、これが現在「勝海舟寓居地」の石碑のある場所なのです。
    このとき、勝海舟は加太から和歌浦にかけて海岸沿いの30数か所を検分しました。その際の報告書によれば、やっと完成した加太の台場に対して「その位置を失い、多くは児戯に類して歎息に堪えず」と厳しい評価をしており、あまりに貧弱なことを嘆いています。それと同時に、加太浦を軍艦の建造地の候補にあげ、実現の際にはそこに浦賀奉行に準ずる「加太奉行」を設置すべしと主張したと言われています。
    この構想は、明治時代になって「由良要塞」として加太や友ケ島に大規模な砲台が建設されることにより実現することになります。

    また、この時には、勝の門弟だった坂本龍馬も紀州藩を訪れており、勝海舟とともに海防施設の巡視に参加したと考えられています。  閉じる

    投稿日:2015/09/08

  • 坂本竜馬が訪ねて来た勝海舟寓居地の碑

    • 3.5
    • 旅行時期:2010/03(約16年前)
    • 2

    和歌山城から和歌山市駅へ行く途中に「勝海舟寓居地」碑がある。
    「文久3年軍艦奉行勝安房守紀州藩海岸防衛工事監督のため幕府...  続きを読むより和歌山に派遣せられし時此処に寓居す時に門下坂本龍馬も亦来りて事に従ふ」と記載されている。
    文久三年(1863年)に軍艦奉行勝海舟が紀州藩海岸防衛工事監督のため滞在中に坂本竜馬が訪ねて来たとのことだ。

    和歌山県和歌山市舟大工町28、南海和歌山市駅から徒歩5分

      閉じる

    投稿日:2013/02/15

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基本情報(地図・住所)

施設名
勝海舟寓居地碑
住所
  • 和歌山県和歌山市舟大工町28
カテゴリ
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  2. 名所・史跡

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