松陰神社の隣に、松陰の門下生を祀る松門神社がありました。お社は建て替え前の松陰神社とのことです。ここには門下生ではない沼崎...
続きを読む吉五郎が2015年(平成27年)に合祀されたそうで、その経緯が案内されていました。吉五郎は松陰が江戸伝馬獄に投獄された時の牢名主で、遺著「留魂録」を託されました。吉五郎は三宅島に流刑となり、15年後の1874年(明治7年)に恩赦で免罪となりましたが、その間、ずっと留魂録を守り抜き、2年後の1876年(明治9年)に門下生で神奈川県権令(後に、県令)だった野村靖に手渡しました。その功績を称えて合祀することになったとのことです。(留魂録は宝物殿至誠館に収蔵されています)
この留魂録は、吉五郎が免罪となった年に、松陰の妹の寿さん(後には、文さんとも)と結婚をした楫取素彦に届けられたとなっています。楫取は1872年(明治5年)に足柄県参事、1874年(明治7年)に熊谷県権令、1876年(明治9年)に群馬県県令と歴任していますから、足柄県参事か熊谷県権令の時です。この時は、真蹟の模写として、足労賃2円を渡して帰したとなっています。この旨は野村靖にも申し送ったそうです。2年の間隔を置いて、吉五郎は今度は野村靖に届けた訳です。その後、吉五郎は行方知れずですから、表に出ないところで何があったのでしょうか。
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投稿日:2021/09/07