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合元寺(赤壁寺)

寺・神社・教会

合元寺(赤壁寺) クチコミ・アクセス・周辺情報

耶馬溪・中津・玖珠 観光 満足度ランキング 10位

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通称「赤壁」といわれるこの寺は、天正15年(1587年)、黒田官兵衛に従って姫路から中津に移り住んだ浄土宗西山派、開山空誉上人が開基したと伝えられています。 その後、天正17年(1589年)、黒田氏が前領主の宇都宮鎮房を謀略をもちいて中津城内で暗殺した際、その従臣らがこの寺を拠点として奮戦し最後を遂げ、その時の血が何度塗り替えても染み出てくることから、ついに赤色に塗り替えられるようになった、というのがこの赤壁の由来となっています。 当時の激戦の様子は、寺の庫裏の柱に残る当時の刀傷からうかがい知れます。また、戦死した鎮房の家臣は合葬し寺内の延命地蔵菩薩堂に祀りたてられています。

ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    赤い壁がとても珍しい

    4.0

    • 旅行時期 2023/05
    • by lion3さん

    合元寺は福沢諭吉旧居から中津駅へと歩いていく、寺町通り沿いを歩いていくとある寺です。寺の起源は戦国時代の末の黒田氏の中津へ...  続きを読むの入城とともにこの地へ移転してきたものです。寺の壁は山門からずっと赤い壁が続き独特な雰囲気です。戦国時代に戦闘で飛び散った血しぶきをふき取っても取れないために、逆に真っ赤に塗ったのがこの赤壁の由来のようです。赤い壁というのは全国的にもまれで、とても目を引きます。  閉じる

クチコミ・評判 2ページ目

21~34件(全35件中)

  • 悲しい赤い壁

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/08(約10年前)
    • 0

    赤い壁が印象的なお寺です。
    赤い壁の由来はお武家さんの血が消えないからだそうです。
    戦争で流された血はいつの世もいつま...  続きを読むでたっても消えないもののようです。

    お寺の宗派は西山浄土宗です。
    アクセスは、JR中津駅から徒歩10~15分です。
    河童の墓と池がすぐ近くにあります。

      閉じる

    投稿日:2015/09/07

  • 赤壁

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/08(約10年前)
    • 0

    官兵衛ブームに乗じて訪問。
    時間がなく、かつ、お寺には駐車場がなかったので車に乗ったまま、お寺の前を素通りしました。(お...  続きを読む寺の前の道がかなり細かったので車で通れるのか不安になりました。)

    想像以上に壁が真っ赤でした。
    朱色というより、ペンキで塗ったのではないか?と思ってしまうほど。

    門柱に刀傷が残っているそうですが、さすがに素通りでは全くどれのことか分かりませんでした。  閉じる

    投稿日:2015/08/17

  • 境内よりも壁を見に行くお寺

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/03(約11年前)
    • 1

    中津駅から、歩いて5分ちょっとの場所にあります。
    寺町の中でも一番駅寄りで訪問しやすいお寺です。
    想像以上に壁が赤いの...  続きを読むで、すぐに気づけると思います。
    お寺周りの道はかなり狭いので、車ではなく徒歩や自転車での
    訪問がお薦めです。

    境内は狭く、説明書きの看板を読むぐらいかと思いますが、
    珍しい赤い壁を見に行くお寺です。  閉じる

    投稿日:2015/09/01

  • 本当に赤い壁で驚きました

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/12(約11年前)
    • 0

    本当に赤い壁で すぐに分かります。激戦の時の 生々しい血の跡が 何度塗り直しても消えず 赤く塗る事になったらしい。門の柱に...  続きを読むも 刀の跡の傷が残っているのが 確認でき 改めて 現実に起きた事と 確認しました。本当に惨い事です。血を流す事を出来るだけ避けていた 黒田官兵衛さんも心苦しかった事でしょう。  閉じる

    投稿日:2014/12/24

  • 赤壁寺とも言われています。

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/11(約11年前)
    • 0

    中津城の東エリアの寺町の中にあります。黒田官兵衛が建立した寺です。外塀が朱の色なのですぐにわかります。朱色のいわれはここで...  続きを読む討ち死にした宇都宮家の家臣の返り血を隠すためとも言われています。境内にはお堂が祀られています。生々しさを感じます。  閉じる

    投稿日:2014/12/20

  • 予想以上に真っ赤です!

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/10(約11年前)
    • 0

    以前にも一度訪れていたので、初めての時のような衝撃はありませんが、壁は本当に真っ赤です=濃い紅色かな?

