2016/05/01 - 2016/05/02
9位(同エリア1166件中)
エンリケさん
2016年のGWはネパールへ。
前年の4月25日にネパール全土を襲った大地震で世界遺産の建物の多くが被害を受け、未だ復旧せずとの情報がありましたが、ヨーロッパは(テロの恐れのある)イスタンブール経由の便しか安いものがなく、東南アジアで未踏のインドネシアとマレーシアはISの活動が気になり回避したかったため、このところのアジア嗜好もあって、ネパールへの旅を決行。
訪れた印象は・・・やはり日本人にとっては異文化感満載の南アジアの一角だけあって、不思議な満足感。
日本では味わえない様々な体験をすることができ、“日常を離れて旅をしている感”を楽しむことができました。
・・・前回はこの旅でいちばん印象に残ったチベット仏教の聖地、“ボウダナート編”を先行アップしたところですが、今回は旅の始まりである“カトマンドゥ街歩き編”をアップしたいと思います。
<旅程表>
2016年
○5月1日(日) 成田→バンコク
○5月2日(月) バンコク→カトマンドゥ
5月3日(火) カトマンドゥ→パタン→ボウダナート
→パシュパティナート→カトマンドゥ
5月4日(水) カトマンドゥ→ポカラ
5月5日(木) ポカラ(サランコットハイキング)
5月6日(金) ポカラ→カトマンドゥ→ナガルコット
5月7日(土) ナガルコット→バクタプル→カトマンドゥ
5月8日(日) カトマンドゥ→バンコク
5月9日(月) バンコク→成田
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 航空会社
- タイ国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
2016年5月1日(日)
例によって旅の始まりは成田空港。
日本からネパールへは2016年現在直行便がなく、タイやインドなど南回りの便と、成都・ラサや香港など中国経由の便とに大別されます。
わたしが航空券を購入した3月末の時点では、成都・ラサ経由の中国国際航空の便が往復5〜6万円程度と最も安かったのですが、遅延や突然のフライトキャンセルが多いという噂を耳にしていたので、少々値は張りましたが安心・確実なタイ国際航空を選択(同航空会社のHPから購入して燃油・諸経費込みで80,350円)。
そして当日15時、GWを海外で過ごす日本人旅行者で賑わうタイ国際航空のカウンターに並び、早々とチェックイン手続き。 -
その後は空港内でぶらぶらして過ごし、17時、定刻でバンコク行きタイ国際航空TG677便に乗り込むも、滑走路混雑のため離陸は30分遅れの17時55分。
まあ、このくらいの遅れなら想定内です。
安定飛行に入った18時30分、ドリンクサービスが回ってきて、タイビールのチャンビア(Chang Beer)を注文。
うーん、シンハにしろやっぱりタイのビールはうまいわ。 -
続いて19時には食事の提供。
安定のタイ国際航空の味です。
機内エンターテイメントではレオナルド・ディカプリオ主演の最新映画“レヴェナント”や“スターウォーズ フォースの覚醒”を見られたし、何事にもストレスフリーな分、中国国際空港にしなくて正解だったかな? -
22時25分、タイ国際航空TG677便は30分遅れのままバンコク・スワンナプーム国際空港に到着。
ネパールの首都カトマンドゥへの乗り継ぎ便は翌日10時過ぎのため、この日は予約していた空港近くのトランジットホテルに宿泊です。
空港2階到着ロビーのゾーンA4番ゲート近くのミーティングポイントに行くと、予約したホテル名が書かれたボードを手にする女性スタッフを発見。
彼女に話しかけると、送迎のマイクロバスが来るまで15分ほど待てと指示されます。 -
15分以上経ってようやくやってきた送迎のマイクロバスに中華系の観光客ともども乗り込み、10分ほど走って23時30分、ようやくこの日の宿に到着。
宿は“トンタリゾートスワンナプーム”(Thong Ta Resort Suvarnabhumi)。
2014年末のラオス旅行の際も利用したトランジットホテルで、送迎付き・朝食なしプランで約21USD(ホテル税7%・サービス料10%込み、1USD=110円として約2,300円)と廉価なことから、今回も即決で予約させていただきました。 -
チェックイン手続き後、案内された5階の部屋に入ってみると、そこは掃除が行き届いた広くてきれいな空間。
2年前に宿泊した時と少しも変わっていないその部屋に、懐かしさと安堵の気持ちがこみ上げてきます。
【ラオス紀行(1) バンコクのトンタリゾートスワンナプームにて】
http://4travel.jp/travelogue/10970598#photo_link_36969120
ただ、部屋は30℃超というバンコクの酷暑の気候で蒸しているので、すぐに冷房を入れてクールダウン・・・。 -
参考までに浴室はこんな感じ。
シャワーは水圧十分で、すぐにお湯が出てきます。
1泊わずか2千円程度の宿ですが、今回の旅では結果として、設備・金額面ではここが最高級の宿となりましたね(笑)。
さて、この日は大したことはしていませんが、シャワーを浴びてこのままおやすみ・・・。 -
5月2日(月)
6時30分、起床。
