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回向院

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回向院 クチコミ・アクセス・周辺情報

両国 観光 満足度ランキング 3位

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振袖火事と称した江戸の大火で死んだ人を弔うため建てた。以来無縁仏や無縁犬猫を供養する。

ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    赤穂義士は休息のため入るのを拒絶されましたが、誰でも分け隔てなく埋葬してくれる無縁寺です。

    4.0

    「両国回向院」は、墨田区両国2丁目にあります。「両国回向院」へのアクセスは、JR総武本線「両国駅」の西口を出て、左方向に進...  続きを読むむと140m先に「国道14号」(京葉道路)があります。横断歩道を渡るとすぐ目の前に「両国回向院」の朱色の「山門」があります。その「山門」の両脇には、「回向院」を守るように二体の仁王像が安置されています。 「回向院」は、今からおよそ360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院で、「諸総山無縁寺回向院」と呼ばれています。そして、「回向院」の理念は、「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」で、江戸時代から変わることなく引き継がれています。なぜ、それは何故かと言うと、「回向院」が開かれた明暦3年(1657年)に、江戸では、「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。そのようなことから無縁寺とも呼ばれている訳です。江戸は火事が多い街で、人口の増加による家屋の密集、冬場に吹く「からっ風」がその要因に挙げられます。その中でも明暦の大火は「振袖火事」でその名が知られています。そして、当時の将軍「徳川家綱」は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸にある現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが「回向院」の歴史の始まりです。 では、「回向院」の「山門」を潜ります。「回向院」の「正門」は、再建され、「正門」は現在の京葉道路沿い国技館通りに正対する位置に移されました。かつての「回向院正門」は、江戸城側から両国橋を越えると真正面にあり、橋上からその姿をはっきりと見ることができたそうです。「正門」の「扁額」と「寺号碑」に注目してください。扁額には古字を用い「囘向院」、そして、「正門」前の「寺号碑」には俗字を用いて「囬向院」と表記されています。 次が、「力塚の碑」が参道を進むと右手にあります。「力塚の碑」は、昭和11年(1936年)に大日本相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊のために建立したもので、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑となっています。 更に進むと「塩地蔵」があります。「塩地蔵」は、右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれ親しまれてきました。 次に、「鳥居清長顕彰碑」です平成25年(2013年)に「鳥居清長顕彰碑」が建立されました。石碑正面には、「鳥居清長」の「大川端夕涼み」に登場する女性が描かれたブロンズプレートが取り付けられています。「鳥居清長」は、江戸の六大浮世絵師の一人でもあります。江戸の六大浮世絵師とは、「鈴木春信」、「鳥居清長」、「喜多川歌麿」、「東洲斎写楽」、「葛飾北斎」、「歌川広重」ら六人です。 更に進むと「鼠小僧次郎吉の墓」です。「ねずみ小僧」は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗んで町民に配ったと伝えられている時代劇でよく見た義賊です。長年捕縛されなかった運にあやかって墓石を削りお守りとする風習が江戸時代からありました。現在では、特に、合格祈願に来る受験生に人気で、墓石の前に削り取り用の石の「お前立ち」が置かれています。