2017/03/18 - 2017/03/18
22位(同エリア244件中)
旅人のくまさんさん
- 旅人のくまさんさんTOP
- 旅行記6398冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 4,842,023アクセス
- フォロワー205人
三重県のいなべ市梅林公園の見学のあと立寄った、関ヶ原古戦場跡近くの昼食のお店と、その周りの紹介です。関ヶ原の戦いで亡くなった人達を祀った宝龍寺や、関ヶ原の戦いの展示館などです。
- 交通手段
- 観光バス
PR
-
昼食に立寄った、関ヶ原古戦場近くのレストラン、『花伊吹』の玄関光景です。ツアーの案内には、『昼食は牛すき焼き・牛サイコロステーキ食べ放題(1時間)』と記されていました。さすがに、近江牛、飛騨牛の表示はありませんでした。
-
食事を終わった後で撮影した、『花伊吹』の建物光景です。ワインは置いてありませんでしたから、日本酒の冷酒で、牛すき焼きと牛サイコロステーキを戴きました。まずまずの昼食でした。手土産は1キロほどの冷凍牛でしたが、持ち帰るのは止めにして、その代わりに飛騨蕎麦を買い求めました。
-
焼き肉レストラン、『花伊吹』の正面にあった関ヶ原の戦いに所以のお寺、宝蔵寺です。関ヶ原の戦いは、安土桃山時代の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場に行われました。ネット情報によれば、宝蔵寺で2010年10月21日、『関ケ原合戦戦没者慰霊法要410年祭』が営まれ、子孫や関係者らが冥福と平和を祈ったと、紹介されていました。
-
今も関ヶ原の戦いで亡くなった方の慰霊が続く、宝蔵寺の本堂光景です。410年法要に参集されたのは、石田三成、宇喜多秀家、大谷吉継、織田有楽斎ら東西両軍の武将の子孫約60人と関係者、読経や焼香が行われたようです。その時の様子をネットで拝見しました。
-
イチオシ
『天満山・宝蔵寺』の本堂光景です。高野山真言宗のお寺のです。全国約3700の末寺を包括する包括宗教法人とされ、総本山は金剛峯寺です。
-
『天満山・宝蔵寺』の本堂のズームアップ光景です。高野山真言宗総本山の金剛峯寺は、和歌山県伊都郡高野町高野山に位置します。弘仁7年(816年)、弘法大師・空海によって開かれました。世界遺産の『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部です。
-
本堂に向かって左手にあった観音堂の光景です。『観音堂』の扁額が懸かった入口までは6段ほどの石段がありました。
-
『天満山・宝蔵寺』の境内から眺めた、レストランの『花伊吹』の建物光景です。ネット情報では、旧店名は『麗守都関ヶ原』と紹介してありました。『麗守都』は、レストと読み、レストランを表していたようです。地名は、関ヶ原町関ヶ原です。
-
正面に『天満山・宝蔵寺』、側面に『為関ヶ原合戦々死者供養』の文字が刻まれた石碑の光景です。ネット情報では、ほとんどが山号の『天満山』ではなく、『関ヶ原・宝蔵寺』と表示してありました。
-
宝蔵寺境内に建っていた白い仏像の光景です。観音菩薩像かと思いましたが、右手に薬瓶を持っていますから、薬師如来像のようです。
-
『400年記念・関ヶ原合戦戦没者慰霊緋』の文字が刻まれた立派な石碑の光景です。西暦2000年に営まれた慰霊祭の時の慰霊碑のようです。
-
中央の石碑に『若鷲』の文字が刻まれた慰霊碑の光景です。ウォーランド前会長の谷口玉泉氏の歌碑が左手に添えられていました。『花と散り藻屑と化せし若鷲の 美魂鎮めんこの一杓』らしい和歌でした。
-
『あゝ関ヶ原』の歌詞碑の光景です。作詞が谷口玉泉氏、作曲が石坂誠氏です。平成8年(1996年)10月21日の日付がありました。
-
イチオシ
『関ヶ原ウォーランド』の入口光景です。1964年(昭和39年)に開館された、私設の資料館です。敷地は約3万平方メートル、屋外には関ヶ原の戦いが200 体以上の等身大コンクリート像で再現されています。
-
入口横に設置されていた、『ウォーランドのご案内』の看板光景です。1600年に行われた天下分け目の合戦の様子が、主要な場面の10景が、等身大コンクリート像で表現されていることなどが紹介されていました。コンクリート像は浅野祥雲氏の晩年の作品とされます。リアルでありながら、ユーモラスさが漂っています。その作品群は、名古屋市の東に隣接する日進市にある宗教公園、五色園で見学したことがあります。