宿泊したホテル、トンタリゾートスワンナプームの周りにはこんな集合住宅が建ち並び、いかにもベッドタウンという雰囲気。
しかし、窓を開けると朝からむわっとした空気が入り込み、汗がにじみ出てきます・・・。
この季節、やはりバンコクは“酷暑”といった感じの気候ですね。 -
ホテルの無料送迎バスでスワンナプーム国際空港へ送ってもらい、8時前に早々にチェックイン。
後は搭乗時刻まで空港内をぶらぶら。
タイ国際航空の出発便のあるコンコースD付近は、毎度のことながら芸術的な構造に圧倒されます。 -
そして10時、ネパールのカトマンドゥ行きタイ国際航空TG319便に搭乗開始。
スワンナプーム国際空港では初めての沖止め機への搭乗に、“マニアックなところに行くんだな〜”という気分が高まってきます(笑)。 -
10時15分、TG319便は定刻通りバンコク・スワンナプーム国際空港を離陸。
やはり経済的に苦境のネパールへの便だけあって、搭乗率はほぼ半分といったところ。
ベトナム航空や中国系の航空会社だったらフライトキャンセルされてもおかしくないレベルですが、さすがはタイ国際航空ですね。
機内食には黄色いカレーのようなものが出てきて、いよいよネパールが近づいてきた感です(笑)。 -
12時45分、TG319便は、ほぼ定刻通り、カトマンドゥのトリブヴァン国際空港(Tribhvan International Airport)に到着。
やはり沖止めで、降機後、歩いて空港の建物へ。
ネパールの気候は30℃超で蒸し暑かったバンコクと比べ、20℃台前半くらいで半袖で歩きまわっても汗が出ず、観光に最適の気候。
途中、ネパール国旗とガルーダ(ヒンドゥー教の神鳥でヴィシュヌ神の乗り物)像がお出迎え。
幼い頃から気になっていた、“ヘンな形の国旗の国”ネパールに、ようやくたどり着いたな〜という実感です。
(アラビア語や韓国語はあるのに日本語とドイツ語の(旧敗戦国の)歓迎のメッセージがないのが気になりますが・・・どこかの大国の経済援助で建てられたものか???)トリブバン国際空港 (KTM) 空港
-
建物内ではまずアライバルビザの取得。
2列に分かれたカウンターに並んでから10分ほどで手続き完了。
機内でもらったビザ取得申請書とパスポート、タテ4.5cm×ヨコ3.5cmの写真を用意し、25USDか3,000円を現金で係員に支払えば領収書をもらえます。
それをもって入国審査を受け、パスポートにビザを貼ってもらって無事入国。
空港の出口付近では、1か所しかない両替所でひとまず2,000円を両替。
レートは1円=0.963ルピーで、市内(1円=0.978ルピー)より若干低い程度。
20,000円を両替しても、市内と300円程度しか変わらないので、両替所を探したり比較したりする時間のロスを考えたら、ここで一気に両替してしまう方が賢いやり方かもしれません。
ネパール人にとってみれば、300円はけっこう大きな金額ですけどね・・・。 -
さて、空港の出口では地区ごとに一律の料金になっているプリペイドタクシーを手配。
5kmほど離れた、予約したホテルのあるタメル地区までは700ルピー(約720円)で、流しのタクシーより高め。
13時15分、案内されたタクシーに乗ると、ドライバーと一緒に誰かもう一人の男が助手席に乗り込んできます。
最初は少しヤバい感じがしましたが、どうやら市内の旅行業者らしく、ネパールなまりの英語で、“ポカラへのバスや飛行機はうちが安いよ”と盛んに売り込み。
適当に流して聞いていたら、次第におとなしくなって、最後は名刺だけもらってホテルまでついてくるようなことはありませんでした。 -
そんな旅行業者の話を聞きながら、タクシーはホテルまでの道を進んで行きます。
写真に見える奇妙なかたちをした建物は、トリブヴァン国際空港。
駐車場にはたくさんの車が停まっていて、トヨタやスズキなど、日本のメーカーのものが多い感じ。
しかし、ネパールはアジアの最貧国(2015年の1人あたりGDPは751ドルで、ひとつ上のカンボジアに大差をつけてアジア最下位)と聞いていましたが、新しいきれいな車もそれなりにあったりして・・・持っている人は持っているんですね。
【世界経済のネタ帳〜世界の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキング】
http://ecodb.net/ranking/imf_ngdpdpc.html -
13時30分、空港を出て少しすると、カトマンドゥの市街地が見えてきました。
やはり、アジアの開発途上国らしくほこりっぽい印象。
日中の計画停電が常態化している国なので信号機はなく、交通量の多い交差点では制服を着た警察官らしき人が手信号で交通整理をしています。
ちなみに、ドライバーの前面には仏像とマニ車、そしてガネーシャの像が。
神道と仏教が融合している日本と同じく、ネパールの人々にとっても、生活の中でネパール古来の仏教とチベット仏教、そしてヒンドゥー教が融合している感じですね。 -
路上には黒いマスクをしている人が多数・・・。
ここカトマンドゥは自動車の排気ガスや土ぼこりなどで空気が非常に汚れており、その空気を吸い続けていると健康被害になってしまうかと思われるほど。
東京でも昔、一日外にいると鼻の穴が黒くなると言われましたが、カトマンドゥでも事実、一日歩いた後に耳掃除してみたら、綿棒が見事に真黒になってしまいました(笑)。←いや、笑い事ではありません。 -