その他の見どころである、「水子塚」、「千体地蔵尊」、「馬頭観世音菩薩像」、「オットセイ供養塔」、「猫塚」など多数ありますので、下記に取りまとめてありますから、ご覧いただければ幸いです。 01_【一口メモ】 ⑴ 所在地…〒130-0026 東京都墨田区両国2丁目8-10 電話:03-3634-7776 ⑵ 回向院の概要 ①山号…諸宗山 ②院号…回向院 ③寺号…無縁寺 ④宗派…浄土宗 02_【アクセス】 1 電車を利用して ⑴ JR総武本線「両国駅」西口から徒歩4分290m ⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5番出口から徒歩10分700m 03_【「両国回向院」の見どころ】 ⑴ 「本尊阿弥陀如来」 「回向院」の御ご本尊は、宝永2年(1705年)に安置された銅の「阿弥陀如来座像」です。かつては、野外に置かれ、濡仏さまと呼ばれていました。「阿弥陀如来座像」は、「釜屋六右衛門」の作によるもので、現在は、東京都の有形文化財にも指定されています。「阿弥陀如来座像」は、身の丈六尺五寸五部、蓮座三尺四寸五分もある大きな銅作りの坐像で、数多くの無縁仏を見守ってきたその眼差しは慈愛に満ち溢れています。 ⑵ 「水子塚」 「回向院」の「水子塚」は、寛政5年(1793年)に老中「松平定信」の命によって造立されたもので、「水子供養の発祥」とされています。ちなみに、「水子塚」とは、陽の目をみずに葬られた水子の霊を供養するためものです。「水子塚」の板石には、地蔵菩薩坐像と他では見られないような「水子塚」という大きな文字が刻まれていました。 ⑶ 「塩地蔵」 劣化が激しく「塩地蔵」の建立年は不詳ですが、「塩地蔵」は、右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれ親しまれてきました。「東都歳時記」所載の江戸東方48ヶ所地蔵尊参りには、その42番目として数えられています。現在、私の知る限りでは、「西新井大師」、「浄土宗常光山源覚寺(こんにゃく閻魔)」など都内10社寺で確認していますが、かつては48ヶ所にあったのですね。 ⑷ 「千体地蔵尊」 「千体地蔵尊」は、ご本尊の背面にあり、ご先祖の供養や家運や社運の隆昌・繁栄を祈願する人々によって奉安されたものです。関東大震災により焼失してしまった尊像で「増上寺」の「黒本尊」と同木といわれ、「恵心僧都」の作と伝えられた「備中千体阿弥陀如来像」をその由縁としております。後光のようにご本尊を守護するさまは必見です。 ⑸ 「力塚の碑と回向院相撲」 「力塚の碑」は、昭和11年(1936年)に大日本相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊のために建立したもので、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑となっています。ちなみに、日本の国技である相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集め(寺社建立の資金となる浄財を集めるなど)のための「勧進相撲」興行の形態をとっていました。貞享元年(1684年)、江戸での「勧進相撲」が許可されると相撲はさらに盛んになりました。その後、「勧進相撲」が「回向院」境内で初めて行われたのは明和5年(1768年)で、天保4年(1833年)以降は春秋2回の興行の定場所として江戸での「勧進相撲」を独占しました。そして、明治42年(1909年)の旧両国国技館が完成するまでの76年の間、「回向院相撲の時代」が続きました。「回向院」が定場所となり、回向院で行うことが定例となり、この「回向院」の定場所が今に続く、両国国技館の前身ということですね。そして、「力塚」の敷地内には、「角力記」、「東京相撲記者碑」という相撲の発展に寄与した相撲記者の慰霊碑も建てられています。 ⑹ 「馬頭観世音菩薩像」 「馬頭観音堂」は第4代将軍「徳川家綱」の愛馬の供養として創祀されました。また、「回向院」は動物供養でも知られ、犬、猫、オットセイ、小鳥などの塚や碑もあります。供養のために建てられた「馬頭観音堂」は、回向院二世信誉貞存上人が建立し、自らが鑿をとって彫刻した「馬頭観世音菩薩像」を安置しました。「馬頭観世音菩薩像」は、享保年間頃から「江戸三十三観音」でした。「回向院」の「馬頭観世音菩薩」に祈願をこめると、当時最も恐れられた瘧疾(熱病)や疱瘡(天然痘)にかからぬといわれ、時代が下るにつれて諸病平癒の霊験顕かな観音様として、人々の厚い信仰を集めたそうです。