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勝海舟寓居地碑

名所・史跡

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幕府の軍艦奉行であった勝海舟が海岸砲台検分のために滞在した場所

  • 3.0
  • 旅行時期:2013/10(約12年前)
yoshimune-kunさん

by yoshimune-kunさん(男性)

和歌山市 クチコミ:65件

和歌山市駅前にある「ファミリーショップ クイノセ」の前にこの石碑はあります。

幕末の安政元年、ロシアの使節プチャーチンが和親通商条約締結を渋る徳川幕府に圧力をかける目的で黒船ディアナ号を大阪湾に侵入させ、天保山の沖合に停泊しました。この時には示威行動のみに終わったものの、異国船がたやすく大阪湾に侵入したことに脅威を感じた幕府は、大阪防衛のために淡路島と友が島に台場(砲台)を築造するよう命じます。しかしながら、当時の日本には海上の艦船を攻撃するための砲台の築造に関するノウハウが無かったため工事は難航し、工事が完了するのは文久3年になってからのことでした。

勝海舟は、当時、幕府の軍艦奉行であったことから、海岸砲台検分のため紀州藩を訪れました。その際に滞在した場所が橋丁の清水平右衛門宅であると伝えられており、これが現在「勝海舟寓居地」の石碑のある場所なのです。
このとき、勝海舟は加太から和歌浦にかけて海岸沿いの30数か所を検分しました。その際の報告書によれば、やっと完成した加太の台場に対して「その位置を失い、多くは児戯に類して歎息に堪えず」と厳しい評価をしており、あまりに貧弱なことを嘆いています。それと同時に、加太浦を軍艦の建造地の候補にあげ、実現の際にはそこに浦賀奉行に準ずる「加太奉行」を設置すべしと主張したと言われています。
この構想は、明治時代になって「由良要塞」として加太や友ケ島に大規模な砲台が建設されることにより実現することになります。

また、この時には、勝の門弟だった坂本龍馬も紀州藩を訪れており、勝海舟とともに海防施設の巡視に参加したと考えられています。

施設の満足度

3.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
人混みの少なさ:
3.0
バリアフリー:
4.0
見ごたえ:
3.0

クチコミ投稿日:2015/09/08

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