途中、渋滞もあって、空港から30分以上かかってようやくタメル地区北側のホテルの近くに到着。
ここから先は車が入れない道らしく、歩いて行くよう指示されます。
その途中で目にしたのが、古代ローマの浴場跡と見まがうような、こんな巨大なレンガ造りの施設。
【ブルガリア〜イスタンブール紀行(6) ブルガリア・ネセバルのビザンツ帝国(東ローマ帝国)時代の建物の遺構】
http://4travel.jp/travelogue/10724869#photo_link_27257533
一見廃墟のようですが、最下層の一角からはチョロチョロと水が出ており、地元の方々が時折水を汲みにやってきたりしているところから、かつては貯水池としての役割を果たしていた施設なのでしょうか・・・。 -
この貯水池のような施設のすぐ先に位置しているのが、この旅のカトマンドゥでの宿、“ホテル・ブライトスター”(Hotel Bright Star)。
Agodaで予約した1泊900円(朝食付き、税・サービス料込み)ほどの宿で、クチコミも良かったことから選んだもの。
実際、中に入ってみると、レセプションでは優しい印象のご主人が迎えてくれ、ウェルカムドリンクとして無料の紅茶のサービス。 -
4階の部屋に案内されると、最初はバンコクで泊まった部屋と比較して愕然としてしまいましたが、ここはネパール。
気を取り直して部屋の設備を見てみると、温まるのは遅いけれどもちゃんとお湯の出るシャワーはあるし、停電時の非常用ライトもあるしで、値段を考えれば必要十分なホテルだなと感じました。 -
ホテルで少し休んだ後の14時30分、カトマンドゥの街歩きへ。
ホテルの位置するタメル地区は、外国人観光客などで賑わうカトマンドゥでも有数の繁華街。
計画停電中で空も大気汚染のためどんよりしていて写真写りは暗いものの、通りを行き交う人々やズラリと並んだ土産物屋街からは、1年前の大地震の影響を感じさせない、アジアの開発途上国ならではの熱気を感じます。
これでも地元の人々に言わせると、地震の影響で外国人観光客がだいぶ減ってしまって、商売上がったりだそうですが・・・。タメルチョーク 散歩・街歩き
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途中、両替所を探したり比較したりしていたら大幅に時間をロスしてしまい、15時20分、タメル地区南側の鏡餅のようなストゥーパのある“タヒティ・チョーク”(Thahiti Chowk)へ。
このストゥーパは周りの建物と比べて色や材質が新しく見えますが、大地震の被害を受けて造り直したものなのでしょうか?タヒティチョーク 散歩・街歩き
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15時30分、さらにその南にある“アサン・チョーク”(Asan Chowk)へ。
このあたりはタメル地区と違い、外国人観光客よりも地元の人々が買い物などで賑わう地区で、まさに“アジアの雑踏”が感じられる場所。
建物も何だか雑多な印象で、空が大きく見えている箇所は、大地震で倒壊した建物があったところなのか、それとも、もともとそういう街並みだったのか、いまいちよく分からないところです。アサン広場 広場・公園
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こちらの年季の入った建物には、大地震後の倒壊しないようにとの工夫なのでしょうか、突っ支い棒がいくつも突き刺さっており、痛々しい限りです。
こんな状態でも、人々が当たり前のように買い物をしては去っていくのがすごいところ。
こんな境遇の人々をたくましいと感じるのか、どうしようもない諦めを感じるのかは人それぞれでしょうが。 -
アサン・チョークの一角には何やら日本の三重の塔のような建物が。
近づいてよく見ると・・・。 -
こんなふうに屋根から軒下へ、帯のようなものが垂れ下がっています。
調べてみると、これは“ドバジャ”というもので、神仏が天から降り立つ道筋を表しているんだとか。
ちなみにこの寺院の名はアンナプルナ寺院。
ヒマラヤ山脈の一山系と同じくヒンドゥー教の“豊穣の女神”の名を与えられている寺院です。アンナプルナ寺院 寺院・教会
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アンナプルナ寺院の軒下では、熱心な女性信者がロウソクに火をともしたり、祈りを捧げているところでした。
この寺院が単なる文化遺産ではなく、生きた信仰の対象となっていることの証ですね。 -
アサン・チョークの別の一角をパチリ。
手前の道行く人々を考えずに背後の建物群だけ見ると、なんだかぼろぼろになったゴーストタウンのようにも見えます。
そんな感覚になるのは、大地震で被害を受けた建物が混ざっているのと、停電中で建物に電気が通っていないためか・・・。 -
それでもこの人々の賑わいを見ると、建物が多少は倒壊しても、また、電気なんかなくても、人間何とかやっていけるんだなあと思ってしまいますね。
さて、次は南西のインドラ・チョークに向かって、地元の人々で賑わう通りを進んで行きます。 -