現在も昭和新撰「江戸三十三所観音参り」での第四番札所となっています。 ⑺ 「一言観音像」 「一言観音」は、奈良の「唐招提寺」の像と同じ木で彫られたもので「恵心僧都源信」作と伝えられています。 元禄16年(1703年)10月に回向院四世「観誉上人」の夢枕にこの観音様が現れ、他所へ遷すように告げられたため、「観誉上人」はこの聖観音像を墓所へ遷したところ、ちょうどその年11月に大地震及び火災により、寺院は倒壊・類焼してしまいました。この移転により聖観音像が倒壊を免れたことが知れ渡り信仰を集めるようになるとともに、その御前で一言願をかけると願い事が叶うと慕われ、いつしか一言観音と呼ばれるようになりました。 ⑻ 「鼠小僧次郎吉の墓」 「ねずみ小僧」は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗んで町民に配ったと伝えられている時代劇でよく見た義賊です。計90回の盗みの後、ようやく御用になり処刑されてしまいましたが、長年捕縛されなかった運にあやかって墓石を削りお守りとする風習が江戸時代からありました。現在では、特に、合格祈願に来る受験生に人気で、墓石の前に削り取り用の石の「お前立ち」が置かれています。 ⑼ 「関東大震災供養塔」 東京が一朝にして焼土と化した大正12年(1923年)の関東大震災において、当時の住職であった第21世「浄厳師」は、役僧を引き連れ焼野原を歩き、亡骸を見つけては巡回回向し、また被服廠跡や隅田堤で日夜読経念仏したと伝えられます。大正14年(1925年)に東京市は遺族に対して遺骨の引き取り方を公告しました。各区にわたる死者は分骨して「回向院」にも納骨されました。 ⑽ 「正門」 「回向院」は一般的な表記ですが、「正門」の扁額には古字を用い「囘向院」、そして、「正門」前の「寺号碑」には俗字を用いて「囬向院」と表記されています。令和元年(2019年)に、「正門」に「仁王像」が安置されました。「回向院」の「正門」は、かつては、現在の「両国2-8-10」あたりの位置にありました。残念ながら「回向院」の伽藍は東京大空襲で焼失しましたが、戦後、再建され、「正門」は現在の京葉道路沿い国技館通りに正対する位置に移されました。かつての「回向院正門」は、江戸城側から両国橋を越えると真正面にあり、橋上からその姿をはっきりと見ることができたそうです ⑾ 「鳥居清長顕彰碑」 「鳥居清長」は、鳥居派四代目として八頭身の美人画を確立したことで知られる浮世絵師です。江戸の六大浮世絵師の一人でもあります。江戸の六大浮世絵師とは、「鈴木春信」、「鳥居清長」、「喜多川歌麿」、「東洲斎写楽」、「葛飾北斎」、「歌川広重」ら六人です。「鳥居清長」の墓碑は以前から「回向院」にあったとされていましたが、「関東大震災」や「東京大空襲」により所在不明となっていましたが、近年の調査で過去帳に名が記されていることが発見され、平成25年(2013年)に「鳥居清長顕彰碑」が建立されました。石碑正面には、「鳥居清長」の「大川端夕涼み」に登場する女性が描かれたブロンズプレートが取り付けられています。 ⑿ 「オットセイ供養塔」 「オットセイ供養塔」は、大正15年(1938年)に建てられたオットセイのための供養塔です。漢字で書くと非常に難しく、「膃肭臍」と書いてオットセイと読みます。大正時代に「回向院」のなかにあった見世物小屋にいたオットセイを供養するために建てられたものです。これだけでも「回向院」の栄華が分かりますね。 ⒀ 「猫塚」 「歌川国芳」は、大の猫好きで知られる江戸後期の浮世絵師です。常に数匹、多い時には十数匹の猫を飼い、猫の戒名の書かれた位牌で飾られた猫用の仏壇を自宅に設けていたそうです。「歌川国芳」が生きていた時代にはすでに「回向院」の猫塚は存在し、「歌川国芳」は何匹もの愛猫の供養をお願いしていたそうです。「猫塚」が回向院に築かれることになったきっかけは、次の様な逸話からです。猫を大変かわいがっていた魚屋が、病気で商売ができなくなり、生活が困窮してしまいます。すると猫が、どこからともなく二両のお金をくわえてき、魚屋を助けます。ある日、猫は姿を消し戻ってきません。ある商家で、二両くわえて逃げようとしたところを見つかり、奉公人に殴り殺されたのです。それを知った魚屋は、商家の主人に事情を話したところ、主人も猫の恩に感銘を受け、魚屋とともにその遺体を回向院に葬りました。このようなことにより「回向院」の猫塚が築かれたそうです。   閉じる

