清水湊次郎長生家
名所・史跡
3.35
清水湊次郎長生家 クチコミ・アクセス・周辺情報
清水 観光 満足度ランキング 16位
清水次郎長の生家。次郎長にまつわる写真や資料も展示されており、次郎長の知られざる生き様を知ることが出来ます。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
無料です!清水といえば、の次郎長の生涯を見ていきましょう
4.0
- 旅行時期 2023/06
- by ゆきうさぎさん
駅からも近い次郎長商店街の中にあります。駐車場は向かって左手の角を入ると数台分あります。無料なので、清水を代表する人物なの... 続きを読むで見ていってほしいです。 写真や、生活道具、仏壇、産湯で使ったという井戸も展示されています。子分の大政、小政は入り口入ってすぐに肖像画が飾ってあります。迫力・・・ 次郎長にちなんだお土産も販売しています。 受付の方と、旅先で「清水から来ました」と言うと、「次郎長の町だね」と言われますよ、から始まり、盛り上がってしまいました。話しかけてみて下さい、地元民ならではのお話も聞けます。 場所柄、団体ではなく、一人で来られる方が多いそうです。近くのお墓がある、梅蔭禅寺(ばいいんぜんじ)と合わせて行ってほしいです、こちらはお墓を見るには300円かかります。 閉じる
クチコミ・評判 2ページ目
21~28件(全29件中)
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間口は狭いがさすがに立派
- 4.5
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
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ちょっとわかりにくいですが
- 3.0
- 旅行時期:2014/05(約12年前)
- 1
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地元の経済発展の功労者だった清水 次郎長の生家
- 3.5
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
- 3
清水 次郎長(しみずの じろちょう、1820−1893年)は、幕末・明治の侠客で本名山本 長五郎(やまもと ちょうごろう)... 続きを読む。浪曲、映画で「海道一の親分」として取り上げられ人気を博し大政、小政、森の石松など、「清水二十八人衆」という屈強な子分がいたとされる。1820年に駿河国有渡郡清水町美濃輪町(後の静岡県静岡市清水区)の船持ち船頭・高木三右衛門(雲不見三右衛門)の次男に生まれ母方の叔父にあたる米穀商の甲田屋の主山本次郎八は実子がなく次郎八の養子となった。清水港は富士川舟運を通じて信濃・甲斐方面の年貢米を江戸へ輸送する廻米を行っており、清水湊の廻船業者は口銭徴収を主とする特権的業者が主であったが、次郎長の生まれた箕輪町は清水湊(清水港)における新開地で父の三右衛門とは異なり自ら商品を輸送する海運業者であり叔父の次郎八は米穀仲買の株を持つ商人であることから三右衛門は次郎八を通じて米穀を輸送していたと考えられている。次郎長は妻帯して家業に従事するが一方では博奕を行い喧嘩も繰り返しており1843年、次郎長は喧嘩の果てに人を斬ると妻を離別して実姉夫婦に甲田屋の家産を譲ると江尻大熊ら弟分とともに出奔し無宿人となる。諸国を旅して修行を積み交際を広げ成長した次郎長は清水湊に一家を構えた。富士川舟運の権益を巡り甲州博徒と対立し抗争を繰り広げたが1868年、東征大総督府から駿府町差配役に任命された伏谷如水より街道警固役を任命され博打を止めた次郎長は清水港の発展のためには茶の販路を拡大するのが重要であると着目し蒸気船が入港できるように清水の外港を整備すべしと訴え自分でも横浜との定期航路線を営業する「静隆社」を設立。清水 次郎長は侠客ではあるが地元の経済発展の功労者だったようだ。
閉じる投稿日:2014/05/07
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時代劇ファンならば
- 3.5
- 旅行時期:2012/09(約13年前)
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人情に厚い逸話や清水の振興に尽くす半生など
- 3.0
- 旅行時期:2012/03(約14年前)
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次郎長の生家は、炭の商売をしていたそうですが、その後、同じ清水に住む母方の叔父にあたる米穀商山本次郎八の養子に。次郎長は、... 続きを読む長五郎という名前なので、次郎八の家の長五郎。これ略されて「次郎長」となったのだとか。
米穀商としての才覚もあったようで、大金を稼いだりするのですが、旅の坊さんに25歳で死ぬと予言されたことがきっかけとなって、任侠の世界に足を踏み入れます。壁一面には、やがて東海道一の親分になるまで、新政府軍の攻撃によって沈没した徳川幕府の軍艦「咸臨丸」の乗組員の遺体を手厚く葬った人情に厚い逸話や清水の振興に尽くす半生など、挿絵による一代記がありました。
閉じる投稿日:2012/03/21
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清水の発展の基礎を築いた人
- 3.5
- 旅行時期:2011/04(約15年前)
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東海道きっての大親分清水の次郎長の原点
- 3.5
- 旅行時期:2011/01(約15年前)
- 0
あなたのかわりに・・・
次郎長通りのメインはやっぱりココの 清水お次郎長が生まれた家を見てきましたよ。
清水湊... 続きを読むというのが当時を思わせ提灯と暖簾、屋号のヤマ長
次郎長親分は本名 山本 長五郎 1820年の元旦生まれだそうで、元旦生まれは将来すごくよい人になるか?極悪人になるか?どちらかだという言い伝えを信じた父親に嫌われて
米問屋 山本 次郎八 叔父さんの養子になったんで次郎八の長五郎で次郎長って呼ばれたんだって。
入り口のお知らせの張り紙が実に惜しい・・・ せっかくの外観がもったいない。
右手奥の床の間の掛け軸には、南無阿弥陀仏の文字・・・
窓際の日当たりのよい場所には年季の入った仏壇もありました。
こちらの生家は元々 薪・炭屋 今で言う燃料屋さんだったそうで
米問屋に養子に行ったので実際にはこちらの家には長く住んでいなかったそうです、
続きと写真は、Blog あなたのかわりに・・・ でどうぞ。
http://anakawa.blog77.fc2.com/blog-entry-1096.html
閉じる投稿日:2011/01/25
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本当???
- 4.0
- 旅行時期:2009/03(約17年前)
- 0
21件目~28件目を表示(全29件中)
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投稿写真
基本情報(地図・アクセス・営業時間)
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