通りにはこんな美しい木彫の窓を持つ伝統建築の建物があったり。
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こんなヒンドゥー教の神を祀る祠があったりと、異文化感満載。
インドと違ってサリーやパンジャビドレス姿の女性こそ少ないですが、さすがは南アジアの一角だけあって、日本と違った世界を感じます。 -
通りの一角に、何やら目立つ巨大な寺院を見つけたので少し寄り道。
調べてみると、この寺院は“セト・マチェンドラナート寺院”(Seto Machhendranath Mandir)といい、先ほど見たアンナプルナ寺院と同じく、屋根の頂から軒下へ、帯状の飾り“ドバジャ”が垂れ下がっています。
また、この寺院は周囲を民家に囲まれた中庭のようなところに建っており、“完全な公共の場”というよりは、“周囲の住民との関わりが深い半公共的な場”という感じ。
したがって、一般的な参拝者や観光客も少なく、写真を撮ったりしていると、どことなく居づらさを感じてしまう空間でした。セト マチェンドラナート寺院 寺院・教会
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それでも、好奇心が強い性格なので(笑)、貪欲に撮影を続行。
1階の軒先の部分にある、神々の彫像を伴った斜めの支えは“トゥンダール”と呼ばれているもの。
外観は日本の二重の塔とよく似ていますが、細部にはこんな独特の建築技法が。 -
暗くて分かりづらいですが、よく見ると2階の軒先にもトゥンダールが使われています。
建築技法よりも鳩の多さの方に目が行きますが(笑)。 -
セト・マチェンドラナート寺院の見学を終え、インドラ・チョークへ。
この辺りも庶民のバザールが賑わいを呈していてすごい人出。インドラチョーク 散歩・街歩き
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チョークの一角に建つ何やら由緒がありそうな建物は“アカシュ・バイラヴ寺院”(Akash Bhairav Mandir)。
正面2階のバルコニーを飾る金色の神獣群が特徴的です。Akash Bhairav Mandir 寺院・教会
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そして16時、世界遺産に指定されている旧王宮、ハヌマン・ドカ(Hanuman Dhoka)までやってきました。
ここで外国人観光客は迷彩服を着た軍人らしき係員から入場料(1,000ルピー=約1,030円)を徴収されます。
しかし写真の右側に見えるように、旧王宮の入口付近には、1年前の震災で発生したと思われるがれきの山が、今も片づけられずにそのまま放置されています・・・。
世界遺産でありネパールの重要な観光資源だというのにこの有様・・・。ハヌマンドカ (旧王宮) 史跡・遺跡
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旧王宮の中に入っても、あちらこちらにがれきの山が。
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何やら歴史がありそうな木彫も、こんなふうに野ざらし状態です。
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建物の中を通って、四方を壁に囲まれた中庭のようなところにやってきました。
ここは大地震の被害をそれほど受けていないようで、赤っぽい色を基調とした、木とレンガによるネパールの王宮建築の美しさを堪能することができます。
しかしこの淡い赤色の感じ、インドのアグラで見たアグラ城を連想させます。
【北インド紀行(5) アグラ城のジャハンギール宮殿】
http://4travel.jp/travelogue/10558164#photo_link_21928494
アグラ城は赤砂岩造りなのでそもそも材質が違うし、建築様式もイスラム建築の影響が採り入れられていて、よく見るとかなり違いますけどね。 -
こちらの格子窓はその細密的な技法がまるでアラブ建築のマシュラビーヤのようです。
【エジプト紀行(6) カイロのアンダースン博物館のマシュラビーヤ】
http://4travel.jp/travelogue/10531432#photo_link_21036806
【エジプト紀行(7) カイロのコプト博物館のマシュラビーヤ】
http://4travel.jp/travelogue/10532856#photo_link_21082528 -
建物の中を通って、もうひとつの中庭へ。
ここは“ナサル・チョーク”(Nasasal Chowk)と呼ばれるところで、外国の元首が訪れた時などに国家行事が行われる、格式高い場所だったのだそうです。
ただ、ここも1年前の大地震の被害を受けていて、写真中央に見える塔、“バサンタプル・ダルバール”(Basantapur Durbar)は、本来は四重の塔だったのですが、現在は見ての通り二重の塔になってしまい、何とも無残な有様・・・。 -
その左手にそびえる奇妙な構造をした建物は、何とか原型を保ってはいますが、よく見ると微妙に曲がっているような・・・。