クチコミ・評判 23ページ目

441~460件(全462件中)

  • 信州善光寺の出開帳

    • 5.0
    • 旅行時期:2013/04(約13年前)
    • 0

    信州の善光寺が東日本大震災の供養のために5月19日まで両国の回向院で出開帳を行っています。

    出開帳でした開帳されない...  続きを読む秘仏「一光三尊阿弥陀如来像」が開帳されています。

    また、初めて善光寺から離れた「びんずる尊者坐像」も開帳されています。

    出開帳に参拝されれば、信州の善光寺を参拝したのと同じご利益が得られます。  閉じる

    投稿日:2013/04/29

  • 鼠小僧って実在だったの?

    • 3.0
    • 旅行時期:2013/01(約13年前)
    • 0

    10万人以上が死んだ明暦の大火(1657年)の犠牲者を悼むため、4代将軍徳川家綱が建立した回向院の奥まった場所に鼠小僧次郎...  続きを読む吉の墓がありました。墓石の手前には表面が削り取られた墓石のような石が立っており、子どもたちが表面を削り取っていました。鼠小僧の墓石のかけらを持っていると、盗賊のように「するりと入れる」からと受験生が削り取っていくようになっていったとか。もっとも、やってみると、かなり硬くて、ようやく粉が落ちる程度。かけらなんて、とても無理な感じでした。それはともかく、鼠小僧次郎吉は本名が中村次郎吉というのですが、まさか実在の人物だったとは。そちらの方が驚きでした。
      閉じる

    投稿日:2014/03/22

  • 鼠小僧の墓

    • 2.5
    • 旅行時期:2013/01(約13年前)
    • 0

    両国国技館のそばにあります。お寺なので夜は怖いですがお昼は両国めぐりの人たちが結構立ち寄ったりしているみたいです。境内に入...  続きを読むると鼠小僧次郎吉のお墓があり結構有名な場所であることを偶然知りました。とりわけ特別なものはありませんが両国めぐりをするのであれば行くことをお勧めします。  閉じる

    投稿日:2013/01/24

  •  かの振袖火事は江戸史上最悪の大惨事で、その犠牲者は10万人以上だった。 その遺体の多くは身元不明や引取り手のない状況だっ...  続きを読むたため、時の四代将軍徳川家綱が本所両国のこの地に 「無縁塚」 を築いてその菩提を弔う念仏堂を建立された。
     そして、有縁・無縁、人・動物に関わらず生ある全てのものへの仏の慈悲を説くという理念の下 「諸宗山無縁寺回向院」 と名付けられたのです。
     その後、種々の天災地変や人災による被害者などなど、ありとあらゆる生命が埋葬され供養される様になったものです。
     それ以外に、旧両国国技館が出来るまでの76年間、大相撲が開催されていたところです。 その関係で、境内に相撲協会建立の力塚があります。
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    投稿日:2013/01/12

  • 回向院 ~両国~

    • 4.5
    • 旅行時期:2012/12(約13年前)
    • 0

    両国駅から数分のところにあるのが「回向院 (えこういん)」。江戸時代にここの境内で勧進相撲が興行されたことがあり、これが現...  続きを読む代の大相撲の起源となったとのこと。この関係から明治に旧両国国技館が建てられるになったそうです。その後、一時蔵前に国技館が移りましたが、やはり相撲の聖地は両国のため、現在の国技館は両国になったのでしょうか。  閉じる

    投稿日:2012/12/24

  • 京葉通り沿いにあります。

    • 3.5
    • 旅行時期:2012/12(約13年前)
    • 0

    JR両国駅から徒歩5分ほどの京葉道路沿いにあります。江戸時代の「振袖火事」と言われる大火事(10万人の人が亡くなられたそう...  続きを読むです)の慰霊のために建てられたのが始まりだそうです。今は色々改装している最中のようでした。「力塚」と書かれた巨大な石碑が立派で印象的です。

      閉じる

    投稿日:2012/12/08

  • 鼠小僧のお墓

    • 3.0
    • 旅行時期:2012/10(約13年前)
    • 0

    JR両国駅から秋葉原方面側の出口で降りて、国技館と反対の方向に進んで行った突き当りにあります。
    回向院という名前のお寺で...  続きを読むすが、中に鼠小僧のお墓があります。
    その他、動物供養であったり、樹齢100年は楽に超えていると思われる立派な樹木があり歴史を感じさせます。
    お寺ですので訪れる人は少ないです。   閉じる

    投稿日:2014/04/05

  • ひっそりと眠る義賊

    • 3.5
    • 旅行時期:2012/10(約13年前)
    • 0

    最近はあまり見かけませんが、一昔前は鼠小僧といえば定番時代劇の一つでした。女鼠小僧などという作り話まで出る始末ですが、鼠小...  続きを読む僧は実在した義賊伝説の持ち主です。
    墓石を削って持ち帰ると博打などの運が強まるという俗信から、今もこつこつと欠いていく人がいるようです。  閉じる

