上野動物園の記念スタンプ締切済早めに!
- 投稿日:2011/11/16
- 1件
上野恩賜公園
公園・植物園
4.41
上野・御徒町 観光 満足度ランキング 1位
1381~1400件(全2790件中)
ボードワン博士は、上野山の開発により上野山の自然が失われることを憂え、公園にすることを勧めました。
江戸幕府の招きを受け...
続きを読むて来日したボードワンは、長崎養生所の教頭となり、蘭医学を広め、また養生所の基礎科学教育の充実に努めました。
幕府に、医学・理学学校の建設を呼びかけ、その準備のために、フランスに留学生を伴いました。
物理学や化学の日本の教育制度の充実を図るとともに、上野山に病院を立てる計画が持ち上がったときに、上野の自然が失われることを危惧して、上野山一帯を公園として指定することを提言しました。
眼科に優れており、日本に初めて検眼鏡を導入しましたが、日本に持ってきた健胃剤の処方を日本に伝え、それらは日本独自の改良を経て、日本で市販され続けています。
その一つが太田胃散です。
ボードワン博士の像を見て、上野山が開発されずに、自然豊かな上野公園が生まれる大恩人であったことを、初めて知りました。
勉強になりました。
また、日常、何気なく使用している太田胃散のルーツがボートワン博士の処方であったことは、まさに驚きでした。
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投稿日:2016/11/26
寛永寺根本中堂跡の碑が、上野公園のほぼ中央の竹の台噴水の北側に立てられています。
根本中堂は、上野寛永寺の本堂として、広...
続きを読む大な上野山のほぼ中央に立てられていましたが、上野戦争の折に、本堂、伽藍及び本坊等が焼失し、山門のみが残りました。
江戸時代の根本中堂を中心とする寛永寺の様子を、歌川広重が東叡山全図として描いています。
寛永寺根本中堂跡の碑には、東叡山全図が青銅製の絵図として掲げられています。
東叡山全図には、根本中堂、二ツ堂及び山門が描かれていて、当時の栄華の様子を偲ぶことができます。
これらの配置は、国会図書館の東都下谷絵図にも詳しく記載されています。
今回、竹の台噴水の周辺を歩いていたところ、たまたま噴水の北側の林の中にポツンと立っていた寛永寺根本中堂跡の碑が目につきました。
全くの偶然でした。解説文を読んでみると話題に頻繁上がっている根本中堂に関するもので、本当にビックリしました。感激の瞬間でした。
東叡山全図を見て、位置関係が理解できました。
特に、根本中堂と山門の位置関係が解らなかったのですが、疑問が氷解いたしました。
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投稿日:2016/11/25
竹の台噴水とは、上野公園の中央部にある噴水で、大噴水とも呼ばれているようです。
平成21年から3年がかりで改修されました...
続きを読む。
竹の台噴水のある場所には、幕末まで、東叡山寛永寺の中心で、竹の台と呼ばれ、根本中堂というお堂が建っていたそうですが、上野戦争の際に、焼失しました。
竹の台とは、慈覚大師が唐の五台山から竹を根分けして持ち帰り、比叡山に移植したのを、更に根分けして、寛永寺の地に植えられたことから、竹の台の地名になりました。
竹の台の根本中堂の跡地に、造営されたのが噴水です。
現在の竹の台噴水は、以前の噴水の高さ等の規模はちょっと小さくなってしまったようですが、以前にも増して様々なパターンの噴水の形を楽しめるようになったそうです。
確かに、噴水の水の噴き上がる場所、高さ、間隔、組み合わせ等がいろいろなパターンがあり、順次、変わっていく様は、とても面白いです。
上野公園に訪れる人々に噴水を楽しんで見て貰おうと、噴水に、様々な工夫がされていることがわかります。
このためか、この噴水を待ち合わせ場所にしたり、憩いの場として利用する人々が多いのは、確かです。親しみの湧く竹の台噴水です。
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投稿日:2016/11/25
野口英世像が、上野公園に建てられています。大噴水と西洋美術館の中間付近にあります。
野口英世は、北里研究所から米国に留学...
続きを読むし、国際的にも高い評価を得ていました。
その後、アフリカで、黄熱病の研究に励みましたが、アフリカの地で客死しました。
野口英世が試験管をもっている像は、「人類のために」との言葉のもとに、実験を続ける野口英世の姿を顕しています。
この銅像は、人類のために努力した野口英世の業績を後世に残すものとなっています。
この銅像を見ると、未知の米国の地において努力した野口英世の苦労をはかり知るとともに、得られた高い評価に喜びを感じます。
反面、アフリカの地で病魔に侵された不運と献身的な挑戦に敬意を表さざるを得ません。
これらの業績は、通常の努力では得られるものではなく、類稀な才能と強い使命感があったものと推測されます。
野口英世の銅像を見ることにより、彼の努力に力づけられます。
また銅像の陰に、野口英世の母親の気持ちを汲み取ることができるような気がします。
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投稿日:2016/11/24
上野大仏は、連続する悲劇に見舞われていますが、元気に頑張っています。受験生の味方です。
現在は、パゴダとともになっていま...
続きを読むすが、大仏の歴史は、古いものがあります。
寛永8年(1631)、越後村上藩主、堀直寄が、戦死者慰霊のため漆喰の釈迦如来坐像を建立したことから、上野大仏の歴史が始まっています。
建立後、地震により倒壊しましたが、金銅像として再建され、仏殿で覆われました。
その後、火災や安政大地震による破損そして修復を繰り返しました。
関東大震災による被害や軍需金属資源としての本体の供出等に見舞われました。
昭和47年(1972)、寛永寺に保管されていた顔面部を、レリーフとして現在の大仏山に安置し、現在に至っています。
一時、地震により頭部が落ちましたが、修復されたため、落ちないという面から、受験生の願いの拠り所になっています。
皮肉な現象ですが、多くの悲劇にもかかわらず多くの応援により生き続ける努力が共感を呼んでいるものと推察しています。
悲劇に負けない強い精神力が求められている現在、上野の大仏は、大きな力を与えてくれるものと確信しています。ぜひ上野の大仏をお訪ね下さい。お勧めします。
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投稿日:2016/11/24
お化け燈籠は、上野東照宮の造築の際、佐久間大膳亮が寄進したとても大きな燈籠です。
お化け燈籠は、高さ6.06m、周囲3....
続きを読む63mもあり、通常の燈籠の約3倍も大きいものです。佐久間大膳亮は、京都南禅寺や熱田神宮にも、大燈籠を寄進しており、日本3大燈籠と呼ばれています。
その大きさが、桁外れに大きかったためか、参道の燈籠とは別の場所に置かれています。
お化け燈籠は、緑の樹々が鬱蒼と繁った森の中に置かれていて、なにか神秘的な雰囲気のもとにあります。
今回、上野東照宮のお化け燈籠を見る機会がありましたが、徳川幕府に対する各大名の積極的な燈籠寄進が目につきました。
多くの銅燈籠そして50基にも及ぶ石灯籠は、徳川家康の霊への慰霊の目的から離れ、諸大名が幕府の歓心を引き、忠誠心を具現化するものとして、競い合った結果だと推測しています。
当初の幕府の威光を示すものと勘ぐってしまいます。
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投稿日:2016/11/24
上野公園で桜まつり開催中のようです、ぼんぼりでのライトアップの他に屋台は出ているんでしょうか?
出ているとしたら場所はどの辺ですか??
上野恩賜公園について質問してみよう!
上野・御徒町に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
さきさん
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