いや、ネパール基準では普通なのかな??? -
それでも、バサンタプル・ダルバールには美しいトゥンダールの彫刻が施されており、危険だからといって全部を解体するのは、美術的観点からは非常にもったいなく思えます。
ネパールの世界遺産の復旧が進まないのは、アジアの最貧国という実情から来る資金不足ということもあるのでしょうが、近代化が進んでしまって、かつての王国時代の建築技術を引き継いでいる人々がいないということも大きな原因なのではないでしょうか・・・。 -
バサンタプル・ダルバールの右手にある白い壁の建物も、突っ支い棒はあるわ、倒壊した部分がむき出しになっているわのひどい状態。
いやいや、震災後1年も経っているのにこんな有様とは・・・。 -
ナサル・チョークの一角には、この旧王宮(ハヌマン・ドカ)の名前の由来ともなっているヒンドゥー教の猿神“ハヌマン”の像が。
彼が活躍するインドの長編叙事詩“ラーマーヤナ”の一場面を表しているものでしょうか。 -
出口付近もこのとおり、突っ支い棒や足場だらけ。
日本の安全基準でいったら公開できる状態ではないような気がしますが、ネパールにとっては貴重な観光収入確保のため、観光客に開放せざるを得ない状況なのでしょうね。 -
そんなこんなで旧王宮の見学を終え、16時30分、入ったところとは反対側のところに出てきました。
こちら側は日本の三重の塔のような木造建築が建ち並ぶスポットで、雰囲気がいいからでしょうか、若者を中心とする地元の人々が、それぞれ思い思いの時間を過ごしています。 -
といっても、こちらも大地震の被害はかなりある様子。
この塔は突っ支い棒が四方に突き刺さっているだけでなく、2階以上の部分がそっくりなくなっている状態・・・。
それでも、地元の人々は当たり前の風景のごとく、倒壊した残りの建物に普通に腰かけて、おしゃべりに興じたりしています。
何だか世紀末(“北斗の拳”的な意味で)を感じる風景・・・。 -
こちらの寺院にはインドなどでも人気の象の顔を持つヒンドゥー教の神、ガネーシャの像が。
破壊神シヴァとその妻パールヴァティーの息子であるガネーシャは、ネパールやインドでは“商売の神様”とされているようで、中国の民間信仰でいう“関帝廟”(三国志に登場する武勇と忠義の英雄関羽を祀った廟)のような位置づけなのでしょうかね。 -
参道をのっしのっしと歩いているのはやはり野良牛?
ネパールの市街地で牛を見たのはこれが最初で最後でしたが・・・。 -
再び三重の塔や二重の塔が建ち並ぶエリアへ。
ちょっと見だと、日本の古都の風景のようにも見えますね。 -
なんだか奈良県にもありそうな、懐かしさを感じる景色です。
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そしてその先には刀を振り上げ生首をぶらさげている、何とも厳めしい姿をしたシヴァ神の化身、“カーラ・バイラヴ”(Kala Bairav)の像が。
こんなコワい姿をしているのだから誰も寄りつかないのでは?と思ったら真逆で、左下に見える熱心に祈りを捧げている女性のほか、入れ替わり立ち替わり何人もの女性が参拝に訪れては何かお供え物を捧げていっているようでした。
カーラ・バイラヴ神の恐るべき力で何かを断ち切ってほしいと願っているのでしょうかね・・・。 -
カーラ・バイラヴ像の道を挟んだ反対側には、こんな土台だけになった寺院の跡が。
1年前の大地震で倒壊したまま、復旧の動きは全くないような感じです。 -
少し先へ進むと“宮廷”を意味する世界遺産の広場、“ダルバール広場”(Durbar Square)に。
大気汚染で濁った空の下、夕暮れ時の散歩を楽しむ地元市民で賑わっていますが、ここもやはり大地震の傷跡を残していて、後ろに見えるテオティワカンのピラミッドのようなものは、実は震災前はこの場所に建っていたシヴァ寺院の台座。
現在では“地球の歩き方”に掲載されているような、壮麗な三重の塔が並んだダルバール広場の景色は見ることができません・・・。 -
一方、広場の端にある“シヴァ・パールヴァティー寺院”(Shiva-Parvati Mandir)は、前面に突っ支い棒が突き刺さっている状態ではありますが、何とか倒壊せずに、美しい木彫で彩られた、世界遺産にふさわしいその姿をとどめています。
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前面ののぞき窓には仲良く寄り添うシヴァとパールヴァティーの夫婦神が。
このシヴァ・パールヴァティー寺院、中世以来のマッラ3王朝(カトマンドゥ王国、パタン王国、バクタプル王国)を滅ぼした、18世紀後半のゴルカ王朝時代に建てられたもので、この世界遺産地区の建物の中では比較的新しい部類に入ります。
1年前の大地震で倒壊を免れたのも、そういった理由があるのかも。 -
広場を挟んでシヴァ・パールヴァティー寺院と向き合う位置にあるのが“クマリの館”(Kumari Bahal)。
“クマリ”とは、ネパールにおける生きた女神のことで、パールヴァティーの化身ドゥルガーや旧ネパール王国の守護神タレジュが宿るとされ、初潮前の美しく利発な女の子が選ばれてこの役割を務めるとのこと。 -
その“クマリ”が住んでいる館が、この“クマリの館”。