    投稿日:2013/11/01

  • 動物の供養

    • 4.0
    • 旅行時期:2012/07(約14年前)
    • 0

    隅田川沿いを清澄庭園側から歩いて領国、スカイツリーに向う途中でこの回向院に立ち寄りました。
    都会のビルのなかにひっそりと...  続きを読む伸びる動物供養の塔が独特の雰囲気をかもし出していました。猫や犬や鳥やオットセイの供養塔までありました。ほかにも両国と言うことで相撲
    に関係しているのか力塚というものもありました。
    あまり長居はしませんでしたが、両国で一風変わった雰囲気を体験できるスポットでした。  閉じる

    投稿日:2012/07/11

  • 相撲の発祥地として知られる回向院の境内には色々な供養塔が見られますが、その中の一つとして存在感を示しているのがこちらの供養...  続きを読む塔です。時を経た供養塔に関しては、文字が見辛くて素人には同定が難しかったりするものですが、この供養塔に関しては創建と再建の年代なども判り易く刻まれていて、その力強い書体にも感銘を受けました。
      閉じる

    投稿日:2015/03/18

  • 肝心の塔の場所が判り辛いです

    • 3.0
    • 旅行時期:2012/03(約14年前)
    • 0

    この塔は、歴史的に有名な明暦大火に関する負の歴史を今に伝える慰霊塔として、非常に存在価値が高いと思われますが、既に投稿され...  続きを読むている皆様の画像なども拝見する限り、やはり私と同じように塔の同定に苦労されたようで、実際に正直な所私は、どれがこの塔を指すのか、正確に見出すことができませんでした。解説板とは全然別の場所にあると思われますので、いらっしゃる方は出来れば回向院の方に照会されると良いかと思います。  閉じる

    投稿日:2015/03/18

  • 石碑の力強い刻銘が印象に残る塚です

    • 4.0
    • 旅行時期:2012/03(約14年前)
    • 0

    相撲の発祥地として知られる回向院の境内にあります。元々は歴代相撲年寄の慰霊のために、昭和11年に設置された塚とのことですが...  続きを読む、力士に由来する碑だけあって、豪快な書体で刻まれているダイナミックがとても印象的で、相撲関連のスポットの一つとして非常に見応えがありました。  閉じる

    投稿日:2015/03/18

  • 本当のお相撲の発祥地はここかも・・・

    • 5.0
    • 旅行時期:2012/03(約14年前)
    • 0

    興行相撲が元々行われていたのが、このお寺でした。また、最初の国技館はここの隣に建てられましたが、その跡地に建設されたショッ...  続きを読むピングモールの中庭の床は、当時の土俵の位置を示す部分が丸く象られています。現在では、ショッピングモールを利用する地元の方々の自転車置き場となっていますが、この丸の意味は地元民にもあまり知られていないのかもしれません。尚、回向院自体は、江戸時代の大火より、犠牲者の霊を弔う場所となっていて、それ以外にも海難や大震災の犠牲者、更には、動物の慰霊碑なども沢山あって、東京を代表する鎮魂の聖地となっています。最近では東日本大震災関係の卒塔婆なども多く見られ、今も尚、沢山の方が祈りを捧げている光景を目にすることができました。  閉じる

    投稿日:2012/03/16

  • 動物のお墓もいろいろあります

    • 3.5
    • 旅行時期:2012/01(約14年前)
    • 0

    明暦の大家で犠牲になった10万人以上の方供養のために
    建てられたお寺です。
    鼠小僧次郎吉のお墓があるということでも有名...  続きを読むです。
    墓石を削ってお守りにすると良いということで
    皆さん、削っています。
    また、こちらで勧進相撲がおこなわれたことから
    歴代相撲年寄の慰霊の為に力塚が建立されています。

