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島尾敏雄文学碑

名所・史跡

奄美大島

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島尾敏雄文学碑 https://4travel.jp/dm_shisetsu/10007479

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施設情報

施設名
島尾敏雄文学碑
住所
  • 鹿児島県大島郡瀬戸内町呑之浦
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(10件)

奄美大島 観光 満足度ランキング 62位
3.31
アクセス:
2.88
加計呂麻島の瀬相港から生間港へ向かう途中 by peanuts-snoopyさん
人混みの少なさ:
4.50
誰もいません by さん
バリアフリー:
3.00
遊歩道はありますがバリアフリー対策はされていません by さん
見ごたえ:
3.44
静寂に包まれていました by peanuts-snoopyさん
  • この地では

    • 3.5
    • 旅行時期:2023/05(約12ヶ月前)
    • 0

    戦時中この加計呂麻の呑之浦にあった第十八震洋特攻隊長をしたいた方のようです。のちに作家となって活躍されたとか。「死の棘」と...  続きを読むいうのは映画にもなって賞をとったのだとか。正直どの作品も知らなかったのですがこの地では有名な方のようです。  閉じる

    投稿日:2023/09/22

  • 奄美大島を訪れた時に、加計呂麻島の観光途中で見学した場所です。

    文学碑は、加計呂麻島の瀬相港から生間港へ向かう途中に...  続きを読むあり、戦時中は特攻隊指揮官として呑之浦に駐屯していた島尾敏雄は、のちに純文学者として著名になったそうです。

    文学碑のそばには特攻艇「震洋」のレプリカが格納壕に保存されてありました。

      閉じる

    投稿日:2023/05/20

  • ひっそりとたたずむ

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/05(約2年前)
    • 0

    瀬相港から船が出るまでに少し時間があったので、こちらの記念碑を見学に行きました。瀬相港からは東へ2キロ強の場所にあります。...  続きを読む立派な駐車場があり、そこから徒歩で数分の場所にあります。
    記念碑にはいくつか種類があり、記念碑の説明の文章が書かれた石碑もあり助かりました。日陰で涼しい場所にあるため、夏の暑い日にはちょうど良いかもしれません。  閉じる

    投稿日:2023/01/04

  • あまりに静か

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/02(約4年前)
    • 0

    特攻艇震洋の基地の設営を任された島尾敏雄。国のため命を捧げることの苦しみ故か、島の女性と熱烈な恋愛をする。出撃しないまま終...  続きを読む戦を迎え、様々な思いを胸に、その女性と結婚して島に定住した島尾敏雄。そんなことは碑文を読まないと知る由もない。それほど静かな入江は静寂に包まれていた。  閉じる

    投稿日:2020/02/28

  • 震洋の基地近くにあり

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/04(約5年前)
    • 0

    ツアーで案内されました。呑之浦にある第二次世界大戦時の特攻船「震洋)の基地からすぐのところにありました。初めて聞く名前でし...  続きを読むたが、特攻隊指揮官で終戦を迎え、奥様との出会いからここでの戦争体験を素にいろいろな作品を書いたそうです。縁の地に文学碑が建てられ、今も親族の方が命日にお参りに来てるそうです。  閉じる

    投稿日:2019/04/28

  • 戦争遺跡

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/09(約6年前)
    • 0

    島尾敏雄は良く知りません…なので文学碑は一応見たというだけ。
    誰も人がないが整備はされた公園に文学碑はあります。

    ...  続きを読む文学碑を通り抜け5分ほど海沿いを歩くと、特攻兵器『震洋』の基地跡が見えてきます。基地と言っても舟艇の格納壕が並ぶ風景。1か所だけ復元艇が置いてあり、その前に案内板がありました。

    しっかりとした遺構が遺っている戦争遺跡です。   閉じる

    投稿日:2018/09/16

  • 奄美大島の南側にある古仁屋港から加計呂麻島にフェリーで渡り、レンタカーで島を回った。フェリーを降りた瀬相港から呑之浦(のみ...  続きを読むのうら)まで約15分。海側に入る道を左に折れ、この公園に着いた。駐車場もあるので安心だ。太平洋戦争中、特攻隊長として赴任し、その体験をベースに家庭生活をえがいた「死の棘」などの作者が島尾敏雄。公園内には、作品の文章を彫り込んだ石碑などがあった。
      閉じる

    投稿日:2017/02/05

  • 親子3人安息の場所

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/11(約9年前)
    • 0

    島尾敏雄という作家の作品は読んだことがないのですが、震洋隊基地跡に行く途中にあったので立ち寄ってみました。
    緩やかな丘の...  続きを読む上に石碑が立ち、その周りを囲うように彼の作品から抜粋した文章が刻まれた小さな石碑が並んでおり、また石碑から少し上に登ると島尾敏雄と妻のミホ、娘のマヤが一緒に眠る墓石があります。
    丘は海のすぐ近くになっていて釣りをしている方が何人かいましたが、あたりはひっそりとしています。  閉じる

    投稿日:2014/11/29

  • 高名な文学者の碑らしいが・・・・

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/11(約9年前)
    • 0

    島尾敏雄と言う名前は聞いたことがある程度。作品を読んだことはない。
    彼がこの地に置かれた「震洋」という特攻用のボート隊の...  続きを読む指揮官として赴任して、後にその時の体験を小説にしたという経緯でここに文学碑が建てられたのだろう。

    たまたま加計呂麻島をバイクで走っていたらこの文学碑を見つけら程度で、彼の作品を読んだこともないので、特別な思い入れもない。「震洋」を復元したものが、壕の中に保存されているのは見る価値があると思う。
      閉じる

    投稿日:2014/11/22

  • 特攻水雷艇“震洋”の基地があったところ

    • 4.0
    • 旅行時期:2012/11(約11年前)
    • 0

    「島尾敏雄文学碑」は、瀬相港から車で走って15分ほど、呑之浦(のみのうら)の“文学の森公園”の中にあります。
    加計呂麻島...  続きを読むの深く入り組んだ地形は太平洋戦争当時、軍の秘密基地などに利用されました。
    呑之浦は、船首部分に250キロ爆弾を搭載して、敵艦に体当たりするために考案された特攻水雷艇“震洋”の基地があったところで、特攻隊の隊長であった島尾敏雄氏が戦後その時の体験を小説 『 死の棘 』、 『 震洋発進 』 等として出したことから、その縁で公園内に文学碑が立っています。
    公園内には復元した“震洋”を格納した壕や、“震洋”の説明板があります。命を落とした特攻隊の方々に尊崇の念を捧げお参りさせていただきました。  閉じる

    投稿日:2014/08/08

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