木彫りの窓枠が美しい赤レンガ造りの建物で、“地球の歩き方”によると、マッラ3王朝時代の1575年に建てられという伝承があるそうですが、1年前の地震で倒壊しなかったところを見ると、その後の時代に改築などが加えられて現在に至っているということなのでしょうか。
他の建物同様、突っ支い棒による倒壊防止処置がとられてはいますが。 -
建物の中に入ると、ちょうど中華系の団体客が見学していて、(お金を払って)クマリにお出ましいただくところだったので、わたしも便乗させてもらいました。
どんなものかと期待して待っていると、2階のテラスからにこりともしない顔をちらりとのぞかせるだけで、1分ほどでお出ましの時間は終了。
中華系の観光客たちは、どう反応していいやら分からないような表情で、その場を後にしていきました・・・。
まあ、ネパールの伝統宗教を知らない外国人観光客にとってはこんなものかという感じです。
ちなみに、クマリのチラ見せの儀式は当然ながら撮影禁止。
写真はこの翌日にパタンのゴールデン・テンプルを訪れた際、掲出してあったクマリのポスターを撮影したもの。
クマリはカトマンドゥ(ロイヤル・クマリ)だけでなく、パタンやバクタプルなどにもいて(ローカル・クマリ)、この写真はパタンのクマリのものですが、カトマンドゥで見たクマリも、このクマリと非常によく似た表情をしていました。 -
クマリの館を出て再びダルバール広場へ。
カトマンドゥの空港にもあったガルーダ像の背後には、本来であれば“カトマンドゥ”の名前の由来となった“カスタマンダプ寺院”(Kasthamandap)があるはずなのですが、同広場のシヴァ寺院などと同様、1年前の大地震により倒壊。
何だかすっからかんの広場という印象です。 -
ダルバール広場からクマリの館の前を通って、骨董品や装飾品などのバザールが開催されてるバサンタプル広場(Basantapur)へ。
どちらかというと外国人観光客向けの珍し物バザールのようですが、震災の影響で観光客が激減しているため、賑わいぶりはちょっと寂しい感じ。
目の前には先ほど内部見学をした旧王宮の建物群が、修復の進まない何とも痛々しい姿をさらしています・・・。
さて、時計を見ると17時。
ちょうど1時間ほどでカトマンドゥの世界遺産地区の見学を終え、宿のあるタメル地区に引き返すことにします。 -
帰り道もまさに“アジアの雑踏”という感じで、買い物客や散歩を楽しむ人々などで、旧市街は大混雑。
相変わらず日中からの計画停電が続いている状態ですが、改めて、太陽の光だけで、人間これだけ活動できるのですね。 -
ネワール族(*)伝統の“ネワール帽”をかぶるおじさんも、あちらこちらにいます。
*もともとカトマンドゥ盆地に住み、独自の生活様式や建築技術などで都市文明を築いてきたチベット・ビルマ語系の民族。
現在のネパールではネワール族は少数派で、インドから移動してきたインド・ヨーロッパ語系の“パルバテ・ヒンドゥー”と呼ばれる人々が人口の半分近くを占め、多数派となっている。 -
メインストリートから横道に入ったところの、四方を建物で囲まれた広場のような空間にその存在感ありげな姿を現したのは、チベット仏教のストゥーパ、“カテシンブー・ストゥーパ”(Kathesimbu Stupa)。
四方を見つめる“仏陀の知恵の眼”がりりしい、ボウダナートやスワヤンブナート(後日訪問予定)のストゥーパのミニ版ともいえる存在で、先ほど見た世界遺産地区の建物群と違ってきれいに手入れされていて、周囲の人々の信仰が篤い様子。 -
カテシンブー・ストゥーパを取り囲んでいる建物の一角には、独特の記号を建物あちらこちらに掲げた、こんな立派なチベット仏教のゴンパ(僧院)のような建物が。
ネパールには1948-51年の中国共産党によるチベット侵攻と、それに続く1950年代後半のチベット動乱により、故郷を追われた亡命チベット人が多く住みついていると言われますが(ダライ・ラマ14世も1959年にインドに亡命)、このカテシンブー・ストゥーパの周囲にも、そういった方々が多く住んでいるのでしょうか・・・。 -
帰り際、振り返って、沈みゆく太陽とともに、たくさんの人々で賑わうカテシンブー・ストゥーパの姿をパチリ。
ぶらぶら歩いていたら17時50分。
はや日暮れの時間になっていました。 -
18時、土産物屋が軒を連ねるタメル地区に戻ってきました。
通りを行く人々を改めて観察してみると、地元の人々に比べ、外国人観光客の姿は少ない感じですね。 -
ホテル近くの旅行会社で翌々日から訪れるポカラへのバスチケットの手配をし(片道700ルピー=約720円)、少しホテルで休んだ後、19時、夕食を食べに再び街に繰り出します。
“地球の歩き方”を参考に選んだのが、ホテルのすぐ近くにある“タメルハウス”というレストラン。
外国人観光客向けの少々値の張るレストランでしたが、ネワール様式の建物の中でネワールの伝統料理が食べられるとあって、旅の最初の食事としてはいいかなと思って選んだもの。
早速中に入ってみると、席はガラガラで客はわたし一人・・・。
街なかのネパール人とは違う、きちんとした身なりのスタッフは何人もいるのに、これで採算がとれるのかと思うほど。
やはりネパールを訪れる外国人観光客は激減しているのですね・・・。タメルハウス 地元の料理
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案内されたのは2階のテラス席ですが、周囲はこのとおりガラガラ。
