江戸時代末期元治元年6月5日22:00過ぎ、長州藩・土佐藩・肥後藩等の尊王派の志士(浪士を含む)が幕府の転覆と、第121代...
続きを読む孝明天皇を長州へ動座(移す)させるという一連の騒動の会合を?旅館池田屋?で行うとの情報を新撰組が知り得たことにより、その尊攘派志士を襲撃した事件の場所がこの?池田屋跡地?になります。この?池田屋事件?の後、強硬派の藩士に引き摺られる形で長州藩が禁門の変を起こし、京の街を焼き尽くす結果を導いたこと多くの人が知っている事実です。新撰組が良かったのか、尊王派が良かったのかは解釈によって異なるところではあると思います。先の大戦で爆撃の被害が少なかったことを知る人は特にそう思うのかも知れません。
旅館池田屋は、事件後主が尊攘派志士をかくまっていたとして捕らえられ獄死、7ヶ月の営業停止後、親類の手により近隣地区で営業を再開するも後に廃業します。その後人手に渡り旅館としては営業されていたようですがその後廃業されたようです。貸しビルやパチンコ屋等を経て現在はチェーン店の?海鮮居酒屋池田屋はなの舞?が入っています。
往時を振り返るものは、居酒屋前に立つ?池田屋跡地?を示す石碑のみが建っています。近隣には往時の面影を残す史跡はあるものの、残念ながらここにはそれはありません。
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投稿日:2015/12/14