    敷地はそんな...  続きを読むには広くないですが、黒田官兵衛の大河ドラマ後から、訪れる方は増えているようです。

    一度は観る価値があるお寺だと思います。  閉じる

    投稿日:2015/05/09

  • 薄気味悪い?でもきれいな赤壁のお寺

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/10(約11年前)
    • 0

    黒田如水の奸計により討ち果たされた宇都宮鎮房、合元寺に籠っていたその家臣達も全員討ち死。その折壁についた返り血が幾度塗り返...  続きを読むしても浮き出てくるために壁を赤く塗ったとのこと、またお寺の門柱にその時の刀傷が残っておりました。でも夕日に照らされた赤壁は美しく、初めて見たためか印象的な風景でした。
      閉じる

    投稿日:2015/01/14

  • 合元寺(赤壁)中津

    • 4.5
    • 旅行時期:2014/09(約11年前)
    • 2

    合元寺(通称:赤壁)

    天正15年(1587年)に黒田官兵衛に従い中津に来た空誉上人の開山。
    黒田長政は中津城内で宇...  続きを読む都宮鎮房を討ち 合元寺で待機していた従臣たちをみなごろしにしました。
    その時の血が何度塗り替えても染み出てくることから ついに壁を赤色に塗るようになったと言われています。

    お寺の庫裏の柱には 当時の刀傷が残っているといわれています。  閉じる

    投稿日:2014/09/21

  • ホラーじみた逸話

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/04(約12年前)
    • 0

    空誉上人が1587年、黒田孝高(如水)にしたがい姫路から中津に移り、開基した。
    秀吉の天下統一により、豊前には黒田氏が入...  続きを読む封することになり、この地を治めていた城井鎮房は四国への転封を命じられたが、拒否した。そこで黒田氏と一戦交えることになったが、黒田氏は緒戦で敗れたため、和議を結ぶことにした。
    空誉上人が城井鎮房の庶子であったことから、鎮房は家臣らとともに合元寺に泊まり、その後わずかな供を連れて中津城に赴いた。ところが黒田長政の陰謀により、鎮房は城内で殺害される。黒田勢はさらに合元寺を襲い、家臣一同を皆殺しにした。
    その後、合元寺の壁は何度塗り替えても血痕が浮き出てくるので、ついには赤い色で塗りつぶすことにしたのだという。  閉じる

    投稿日:2015/03/03

  • 大河につられたわけでは…

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/03(約12年前)
    • 0

    観光の際少し時間が余ったので、大河ドラマに今後出てくるだろうというガイドマップに記載してあったお寺へ行きました。行ってみた...  続きを読むら本当に真っ赤で少し怖かったです。
    ただ周辺にお寺が多く、ブラブラ歩くには最適でした。  閉じる

    投稿日:2014/09/27

  • 赤壁のお寺です

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/01(約12年前)
    • 0

    この合元寺は、別名を赤壁寺と呼ばれるだけあって外壁は真っ赤に塗られています。この赤壁の由来は、何とも怖い話ですが、昔の切り...  続きを読むあいで血しぶきが飛んでも目立たないようにしたからだそうです。 お寺自体はごくごく普通の小さなお寺という感じです。  閉じる

    投稿日:2014/04/05

  • 目を引く赤壁の寺

    • 4.0
    • 旅行時期:2013/11(約12年前)
    • 0

     浄土宗西山派の赤壁 合元寺は珍しい赤壁の寺です。
     この寺は天正15年(1587年)黒田官兵衛に従って姫路から中津にや...  続きを読むってきた空誉上人によって開山されています。
     前領主だった地元豪族の宇都宮鎮房が中津城内で謀殺された後、その従臣たちがこの寺に立てこもり奮戦、すさまじい最後を遂げたそうです。その時の血が白壁を赤く染め、幾度塗り替えても血の痕が消えないので、ついに赤い壁に塗られるようになったのだと言われています。
     激しい戦いの舞台となった合元寺の庫裏の柱には、今でも刀傷が残されています。
     合元寺の延命地蔵菩薩堂には黒田官兵衛を相手に戦った宇都宮家の家臣が祀られています。
     赤壁の珍しさと、官兵衛ゆかりの寺ということもあり、訪れる人も多いてらです。  閉じる

    投稿日:2014/12/04

  • なんとも、哀しい歴史を重ねたお寺です。

    • 4.5
    • 旅行時期:2013/06(約13年前)
    • 0

    合元寺は、通称「赤壁寺」。中津に入った黒田孝高は、前領主の宇都宮鎮房を中津城で謀殺します。その際、宇都宮鎮房の従臣らもこの...  続きを読む寺を拠点として奮戦し最後をとげました。しかし、その後、門前の白壁は幾度塗り替えても血痕が絶えないので、ついに赤色に塗り替えるしかなかったとのこと。
    その後の話もあって。戦死した宇都宮家の家臣の菩提を弔った住職の空誉上人は、後年、黒田孝高の長男、黒田長政に福岡城で誘殺されています。なんとも、哀しい歴史を重ねたお寺です。  閉じる

    投稿日:2013/06/07

  • ほんとに真っ赤です。

    • 3.0
    • 旅行時期:2013/02(約13年前)
    • 0

    中津の観光をしました。
    赤い壁で有名な合元寺です。

    赤壁の由来、血がにじんで赤く染まったと言われるチョット恐ろしげ...  続きを読むなものです。
    「おねがい地蔵尊」とよばれる有り難い地蔵尊があります。
    商売繁盛、学業成就、縁結びなど、多くの絵馬がかかっていました。  閉じる

    投稿日:2013/02/15

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
合元寺(赤壁寺)
住所
  • 大分県中津市寺町973
電話番号
0979-22-2037
アクセス
中津駅から徒歩で7分
その他
創建年代: 安土桃山
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 寺・神社・教会
登録者
kame さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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