滝沢馬琴の硯の井戸跡
名所・史跡
3.32
クチコミ・評判
1~20件(全27件中)
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エントランス中庭に、確かに石組みの井戸があります
- 1.0
- 旅行時期:2023/02(約3年前)
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滝沢馬琴の硯の井戸跡♪
- 3.5
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
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普通でしたら通り過ぎてしまいそうな場所にあります
- 2.0
- 旅行時期:2022/04(約4年前)
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滝沢馬琴が八犬伝を執筆した場所
- 3.5
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
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初めて知った
- 3.5
- 旅行時期:2019/09(約6年前)
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南堀留橋のすぐたもと
- 3.5
- 旅行時期:2019/05(約7年前)
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記念碑
- 4.0
- 旅行時期:2019/04(約7年前)
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滝沢馬琴が住んでいた場所
- 3.0
- 旅行時期:2019/03(約7年前)
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マンション植え込みの石碑を見学しました
- 3.5
- 旅行時期:2018/09(約7年前)
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マンションの入口にある井戸枠
- 3.5
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
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滝沢馬琴の硯を洗った井戸の跡の碑が、目白通りに立てられています。
- 3.5
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
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滝沢馬琴の硯を洗った井戸の跡の碑が、目白通りに立てられています。
南総里見八犬伝や椿説弓張月などの名作が生れたのは、滝沢... 続きを読む馬琴の筆と硯からでした。
滝沢馬琴が、硯を洗った井戸の跡の碑が、目白通りと九段の中坂の交差点の近くに立てられています。
井戸の現物や住居の跡が、同じ元飯田町の周辺に残されているようです。
江戸時代の文芸の華の時代に活躍した滝沢馬琴ゆかりの地です。
滝沢馬琴は、下級武士の子供として生まれ、下駄屋の手代として婿入りしつつも、筆の道に進む夢を捨てず、努力を続けたそうです。
滝沢馬琴の硯の井戸跡の碑の薄くなった文字を見ると、自らの終生の望みを捨てず、永く努力を続け、その成果の華が咲くことを見ることができたか否かは、解りませんが、永く努力を続けた姿が、浮かび上がってきます。
滝沢馬琴の硯の井戸跡の碑の訪問により、人生永遠に希望を持ち続け、それに向かい努力を傾注することの重要性を強く感じた次第です。 閉じる投稿日:2018/04/21
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南総里見八犬伝の作者が硯で筆を洗っていた井戸です。
- 3.5
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
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東京メトロ半蔵門線九段下駅から飯田橋方面の目白通り沿いに標柱が立っていて少し離れた東建ニューハイツ九段下マンション敷地内に... 続きを読むある滝沢馬琴の硯の井戸跡に歩いて5分ぐらいで着きます。滝沢馬琴は江戸時代の小説家で南総里見八犬伝の作者としてお馴染みで、当時飯田町中坂と呼ばれたこの地の履物商伊勢屋に寛政5年(1793)27歳で婿入りし、58歳までここに住み、この井戸で馬琴が硯に水を汲み筆を洗っていたことから硯の井戸と呼ばれたそうです。現在はマンションの1階中庭に綺麗に整備されてますので靖国神社、北の丸公園に訪問の際は足を延ばしてお立ち寄りをお勧めします。 閉じる
投稿日:2018/03/07
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よく手入れされた綺麗な庭に井戸跡があります
- 4.0
- 旅行時期:2018/02(約8年前)
- 0
九段下交差点から目白通り右手 (東側) の歩道を北 (飯田橋) 方向にしばらく進んだ九段北一丁目の交差点手前 (南東) ... 続きを読む角に「滝沢馬琴 硯の井戸」との標柱が目に留まった。
それによると
27歳から58歳までこの元飯田町に住み、ゆかりの井戸がこの中坂下に残っている。
とのこと。
滝沢馬琴と言えば、南総里見八犬伝などの作者として有名なので探したところ、この交差点の右手 (東) 方向にあるマンションの玄関前にあることが分かった。
そのマンションの入口に小さいが石碑と立札があり、「この奥に当時の井戸があった」旨記されていた。
やや入り難かったが奥に行ってみると、玄関前によく手入れされた綺麗な庭に井戸跡があり、マンションオーナーの心遣いが窺えた。
当然個人の敷地だろうが、よく管理されているのに感心するとともに、訪ねてみることをお勧めしたいところです。 閉じる投稿日:2018/02/19
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曲亭馬琴が婿入りした「伊勢屋」のあった地
- 3.0
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
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曲亭馬琴(1767~1848)は「南総里見八犬伝」の作者として有名だが、周りの人々と反りが合わないことが多く、上手い人間関... 続きを読む係が築けなかった人、という印象が強い。戯作者としての幅広い交遊の中で当然合わない間柄の人もいて、それが特にクローズアップしまった、ということだと思われる。
この場所には、1793年に馬琴が婿入りした下駄屋「伊勢屋」があった。彼はここで執筆に専念し、商売を手伝うでもなかったので、姑からは嫌味を言われ続けたらしい。
1824年神田明神下にある医師の息子宗伯の家に移るまで、ここに住み続けた。
出世作となった読本「高尾船字文」が1796年発表、「椿説弓張月」が1807~11年刊行、「八犬伝」も14年の刊行開始なので、いずれもこの家で執筆に精出したことになる。
閉じる投稿日:2017/11/23
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東京都指定旧跡
- 3.0
- 旅行時期:2017/02(約9年前)
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井戸の跡
- 3.0
- 旅行時期:2017/02(約9年前)
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『南総里見八犬伝』の江戸中期の戯曲作家
- 3.5
- 旅行時期:2016/05(約10年前)
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マンションの入口にあります
- 3.5
- 旅行時期:2016/02(約10年前)
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あの歴史的作家も使った井戸跡。
- 1.0
- 旅行時期:2015/12(約10年前)
- 0
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京王プレッソイン九段下というホテルが目印になります
- 3.0
- 旅行時期:2015/04(約11年前)
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