きれいにセッティングされたテーブルがむなしく見えます・・・。 -
さて、気を取り直して料理の方は、小ポットのミルクティー(180ルピー)にノンベジセットのコース料理(1,090ルピー)を注文(13%の税がついて合計1,435ルピー=約1,460円)。
最初はこんな硬い豆の入った前菜が出てきます。 -
そして次は、フライドポテトとネパール名物の“モモ”(Mo Mo)。
モモはシュウマイのようなかたちをした蒸し餃子のことで、タレのピリ辛感もあってなかなかの美味。
ノンベジだと中にチキンなどの肉と野菜が入っていますが、ベジだと野菜のみ。
後日、別の店でベジのモモも食べてみましたが、こちらも美味しかったです。
決め手はピリッとしたタレかもしれませんね。 -
食事中、中庭では2人の女性による動きの激しい伝統舞踊のようなものも披露されますが、新たに店内に入ってきた観光客を含めても、見学者は10人足らずという寂しい状況・・・。
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食事の方はメインの“ダルバート・タルカリ”(Dhal Bhat Talkari)に。
豆スープの“ダル”、ご飯の“バート”、おかずの“タルカリ”が組み合わさった、カレーライスのようなネパールの定番料理です。
さすがに外国人観光客向けの値の張るレストランだけあって、味はそれなりに洗練されてはいましたが、B級グルメ的な感じというのでしょうか、“ネパールの庶民の味”からはちょっと離れているような印象でしたね。
他の店に比べ、米のご飯はこちらの方が文句なく美味しかったですが(ただし、日本のご飯には数段負けますが)。
ちなみに一人で食べるには量がかなり多くて、最後の方は飽きてしまって少し残してしまいました・・・。 -
最後はヨーグルトで締め。
豆のようなものが入っていて、普通のヨーグルトとは少し違う感じでしたが、まあ安心して食べられる味でした。
全体的な印象としては、味はそれなりに洗練されていて美味しかったですが、ネパールの物価水準を考えると、コストパフォーマンス的には低かったかな?
踊りをもうちょっと観光客が多い雰囲気の中で正面から見られれば、印象は変わったかもしれませんが・・・。
さて、これにてネパール観光初日は終了。
復旧が進まない世界遺産の状況も気になりましが、何より排気ガスや土ぼこりがあちこちで舞う大気汚染のひどさに驚いた一日となりました。
ネパール政府にしてみれば、世界遺産の修復よりも、大気汚染の解消や安定した電力供給の方が喫緊の課題ですよね・・・。
翌日は午前中にカトマンドゥの南にある古都パタンを訪れ、午後はチベット仏教の聖地ボウダナート、ヒンドゥー教の聖地パシュパティナートと巡ります。
(震災1年後のネパール3日目〜パタン観光に続く。)
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この旅行記へのコメント (6)
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- バルティーゴさん 2016/08/05 22:47:07
- 震災の爪痕、やはりショックです
- エンリケさん、お久しぶりです。
私の震災前の旅行記を読んでいただきありがとうございます。
震災後の事はとても気になっておりましたので、エンリケさんの旅行記を興味深く読ませていただきました。
パタンや、カトマンズのダルバール広場の状況はニュース映像で知っておりましたが、まさかボダナートまで倒れていたとは!
改めてショックでした。
自分が訪れたところが被害を受けて悲しい気持ちと、震災前の姿を見納めできて良かったと思う気持ちと、複雑です。
つっかえ棒の建物も、ずっとつっかえ棒しておくわけにもいかないでしょうし、耐震化となると建て直すお金は無いでしょうから、これかだどうなるのでしょうね。心配です。
- エンリケさん からの返信 2016/08/07 20:48:44
- 世界遺産が今後どうなっていくのか気になりますね。
- バルティーゴさん
こんばんは。こちらこそお久しぶりです。
バルティーゴさんの震災前の旅行記、今となってはたいへん貴重なものですね。
しかも、震災のニュースを織り交ぜながら作成されているので、たいへん読み応えがあります。
おっしゃるとおり、ネパールは“アジアの最貧国”と言われるほど貧しい国ですので、世界遺産の広場を修復する力があるとは思えず、広場が今後どのような道をたどっていくのか、非常に気になるところですね。
そんな中でも、ボウダナートのストゥーパだけは、着実に復旧作業が行われていて・・・やはり亡命チベット人たちの思いが詰まっているからでしょうかね。
いろいろなことを考えたネパール旅行になりました。
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- 川岸 町子さん 2016/07/07 22:30:07
- 想い出を引っ張り出しながら
- エンリケさん、おばんでした☆
またまた昔の記憶をたどりながら拝見しました。
懐かしいなぁ〜(*^▽^*)
私、インドラチョークやアサン周辺、めっちゃ好きでした!