    こちらは生あるもの全てのものへの仏の慈悲ということで
    犬猫供養塔や諸動物慰霊碑の他
    珍しい塔ではオットセイ供養塔もあります。  閉じる

    投稿日:2012/04/21

  • 鼠小僧の墓

    • 3.0
    • 旅行時期:2010/12(約15年前)
    • 0

    回向院は、今からおよそ350年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院です。
    明暦の大火で多くの人が亡くなりまし...  続きを読むたが、その無縁仏をまつってあります。両国の駅から歩いて5分くらいのところにあり、ここの見どころは鼠小僧の墓があることです。縁起担ぎで墓石を削り持っていくことができます。  閉じる

    投稿日:2012/03/28

  • 動物供養でも有名な両国の回向院には、猫塚があります。猫の恩返しという話があり、猫塚の起源になったようです。
    猫を可愛がっ...  続きを読むていた魚屋が、病気で商売ができず、生活が苦しくなったとき、猫が二両の金を咥えてきて、その魚屋を助けました。その後ある商家で猫が二両咥えて逃げようとしたところをみつかり殺されてしまい、それを知った魚屋が商家の主人に事情を話したところ、その主人も猫の恩に感銘を受け、魚屋と一緒に回向院に葬ったという話です。
    墓の頭部には猫をかたどったものがあったそうですが、鼠小僧の墓の隣にあり、昔は囲いが無かったため、鼠小僧の墓と間違えられて、お守り代わりに墓を削られてしまったため、今はそうした造形はなくなっています。  閉じる

    投稿日:2013/11/17

  • 生きた猫もいました

    • 4.5
    • 旅行時期:2010/11(約15年前)
    • 1

    回向院は、明暦の大火で亡くなった、多くの身元や身寄りのわからない人々を葬るために、時の将軍家綱の命により創られたお寺です。...  続きを読むこのため、回向院は、有縁・無縁に関わらず、また人・動物に関わらず、手厚く葬ることになったようです。また、江戸時代後期から明治にかけて、国技館ができるまでここで相撲が行われました。こうしたことから、相撲関係者の慰霊の力塚や猫塚、唐犬八之塚の他、犬、猫、オットセイ、小鳥などの色々な動物の供養等があります。また、変わったところでは、ねずみ小僧のお墓などもあります。動物を大事にするためか、境内には、結構猫がいました。  閉じる

    投稿日:2013/11/17

  • 数々の時代劇に登場するお寺

    • 4.0
    • 旅行時期:2010/06(約16年前)
    • 0

     藤沢周平の「用心棒日月抄」などにも登場する両国駅近くにあるお寺です。境内の案内表示には江戸時代の明暦の大火で亡くなった方...  続きを読むの供養のために建てられたとありました。

     またこのお寺には盗賊鼠小僧のお墓もあり、人々が絶えず訪れていたのが印象的でした。  閉じる

    投稿日:2013/01/27

  • 勧進相撲興行発祥の地

    • 4.0
    • 旅行時期:2010/06(約16年前)
    • 0

    振り袖火事の犠牲者を弔うために建立されました。
    国技館は元々この回向院の境内にあったそうです。
    現在の大相撲のような興...  続きを読む行が催された場所という意味では、ここが相撲の聖地と言えるでしょう。
    境内にはおびただしい数の碑や有名人の墓もあります。
    両国に来たなら参拝すべき寺院です。  閉じる

    投稿日:2012/07/25

  • 東京の歴史を感じさせてくれる場所

    • 3.5
    • 旅行時期:2010/01(約16年前)
    • 0

    回向院は、JR両国駅から、国技館と線路をはさんで反対側。歩いて10分ほどのところにあります。この寺は、振袖火事と呼ばれる江...  続きを読む戸の大火で亡くなった10万人を超えるという死者を幕府の命により葬ったのが始まりだとか。墨田区一帯は、その後も関東大震災、東京大空襲と大惨事に見舞われているようですが、それらを庶民とともに潜り抜けてきたお寺です。この正門から参道を行くと、相撲にちなんだ、「力塚」。ここでは、国技館が出来る前、江戸期の後期から明治の終わりまでは、相撲の興業が行われていました。
    墓には、竹本義太夫、鼠小僧次郎吉の墓、猫の恩返しというのもありました。東京の歴史を感じさせてくれる場所だと思います。


      閉じる

    投稿日:2012/07/24

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
回向院
住所
  • 東京都墨田区両国2-8-10
電話番号
03-3634-7776
アクセス
JR総武線両国駅 徒歩 5分
その他
創建年代 江戸
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 寺・神社・教会

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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