三千院を出て寂光院方面へ大原女の小径を歩いた。途中、小径の傍らに立札があり、「朧(おぼろ)の清水 平家物語(建礼門院)縁...
続きを読む(ゆかり)の泉」と記されてあった。寂光院の手前の道端に「高倉天皇皇后徳子 大原西陵」の宮内庁の案内板があり、その路地を入った。
「高倉天皇皇后徳子 大原西陵」へ行く一直線の石畳の陵墓径がある。陵墓径には由緒ある立札が立っていた。一つが[阿波内侍がモデルの大原女発祥の寺]もう一つが[柴葉漬発祥の寺]です。
草生を見渡すことのできる寂光院の東の背後の高台に、建礼門院徳子の墓所と伝えられる大原西陵がありました。
寂光院建礼門院徳子様を簡単に説明すると、平 徳子は、高倉天皇の中宮で安徳天皇の母です。父は平清盛、母は平時子。院号、「建礼門院」と言った方が分かり易い。
高倉天皇に入内して第一皇子、安徳天皇を産みます。安徳天皇の即位後は国母となる。木曾義仲の攻撃により都を追われ、壇ノ浦の戦いで安徳天皇と時子は入水、平氏一門は滅亡する。徳子は生き残り京へ送還されて出家、大原寂光院で安徳天皇と一門の菩提を弔った。
「高倉天皇皇后徳子 大原西陵」の近くまで人家がせまっていました。その光景を見て、何故かほっとした気分になった。
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投稿日:2018/05/13