ダルバールスクェア―は、悲しい状況ですね。
建物を補強するために、支えている様子が、何とも痛ましい…。
どれくらい復旧するのかも疑問ですね…。
過去と現在のカトマンズ、一番の違いは、牛とゴミです。
野良牛が、うじゃうじゃいました(笑)
ごみが沢山捨てられていて、それを食べたり…。
あと、夕食に行かれたレストラン、同じところかもしれません。
私が行った時も、観光客が数名しかいませんでした。
お酒を高い所から注いでくれるパフォーマンスをしてくれた想い出があります。
空港近くのホテル、コスパ高いですね(@_@)
タイ航空も、うらやましいです〜!
次回も楽しみにしています(*^▽^*)
町子
- エンリケさん からの返信 2016/07/09 18:55:59
- これでもカトマンドゥの街は発展したのでしょうか・・・。
- 川岸 町子さん
こんばんは。ネパール旅行記にご訪問ありがとうございます!
> 私、インドラチョークやアサン周辺、めっちゃ好きでした!
まさに“アジアの雑踏”という感じで、電気がなくてエアコンも冷蔵庫も使えない商店街なのに、あれだけの人々が集まって物を売ったり買ったりしているパワー・・・便利な生活の中で我々が失った人間本来の姿を見るような感じですよね。
> ダルバールスクェア―は、悲しい状況ですね。
> 建物を補強するために、支えている様子が、何とも痛ましい…。
> どれくらい復旧するのかも疑問ですね…。
本当に、今のネパールの人々にとっては、電気やガソリンの確保とか、大気汚染の解消とか、そちらの方が優先事項で、世界遺産の修復はずっと後のことになりそうですよね。
> 過去と現在のカトマンズ、一番の違いは、牛とゴミです。
> 野良牛が、うじゃうじゃいました(笑)
> ごみが沢山捨てられていて、それを食べたり…。
昔は野良牛がたくさんいたのですね。
カトマンドゥの街は、あちこちほこりが舞いまくっていて、お世辞にもきれいな街とは思えませんでしたが、昔はもっとごみばかりで汚かったのでしょうか・・・。
日本からだと昔にタイムスリップしたように見えるカトマンドゥの街並み。
これでも昔よりは発展しているのですね。
> あと、夕食に行かれたレストラン、同じところかもしれません。
> 私が行った時も、観光客が数名しかいませんでした。
> お酒を高い所から注いでくれるパフォーマンスをしてくれた想い出があります。
なるほど、客の少なさは地震後に始まったものではないのでしょうかね。
バックパッカーから見ると、普通の店の数倍はするお店ですからね。
やはり時折訪れる団体客からの収入で店を維持できているのでしょうかね。
> 次回も楽しみにしています(*^▽^*)
最近旅行記の作成が遅れ気味ですが、町子さんをはじめ、いつも見に来てくれるみなさんの期待に応えられるよう、がんばって作成していきたいと思いますので、楽しみにしていてください!
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- メビウスさん 2016/07/07 12:53:39
- ネパリ最高!
- エンリケさん、こんにちは。
先週末、無事帰国致しました。
3泊5日のショートトリップでしたが・・・
いやー、ネパールいいっすねー!!
行き慣れた東南アジアとは一味も二味も違う世界。
街も人もサイコーでした!
震災の傷跡が所々に残っていて、
でも多分、日本の速度とは違う流れでゆっくり復興されているんだろうな・・・と。
そんな風景や息遣いを目で見て肌で感じて来れたのはホント良かったです。
ただ、何度か遭遇した「野良牛」の写真が撮れなかった事が残念・・・
エンリケさんの野良牛写真が羨ましいです笑
数時間だけ訪れた古都バクタプルは特に再訪したい町になりましたね。
次回はルンビニにも行って、ゆっくりどっぷり浸かりたいくらい笑
私も写真整理して、早々に旅行記作成しなくては!
メビウス
- エンリケさん からの返信 2016/07/09 18:32:07
- ご無事で何よりです。
- メビウスさん
こんばんは。ネパールから無事、帰国されたのですね!
日本からだとまさにタイムスリップしたような感覚のある国で、人によって好き嫌いあるかと思うのですが、メビウスさんは楽しかったようで何よりです。
やはりインド、ネパール、スリランカの南アジア3国は、日本人から見れば異文化感満載で、ハマる人はハマってしまいますよね。
> ただ、何度か遭遇した「野良牛」の写真が撮れなかった事が残念・・・
> エンリケさんの野良牛写真が羨ましいです笑
メビウスさんも野良牛を見かけましたか。
都市化とともに最近は少なくなっているようで、あと何年かしたら見られなくなってしまうかもしれませんね・・・。
わたしのはあわてて撮ったので構図がヘンになってしまいましたが、振り返ってみると貴重な写真となりました(笑)。
> 数時間だけ訪れた古都バクタプルは特に再訪したい町になりましたね。
> 次回はルンビニにも行って、ゆっくりどっぷり浸かりたいくらい笑
バクタプルも行かれたのですね。
カトマンドゥと同じく大地震の傷跡が痛々しいところもありましたが、それでも十分に美しい建物や広場があり、ヨーロッパの街のような均整のとれた景観美を感じられる街でしたね。
> 私も写真整理して、早々に旅行記作成しなくては!
メビウスさんがどのようなことを感じながらネパールを旅したのか、旅行記楽しみにしています!
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