「八重一重咲き分け桜」は「地主桜」、「御車返しの桜」、あるいは、その発祥地の鎌倉市材木座の地名を取って「桐ケ谷桜」とも呼ば...
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京都・清水寺の地主神社では、弘仁2年(811年)に嵯峨天皇行幸の折、この桜のあまりの美しさに、三度、御車をお返しになった故事より、別名「御車返しの桜」とも呼ばれ、明治維新までは毎年花時にこの一枝を「白川女の花使い」が宮中に献上する慣わしになっていた。現在の地主神社の桜は、近年になって、円山公園のしだれ桜等の桜守として知られる佐野藤右衛門(考証:井上諍蔵)によって献木されたものである。
鎌倉・極楽寺には茶屋の前と宝物舘横にそれぞれ1本づつの「八重一重咲き分け桜」があり、北条時宗公手植えといわれているが、老木ではあるが、そこまでの樹齢はあるまい。
染井吉野が散る頃に咲く遅咲きの桜であるが、確かに1本の木に八重と一重の花弁が付く。しかし、1つの房から分かれて八重と一重の花弁が付く桜の花を探すと見つけることは困難であると、寺の写真撮影の記録係の人が言う。
2008年には2輪しか咲いていなくて、1つの房から分かれて八重と一重の花弁が付く桜の花であったので、咲くときはいつもこうなのかと勘違いしていた。その後、何度か訪れたが、1つの房から分かれて八重と一重の花弁が付く桜の花は中々見つからない。
1つの房から分かれて八重と一重の花弁が付く桜の花を見つけたいものだ。
なお、上野・両大師(輪王寺)にも「八重一重咲き分け桜」のかなり大きな木がある。
また、この「八重一重咲き分け桜」、「御車返しの桜」が令和の時代になって枝垂れ桜として現れた。富山市の呉羽山公園都市緑化植物園に植えられている「呉羽おとめ枝垂」である。
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投稿日:2012/03/24