-
記念撮影用の甲冑像です。
-
『関ヶ原ウォーランド』の入口付近の光景です。
-
『関ヶ原ウォーランド』の周りの白壁の光景です。白壁越しに、展示館らしい銅葺屋根が見えていました。
-
イチオシ
右側が、『天満山・宝蔵寺』の鐘楼、左側が庫裏などの建物です。
-
『関ヶ原ウォーランド』の入口近くの、切り込み接ぎの石垣光景です。
-
『天満山・宝蔵寺』の裏側にある墓地への登り道です。
-
裏側の墓地側から眺めた、『天満山・宝蔵寺』の堂宇の光景です。
-
鹿の角の兜で有名な武将では、徳川四天王で徳川十六神将、徳川三傑に数えられる本多忠勝(1548~1610年)がいます。徳川氏の家臣で、上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主で忠勝系本多家宗家初代です。本姓は藤原氏、通称は平八郎です。
-
名立たる武将の幼少の頃の姿のようです。
-
初陣の時の姿でしょうか、若武者の騎馬姿です。
-
若武者が、やがて藩主となった時の騎馬姿のようです。
-
塀の外から眺めた、関ヶ原ウォーランドの中の武将増です。西軍の島津義弘公の後ろ姿のようです。たまたま他の用事で上洛していましたが、石田三成の挙兵に巻き込まれ、やむなく西軍として参陣したと伝わります。西軍の敗色が濃くなった後、他の部隊は伊吹山山中へ退却しましたが、島津隊は東軍の真っただ中から、中央突破しました。命からがら堺から海を渡り鹿児島へ帰還しましたが、生き残った者は数十人しかいなかったようです。
-
『関ヶ原ウォーランド』の白壁の光景です。関ヶ原の戦いに参戦した主だった武将の紋所が紹介してありました。左から東軍の総大将の徳川家康公の三つ葉葵、本多忠勝公の丸に建ち葵紋、井伊直正公の橘紋です。
-
白壁の家紋の紹介が続きます。左から、松平忠義公の三つ葉葵紋、福島正則公の福島沢潟紋、黒田長政公の藤巴紋です。
-
広大な駐車場の光景です。この辺りの地名は、『関ヶ原』ですから、かつての激戦の地の一部かも知れません。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2017春、岐阜と三重の梅林巡り
-
前の旅行記
2017春、三重と岐阜巡りのバスツアー(6/10):いなべ市梅林(6):実梅の品種紹介
2017/03/18~
いなべ・菰野
-
次の旅行記
2017春、三重と岐阜巡りのバスツアー(8/10):胡麻の郷:やなせたかしさんのキャラクター
2017/03/18~
関ヶ原・垂井
-
2017春、三重と岐阜巡りのバスツアー(1/10):いなべ市梅林(1):鈴鹿山脈を背景の梅林
2017/03/18~
いなべ・菰野
-
2017春、三重と岐阜巡りのバスツアー(2/10):いなべ市梅林(2):白梅、紅梅、枝垂れ梅
2017/03/18~
いなべ・菰野
-
2017春、三重と岐阜巡りのバスツアー(3/10):いなべ市梅林(3):白梅、紅梅、枝垂れ梅
2017/03/18~
いなべ・菰野
-
2017春、三重と岐阜巡りのバスツアー(4/10):いなべ市梅林(4):花梅(三系九性)の紹介
2017/03/18~
いなべ・菰野
-
2017春、三重と岐阜巡りのバスツアー(5/10):いなべ市梅林(5):花梅(枝垂種)の紹介
2017/03/18~
いなべ・菰野
-
2017春、三重と岐阜巡りのバスツアー(6/10):いなべ市梅林(6):実梅の品種紹介
2017/03/18~
いなべ・菰野
-
2017春、三重と岐阜巡りのバスツアー(7/10):関ヶ原古戦場:昼食のお店、宝龍寺
2017/03/18~
関ヶ原・垂井
-
2017春、三重と岐阜巡りのバスツアー(8/10):胡麻の郷:やなせたかしさんのキャラクター
2017/03/18~
関ヶ原・垂井
-
2017春、三重と岐阜巡りのバスツアー(9/10):根道神社(1):通称・モネの池、錦鯉
2017/03/18~
関
-
2017春、三重と岐阜巡りのバスツアー(10/10):根道神社(2):モネの池、フラワーパーク
2017/03/18~
関
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2017春、岐阜と三重の梅林巡り
0
30